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■--石原莞爾と核兵器
++ 伝六 (小学校高学年)…29回          

石原莞爾は戦争史の研究から、最終戦争を確信し、王道対覇道で最終戦争が行われるものとし、最終戦争に勝つ準備をしないといけないという考えのもとに行動したと理解される。石原莞爾は行動の人だから、行動のうちに方法をみつけるというようなことも言っている。最終戦争の時の兵器は一夜にして一つの都市をふきとばすくらいの爆弾ができるというようなことも言っている。ただ最終戦争は空軍の戦闘になると予想した。戦法でいうと「体」の戦法である。敗戦前の石原なら原子爆弾を日本がもつことをどう考えたかはわからない。敗戦後の石原については明瞭である。核兵器はもたない。軍事同盟もしないという方向を考えた。核兵器は人類絶滅兵器である。王道の国の持つべき兵器ではない。それは体験してはじめてわかったことでないだろうか。しかし世界の大国はまだわからないでいる。
.. 2006年12月12日 22:26   No.37001

++ タク (高校生)…53回       
一種の終末論的発想ですね。前途の見通しの暗い戦時体制化にあった当時の日本国民には、明るい希望を与えたと言います。石原莞爾は1940年9月「人類の前史終わらんとす」という講演をまとめた『世界最終論』を刊行、80版を重ねました。ここではロケットや核兵器を予想したような、「自由に成層圏にも行動し得るすばらしい航空機」や、「一挙に敵に懺滅的打撃を与える決戦兵器」の出現を予言しているのですね。ただし1930年代の日本にはこのような世界最終戦争を遂行する力はなく、「東洋ノ選手権ヲ獲得スルタメニハ速ニ我勢力圏ヲ」満蒙地区に伸ばす必要があり、ここに石原莞爾にとって満州事変の根本的必然性があったのだと思います。

.. 2006年12月14日 08:20   No.37002


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