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■--東亜連盟
++ 伝六 (中学生)…30回          

東亜連盟についての、石原莞爾の言葉を紹介する。
「満洲はたしかに日本人と支那人との共同の植民地である。共同の植民地であるから、是が独立になることはよいのであるが、しかしそれがためにはどうしても本国の了解を得なければならぬ。日支両国が、ほんとうに心から了解する方針でなければ、賛成はできない。というのが三千万在満漢民族の心の中で動かすことのできない感情であった。その結果、日支両国の当時満洲に於ける知識人、といっても非常に程度がひくい訳であるが、そういう連中が集まって考えたのが東亜連盟という問題である。
東亜連盟とはどういうことかと言えば、差し当たり日支両民族の共同の経営地である満洲国の独立を認めて、日満支三国提携の原則を次のように定める。その方針は
一 国防の共同
 国防は白人に対して共同して東亜の天地を守る
二 経済一体
 経済は本当の共存光栄を目的として極力共通にして行 こう。経済の一体化を図って行こう
三 政治の独立
 しかし日満支三国はおのおのその国の特徴において政 治は独立し、内政の干渉はお互いにやらないことにし よう。
こういう条件である。そして王道の精神に基いて全く精神的に提携して行こう。それならばわれわれも賛成ができる。それならばわれわれも心から満州国に全力を尽くそう。こういう風に三千万の支那人の知識階級は私共に共鳴して呉れた次第である。」
知識人といっても程度が低いというのには微笑するが、決して人間として程度が低いというのではない。今の程度の高い知識人にどれほどの誠実があるだろうか。もちろん白人に対して東亜の天地を守るということは、今や過去の問題となっていると私は思う。残滓はあるかもしれないが。
.. 2006年12月15日 22:27   No.38001

++ タク (高校生)…54回       
さらに石原莞爾はこういうことを言っています。「しからば、この最終戦争の起こる時期、1、アジア諸民族の団結。すなわち東亜連盟の結成を成就し終わったときにこの戦争をやろう」ということです。言い方を換えれば、東亜連盟という石原莞爾の理想とするアジア民族の統一体ができないうちは、この最終戦争をやってはいけないということです。2、アメリカが完全に西洋の中心たる地位を占めたとき。3、決戦用兵機が飛躍的に発達し、特に飛行機は無着陸にて容易に世界を一周し得ること。航空機を使う空軍の組織がそこまでできないうちは戦争をやるな」ということになります。

しかも、石原莞爾はもっと具体的に、昭和15年(1940)の時点から30年内外にこの戦争は起こるであろうと言っていたのです。そして、これが人類最大の戦争になると言っている。ただ、その最大最終の戦争の前は、アメリカがヨーロッパを支配しているという世界圏ができていて、それに対してアジアの独立とアジアの解放を守る東亜連盟を母体とするアジア勢力圏ができている。そして、この両者の間で最終戦争をやる。その体制が整わないうちは戦争などやるな。これが石原莞爾の基本構想だったのですが、現実は日本陸軍の暴走は止められず欧米諸国のシナリオにまんまとはまってしまったのが残念でなりません。

.. 2006年12月18日 18:59   No.38002
++ 伝六 (中学生)…31回       
昭和十五年から、三十年内外で最終戦争がおこるのは占いにすぎないと、最終戦争論の質疑応答で答えていますね。そのように推測した根拠は、石原戦争史学における決戦戦争と持久戦争の交代の周期がだんだん短くなっているので、現在の持久戦争の期間は五十年内外であろうと推測したことを言っています。また三十年が延長して、七十年になっても百年になっても困らないけれど、推測よりも早く決戦戦争がおこってしまうと、困ったことになるとも、言っていたと思います。戦争終滅前に最後の決戦戦争(最終戦争)がおこるというのは石原莞爾の戦争史の研究から得た確信でした。それは人類史の問題と連関して考えられました。
.. 2006年12月20日 21:17   No.38003
++ タク (高校生)…55回       
石原莞爾の考え方の基本は世界最終戦争です。この世界最終戦論について第一次世界大戦は、ヨーロッパ諸民族でやっている戦争なので、世界大戦と称することはできないでしょう。そして、この戦争の後、西洋文明の中心はアメリカに移りました。次いで来たるべき決勝戦争は、日米を中心とするものにして、これこそが本当の世界大戦になるであろう。こういう大戦争が起きたときには、いままでの我が陸軍のやり方とは全く違った、空軍をもってする決勝戦争になるであろう。そして、人類の闘争力の最大限をここで持ち帰るような、人類の最後の大戦争に広がるであろう。そして、この大戦争によって、世界はやっと統一せられ、絶対平和の第一歩に入るべし。これが石原莞爾の考えた世界最終戦論で、基本的な考え方になっているわけです。決勝戦の前に始まっちゃいましたが・・・・

.. 2006年12月20日 21:25   No.38004
++ 伝六 (中学生)…32回       
持久戦争の時代にアメリカと戦争ということになってしまったわけですね。御承知のように、「近き将来に最終戦争の来ることは私の確信である。最終戦争が主として東亜と米洲との間に行はれるであらうといふことは私の想像である。最終戦争が三十年内外に起こるであらうといふことは占ひに過ぎない」(「最終戦争論に関する質疑応答)。想像であるということは、ちがうこともあることを予想しているわけです。しかし最終戦争のほうは、確信がまちがっていたということは、言っていません。しかし終戦後は最終戦争が起こらないように行動すべきであると言っているように解釈されます。そして兵器の進歩は、もし戦争がおこれば、石原の考え方が正しいとすれば決戦戦争の時代になってきている感があります。(兵器のみについて言えば)。批判するにせよ肯定するにせよ、石原莞爾の思想は現代に検討されなければならないと思います。
.. 2006年12月22日 21:19   No.38005
++ タク (高校生)…56回       
日本は緒戦に勝利した酔いも冷めて、戦局の不利は17年の後期から明瞭となって、軍の中央部は動揺し始めた。
その時の革命家としての石原莞爾の才能は益々冴えてきた。
石原莞爾はこれから、英国はソ連の不当な要求と将来に対する異常な発展の不安から、ドイツと和平して独ソを徹底的に戦わせて両国を消耗させる方針をとり、ドイツ敗戦後、米英は全力を挙げて日本に迫って日本を屈服せしめる方針をとるに違いないと予想した。

そのためには迅速に支那事変を処理して、中国と協力して、英国に操縦されるソ連と和解して持久戦争の基礎を確立して、機を見て米英と妥協する方針をとり、弱り出したドイツを完全に日本の意図に追随せしめて、戦争目的を英帝国崩壊に切替させる必要があるとし、そのためには駐ソ、駐独大使を更迭して、有能の士を派遣すべしと18年4月石原莞爾は政府に献策したが、政府は取り上げなかったのです。

.. 2006年12月24日 10:06   No.38006


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