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■--テント日誌
++ Q (小学校低学年)…6回          

2/29(水)
  ― 経産省前テントひろば 172日目 ―
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 テントは、活気に満ちた。とぐろを巻くひとなどいない。朝早く、「原発事故被害者支援法」(仮称)の制定を訴える人々が衆院第一議員会館へ向かった。テント広場は、国会前座りこみをしていたのは、このためでもあった。国家財政を優先するものは、消費税率の増加を中心課題として形成しようとする。しかし、国民の人命救助を主眼とするものは、一年たっても福島第一原発事故から目をそらすわけにはいかない。テント広場の人々も、「福島の子どもたちを守る法律家ネットワーク」に連帯し、汐見坂を雪の中、駆け上る。潮目を読む場所だったから、地震に耐えられる地盤ではないそうだ。
日本は、荒海の枯葉か!
 テントへは、フランスのラジオ局のジャーナリストが、顔を覗かす。イタリア人でロンドン在住の友人と。金曜日の下準備だそうだ。70年ころ流行した「ラジオのように」のことを伝えても、わき道にそれる暇はないという風情。真剣そのものの取材姿勢。あとで、あの在特会と警官に煮え湯を呑まされたフランクさんたちから電話が入る。
 フランスのTV放送は福島の「事故収束」にフランス人が大貢献し、日本人は深くフランス政府の救援に感謝しているというメッセージを流しているという。おふたりは、今、フランスだ「海外のメディアには福島の真実を伝えてほしい、収束などとデマもいいかげんにしてほしいわよね! ゲンバってなによ?」とゆみさん。
 フランスのラジオ局記者と友人を大飯原発再稼動審査書検討委員会につれてゆく。雪のため傍聴人が少ない。いかにも慣例的挨拶の応酬を批判派が傍聴席から断罪する。斑目 委員長が司会をしていたが、高校生を相手にする教員のように、威圧的な大声を出してみせる。
結局、強制的退場者はでなかったようだ。
 その間、テントには、スウェーデン、オーストリアなどなどジャーナリストがおしかけてきていた。福島県が、フクシマとなり、チェルノブイリとなっても、世界は、「あっち」という風情の日本人。「野蛮な文明」と書いたのは、昔々レヴィ・ストロースだった。
しかし、フランスは、80パーセント核燃料に発電を依存し、カナダ、オーストラリア、アルジェリアなどで、ウラン採掘をしている。日本は、ヨルダンやトルコに原発輸出する。フクシマは人類史の四つ角となった。
 ああ、井の中の蛙にする政府情報機関。原子力ムラとは笑わせる。あの安全審査委員会は、明治の枢密顧問官たちの亡霊にとりつかれている。フランスのジャーナリストは、眉をしかめて、退場した。テントから電話が入る。急いでテントへ戻る。
  雪椿テントは天下如月尽(能見)     (Q記)
.. 2012年03月03日 07:31   No.366001

++ 安間 (幼稚園生)…1回       
拝啓  渕上太郎 様
経産省前テント、誠にお疲れ様です。
 小生も早々に参上すべきところでありますが、なかなか時間的に伺えなくて心苦しく思っております、しかしながら小生の居住地域での1000万人署名運動や集会等で何とか連帯しているつもりでおります、又、3月4日には、さよなら原発イン越谷と題した集会とデモを実施します。
 何とか日本国内を反原発一色に染め上げるべく闘い抜く所存でおります。
 万が一にもテント排除と言う事態が生じた場合は、昔取った杵柄で馳せ参じるつもりでおります。
 まだまだ、寒い日が続きますゆえご自愛下さい。   安間 拝

.. 2012年03月03日 07:37   No.366002
++ 坂本 (幼稚園生)…2回       
いつも見ています。千葉の坂本です
私の市民活動の師は(串田文子さん)です。彼女は戦争時代国鉄の職員として、男は戦争に駆り出されてしまった後、女が運転手や、キップ切りとして俗に言う銃後を守った女性です。
 銃後・なんて知る人はもういないでしょうか。でも彼女たちは戦後の朝日新聞のコラムに意見を出す会(草の実会)というのをズーッと継続して、終戦後からは子供を育てるお母さん方の学習の場所としての(公民館活動)をした世代です。
 当時はアメリカも市民に、市民としての権利として公民館での学習会を勧めていたがお母さんが学ぶと(夫に意見するようになり)行政に意見するのは(困った事)になり公民館は(行政に反抗する市民)には貸せない。行政に反抗するって何?私達は反抗なんてしていません、でも市民が発言している事に耳を傾けて意見を聞く努力はして欲しいと思うのです。
 沖縄の基地も日本の基地も、原発も日本は憲法をどのように理解しているのか?
疑問。でもこの経産省前ひろばがあることが市民、自由な広場、がきょうも元気だ!とこれを見て安心してPCを閉じます。
 応援しています。寒いのにねがんばってくださいね。

.. 2012年03月03日 07:44   No.366003
++ Q (小学校低学年)…7回       
<テント日誌 3/2(金)>
    3・11へと向き合う海外ジャーナリストの矜持
     ―― 経産省前テントひろば 174日目 ――
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3月2日(金)水ぬるむも冷たい雨
 予定通り、フランス国営ラジオのジャーナリストを迎え、椎名さんにインタビューを受けてもらう。初めてテントを訪れたのは、通訳さんだけではなかった。新参の女性が、しっかり椎名さんのお隣に座り込み、鋭敏に聞き耳をたてている。すでにFさんのパートナーYさんからフランス発のメールが仲間に配信されているようだ。それでこの女性が駆けつけたのかもしれないし、偶然かも
しれない。
 フランスとUSAが、福島原発第一の事故現場に直接乗り込んだ。玄葉外相のフランスの「事故収束」協力への感謝という、いかにもの外交辞令に対して、福島原発第一事故の「一周忌」へのフランス・メディアの関心のただならないことは、テントにいれば分かる。 ラジオ取材班のあとで、想定外、フランス人ネット映像作家が単身、現れた。これで、のべ十人を超える海外取材陣こと
にEU勢が圧倒的だ。避難民が彼のテーマであり、仙台に非難した南相馬の家族を二週間以上取材したという。その前は、コロンビアの内戦で避難する人々を追っていた、という。
 結局、この二人は、ジャーナリストとして独立自存していて、事故現場を実際に知ったかどうかの違いが浮きたっただけのように思われる。ラジオ局の方は、椎名さんの「勉強不足」というご指摘に蒼ざめ、「チェルノブイリには2度いっているのよ。被ばくの犠牲者には、たくさんあっているのよ」と悲しげに小生に訴えた。彼女は、良くも悪しくも、フランスの「NHK」を背負ってい
るように感じられた。しかし、「アントナン・アルトーはよかった!」というと、えもいわれぬおくゆかしい微笑を返してくる。
 椎名さんのみならず、現地・福島へ行くことを、強く、お勧めした。推進派の権力、勢力に、用心深くなることを悪いということはできない。日本のマスメディアに比べれば、きわめてすぐれたセンスの持ち主のように思われる。結局、砂川闘争を目撃した「インディアン」さん、デニス・バンクスが、お国に帰って、国家権力と対峙するように、個の魂に、核開発派の野蛮さをきざみこ
んでくれれば・・と願う。アメリカの戦場からの帰還兵士たちの戦争後遺症はきわめて深刻なようだ。

.. 2012年03月06日 08:37   No.366004
++ Q (小学校低学年)…8回       
 一方、ネット・ヴィジュアル・クリエーターは、熱心に、第一テントの防衛隊をひとりひとり取材した。彼は、自分のアドレスを堂々伝えてくれた。
心細げなはじめの印象は、インタヴューの進むのに連れて、輝く硬質なおもざしとなってゆく。は、「中立的」なジャーナリストではなく、脱原発派だった。仕事によって、本来の彼自身が発現する。防衛隊の言葉に、親指を挙げて、協賛する。集団で行動し、無責任な群集心理に酔う「民族」とは程遠い。たったひとりで真実を探しているかのごとく。「冒険家だね」と言うと、うれしそうにうなづいた。
 そのあと、韓国の一流新聞社特派員が、同朋の環境活動家を伴い、椎名さんに、インタヴュー。小生は、第一テントで、へたくそな通訳をして、汗顔。
ああ、また勉強だ! 試練だ!

 夕刻「ハイテク・ホロコースト」という英国人ジャーナリストの本をテントの夕闇のなかで探していると、女性がひとりトラメガで、脱原発テントの人々の国有地使用と経済産業省の無策をなじっている。昨日のZTKの女性差別発言を中和すべく単身乗り込んできたのにちがいない。警官の予報に半日遅れているから、いろいろ、ためらいがあったのだろう。
 はじめはやくざなケンカ口調だったが、誠実なテントの人間の応対に、とげのない語尾述語を使うまでは、落ち着いた。おろかななかまの男の罪を背負って現れる女性の声には、まったくあわれを催される。言葉ではない、響きだということが、よく分かる。
「巷に雨の降るごとく、私の心に雨が降る」「悪い仲間」から切れることは、実に冒険かもしれない。明日は、福島へ、取材協力の旅へ出る。  (Q記)

.. 2012年03月06日 08:49   No.366005
++ F・Y (幼稚園生)…1回       
<テント日誌 3/3(土)>
    フランスの「NHKラジオ」が福島で真実を知った!
    ―― 経産省前テントひろば 175日目 ――
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3月3日(土)桃の節句
テント日誌の担当となった途端、この日は急遽、福島に行くこととなってしまった。昨日、日本を初めて訪れたフランスのジャーナリストの女性が テントを訪れ、椎名千恵子さんと会話を進める中、是非実際に福島を訪れて福島の方々の生の声を聞いて欲しいとの要望を受けて向かう事になったのだ。この間の会話は日本語ではなく英語の堪能なQさんが流暢な語り口でスムーズにコミュニケーションを繋げていました。
 その流れのままQさんが通訳として同行すること、運転手として私も福島へ行くこととなったわけです。その女性は"RADIO FRANCE"の特派員ですが、これはフランスのNHKみたいなものですと言っていました。差し詰めNHK第一ラジオみたいなものなのかと想像してみましたが、当たっているのかそうでないのか。
彼女がしきりに聞くのは昨夜からと同様に「何故、事故が収束しているのにテントがあるの?日本政府は仏に感謝の意を表してるとの報道がなされてるわ!」「1年経って、事故が収束している日本を取材に来ました」これを聞いた椎名さんは彼女を福島に行くことを強く勧めたのでした。この後、現地に行ってみて彼女の顔色が変わるのです。
 この日は福島市「チェンバ大町」において3.10〜11に行われる集会の外国人プレス・カンファレンスが15時より行われた。参加者は「市民放射能測定所」の阿部さん。「子ども福島」の佐藤幸子さん、高橋さん。「グリーン・アクション」アイリーン・スミスさん。

 帰りは夜を徹して帰ってきました。福島から水戸まで高速道路料金が無料でしたが3月一杯で廃止になると聞きました。確かに無料は歓迎すべきとは思いますが、これまで行なわれていた間、どれだけ被災地復興に役立っていたのだろうか?
 全く意味がないと言わざろを得ない「除染」に多額の国費を投じているのも含め、直接被災者・避難者に手渡しできたらと思わずにはいられない。ましては本来、国・東電が支払うべき賠償金すら支給されずにいる現状は先のジャーナリストも信じられないことだと驚いていました。「何故?どうして怒らない?」と・・・。
 彼女とQ氏と食事をしながら今日の印象をストレートに聞いて見た。無邪気に取材をしに日本に来てみたが余りの福島の現状に呆然とし、話を聞けば聞くほど涙が溢れる想いであると、両手を目に当て涙が落ちる仕草をして見せた。

 テントに戻ると、この日は何事もなく無事に終わったことをお聞きしてホッとしました。この国に、官庁街のど真ん中に、テントがある事自体が奇跡であり、ある意味不幸な結果の当然な成り行きとは言え 、連日の在特会等の嫌がらせに耐えて存在するテントは、福島の女たちの活動を支える大切な場所になっていると共に全ての脱・反原発の拠点であると私は信じたい!
                            ( F・Y )

.. 2012年03月06日 09:21   No.366006
++ H.H (小学校低学年)…6回       
<テント日誌 3/4(日)>
    ―― 経産省前テントひろば 176日目――
    テントの悪口をいう街宣右翼も“脱原発”を叫ぶ
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天候は曇りの雨。寒さが返ってきました。

 お昼頃、街宣右翼の街宣車が8台、テント前でテントの悪口を15分間ほど放言していきました。
 警察にとっても不意打ちだったようで、混乱防止の人員配置が警視庁からされたようです。いえ、そういうことはどうでも良いですね。(苦笑)
 実害はありませんでした。むしろ、街宣右翼からも「脱原発は当然だ」などと大きな 声が響いたので、経産省にも届いたことでしょう。テントと街宣右翼では方法論は全く異なり、街宣右翼はテントへ抗議に来たわけですが、「脱原発」という点は一致し ているのがスゴイところです。夕方にも「テントは違法」という主張の方が来ました。こちらの方も「脱原発」だそうです。

 明日からの一週間。月曜日と水曜日に原子力安全委員会によるストレステストの評価 検討会が行われます。月曜の会はこの日誌が出てからでは遅いので水曜日の会の詳細をお知らせします。

原子力安全委員会
 第4回発電用原子炉施設の安全性に関する総合的評価検討会
 3/7(水) 15時00分〜17時00分 中央合同庁舎第4号館2階
       共用220会議室 (東京都千代田区霞が関3−1−1)
 傍聴は14時から整理券配布中央合同庁舎第4号館北門前で行われます。
 こちら

3/9(金)には、原子力施設等防災専門部会 防災指針検討ワーキンググループ(第15回)が行われます。
 原子力安全委員会第1、2会議室(東京都千代田区霞が関3−8−1虎の門
 三井ビル2階)会議は14時から、傍聴整理券は13時から配られます。
 こちら

週末、日曜は3月11日です。東北地方太平洋沖地震・東日本大震災から一年が経ちます。本当にもう一年経つのか。と愕然としてます。 (H.H)

.. 2012年03月07日 13:12   No.366007
++ Y・T (中学生)…39回       
<テント日誌 3/5(月)>
   ―― 経産省前テントひろば 177日目 ――
    緊迫化する大飯3・4号機再稼動をめぐる攻防
    放射能被災と苦闘する農家は今・・・
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3月5日(月) 昨夜から降り始めた雨は一日中降り続いた。
 気温もぐんと低下。今日は近くの合同庁舎で、原子力安全委員会の第3回スレステスト審査書検討会が開催される。7日には第4回が予定されており、大飯3・4号機再稼動へ大急ぎでなんとしてもゴーサインを出そうという魂胆のようだ。
 斑目デタラメ委員長は、4月から規制庁に移行すると自分は関係なくなるからとなんでもいいから事を進めるという無責任極まりない態度。2次テストの評価が必要という自分の発言さえどこ吹く風、提出されている数々の疑問にも頬被りして突っ走る。傍聴席からは怒りの声が飛び交う。

 この日、保安院の審議官が福井県議会の全員協議会に乗り込んで説明を行ったようだ。「福島の知見を反映した暫定的な安全基準」という県の要求に対して、「高度な政治判断で対応する問題」といつもの逃げを打ったようだ。大飯原発再稼動をめぐる攻防はいよいよ緊迫化してきている。
 安全委員会の第4回審査書検討会は7日(水)15時から、中央合同庁舎第4号館(財務省の向こう隣のビル)2階共用220会議室です。傍聴は当日申し込みで、14時から整理券配布ですが、身分証明できるものが必要です。多くの人の参加を!

 テントに鴨川在住の友人Tさんが来訪。長年山形県新庄の有機農家グループとの交流があり、飯舘村とも5〜6年交流を続けてきたこともあり、福島の農家をも時々訪れているという。先日知人の親戚である二本松市の農家を訪れいろいろお話を伺ったので、そのことも含めて話をする。実はTさんとも交流があるそうだ。栃木や茨城の放射能被災下の有機農業家達がいろいろ研究努力し
ているその経験や報告をまとめた資料をいただく。この資料を二本松の農家にも送ることを約束。食物汚染にどう対処していくかという問題は、消費者の側からのみ考えるだけではなく、農業者の思いや努力の側からも考えられるべきであり、その相互の協力関係こそ築かれるべきものなのであろう。
 そこへ、EM農法の運動をしている青年が来訪。彼はそれで南相馬にもしばしば支援に訪れているという。有用微生物と農業と放射能をめぐる突っ込んだ議論が展開される。コンクリート街である霞ヶ関のど真ん中のテントで、このような話が盛り上がるとは・・・。

 夕刻、正門前でおばさん2人が「玄海原発 動かすな!」とマイクアピール。
1人の方は人前で声を張り上げて話したのは初めてだとか。でも何かが吹っ切れたそうだ。
 そのあと、テント内では原発をめぐる議論がいろいろな論点にわたって止むことなく続いていく。やはり世界は変わったのだ!そして変わらぬ原子力ムラと対峙する。                      ( Y・T )

.. 2012年03月07日 15:37   No.366008
++ M/O (幼稚園生)…4回       
<テント日誌 3/6(火)>―経産省前テントひろば 178日目
        暦のうえでは啓蟄であるが・・・
        「沈黙の春」か、脱原発への希望か

このところ週末や週明けはぐずついた天気になることが多い。正確に調べたわけではないがそんな印象である。先週は久しぶりの雪だった。そういえば今日は啓蟄である。
 「啓蟄や生きとし生けるものに影」(斎藤空華)。冬ごもりしていた虫たちも動き出すとされる日であるがそんな雰囲気はまだない。気候には何かの異変すら感じさせる。大震災や原発震災は生きとし生けるものにどんな影響を与えたのか。
 テントの前に座り込んでいる女性は熊本《水俣近辺》から上京され、福島に行く途中であるという。暮れなずむ霞ヶ関の光景を見ながらの話は弾んだ。彼女は九州でも自然に異変を感じていると話していた。例えば昨年は小鳥などの好物の赤い実《アオキの実など》がいつもはなくなるのに今年は残ったという。また、毎年見られるムクドリの群れの姿を見なかったとも。 放射能汚染が人間と自然の代謝関係(循環関係)を破壊することそれが自然の異変となって現象することは程度の問題はあれ予測される。人間の内部被曝と同じように被曝した自然も影響を免れないのである。自然と一体である動植物においては小鳥や小動物にそれはもっとも敏感に現れるのだろう。チエルノブイリでのその異変は報告されているが果たして福島はどうなのであろうか。あるいは日本列島はどうなのであろうか。  春は季節の中でももっとも華やかなものだ。「3・11」からの復興の時を
告げる春になるのか、それとも「沈黙の春」になるのか。伝えられる自然の異変については正確なデーターなどの開示が望まれるが僕らは敏感に反応する身体でそれを受けとめて行くしかないのである。生活の場での反応するもの《見聞するもの、知るもの》が根源になる。それを交換し合いながら対応を考える必要があるのだと思う。 テントではFさんが韓国の新聞の取材を受けていた。韓国では「緑の党」も結成され、脱原発の運動も活発化してきていると聞くが、果たして中国ではどうであろうか。原発事故は国境を超えて行くしその影響はアジア地域の全域に渡るわけだからアジア規模の脱原発の運動が必要である。僕らは日本での脱原発を実現するしかないが、アジアのことはいつも念頭においておくべきことだ。 夕方からはロフトプラスワンでのトークに出るために新宿に向かった。ロフトプラスワンの「トークライブ」に出るのは久しぶりであるが、3・11を前にして1年間を振り返る、またどうたち振舞うかのトークである。第一部は写真家の桃井和馬さん記録の映写であったが、大震災をあらためて想起した。  第二部のトークは多士済々で面白かったが、若い人たちの話が面白かった。僕の方は経産省前テントのことや再稼働をめぐる動きを話した。テントでこうした企画もあっていいのだろうと思った。脱原発の運動はこれからだし、希望があるというのがみんなの結論だがぜひそれに向かって進んで行きたい。 テントの中ではどうやら厳冬は過ぎたようだ。寝袋にもぐりこんでも寒いということはなくなった。これからも寒い日があるだろうがやがては「三寒四温」ということになるのであろう。思い切った春らしい活動に向かって行きたいものだ。深夜のテントでの不寝番で起きているメンバーでもそのことが話しあわれる。 「3・11」を体制や権力が一つの節目として新たな動きを開始することは予測されるが、我々も
それに対応する動きを準備したい。M/O

.. 2012年03月09日 11:43   No.366009
++ Y・T (中学生)…40回       
<テント日誌 3/7(金)― 経産省前テントひろば179日目>
   再稼働阻止へ原子力安全委員会の傍聴行動
   テントのカラーチラシは9日刷り上がる!3・11行動で活用を!
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3月7日 晴れ。今日、原子力安全委の第4回ストレストテスト審査書検討委員会が開催される。もしかしたら今日で検討を打ち切って承諾を与え、大飯3・4号機の再稼動へ一気に突き進む魂胆か、なんとかそれを阻止したいという決意も強く、2時頃から、合同庁舎4号館の前に人が集まる。一昨日は強い雨の中だったが、今日は晴れということもあり、40名程で前段抗議行動。次々とマイクで訴え。
 そして、3時前に傍聴のため入室。左側は報道関係用の席、右側は一般傍聴席。
報道関係では、テントによく顔を出すフリージャーナリストも来ている。一般傍聴席は圧倒的に
再稼動反対の人々。
3時近く、開会時刻が迫る頃、傍聴席から次々と立って訴え。
・ストレステストの2次評価はどうなっているのか、その提出が先決であり、一体的にしか評価しえないはず
・福島原発事故の検証が未了であるなか「福島事故を繰り返さない」など、言えないはず。
国会事故調の検証が終わるまで待つべきそして福井県現地の方からの訴えとして
・活断層の連動の評価がされていない、
・複数個所の破損の評価がされていないこと、等が訴えられる。
安全委員会は結局、そうした疑問には一切答えることなく、抽象的な質問と回答、そして
関電の「安全を守るという社長宣言の下・・・」という無内容な決意表明が延々と続き、そのたびに傍聴席から追及の発言、ということで2時間半は終了した。
 ただ、今回で打ち切りとはならず、次回は13日(火)に開催されることとなった。
3・11行動に続いて、次回は傍聴席を埋め尽くそう。
 それにここへきて、柏崎刈羽でも福井県の原発でも活断層の検討不足が指摘されており、再検討が課題となり、保安院による見直し作業全体の信頼性が揺らぎかねない状況との報道も出ている。
 テントに戻ってから、二本松市出身のKさんと、先日二本松に行ったときの話をする。
彼女の実家はどうやら私が伺った農家の地区とすぐ近くのようである。彼女は懐かしさもこみ上げ、話が弾む。
 テントの4色刷りカラーチラシは9日の昼間にも刷り上がるそうだ。写真がいっぱいはめ込まれたチラシである。
 11日には、福島でも東京でもこのチラシを多くの人の手に渡したい。
  (Y・T)

.. 2012年03月10日 10:00   No.366010
++ F・Y (幼稚園生)…1回       
テント日誌 番外編 <福島にて>
   (テント日誌3・10―182日目に代えて)
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『その日の空は鎮魂の色。白い涙が降っていた』
浅田次郎氏からもテントを激励される!

3月8日(木)
いよいよ、あの日から一年になってしまう。
苛酷事故により虐げられて不自由な生活を強いられた上に、更には将来への希望や展望も見出せないまま、福島の人々の一年が過ぎようとしています。
昨年の10月末に繋がった「福島の女たち」のその日を迎えるお手伝いと、3月10・11日に行われる『原発いらない!地球(いのち)の集い』を成功させたいとの思いが、微力ではあるけれども僕を福島の地に向かわせようとしていました。

今回の福島行きは前回と同じくQ氏と同行であったのですが、急遽、佐藤幸子さんをお送りする大役を仰せつかったのでした。深夜近くなっての出発。またも夜のドライブです。雪が降らなければ良いなと思いながらも、僕の心は一足先に福島に届いているかのように躍っています。
毎回、高速料金を節約するため水戸インターから福島への道行きですが、今回も案の定、磐越道の三春付近で雪に見舞われました。同乗者がいる時は運転手としては有難いものの、佐藤幸子さんに何かがあってはとの緊張感は大きなものでした。が、幸いにして日が上り、明るさを取り戻したので難所を問題なく通り過ぎることが出来ました。幸子さんもQさんもグッスリ眠っているように見えます。
しかし、緊張と眠気防止からか煙草を吸う回数が多い。
 『幸子さん、ごめんなさい!』
彼女が目を覚ましてからその事をお詫びすると、「眠っている間の事だから気付かないので、問題ないよ」と優しく言って下さいました。そして無事に福島に着くことが出来たのです。
 午後からの日本ペンクラブによる「渡利地区 父母たちの懇談会」に参加をしました。そこには懐かしい顔が・・・。中手さん、菅野さんなどなど。そして浅田次郎氏以下、下重暁子氏、吉岡忍氏そして中村敦夫氏など多くの文筆家などが
渡利の方々の声を真摯に聞いておられました。
中でもある方の「影響力のある文筆家の方がもっと放射能被曝の恐怖に晒されている私たちの声をひろめて頂きたい!福島の子ども達の苦労とその親たちの苦悩を伝えて欲しい!」との切実な訴えが僕の胸を打たずにいられませんでした。
終了後、浅田会長に個人的にお話させて頂けたので先日の小出裕章先生の時のように勇気を出してテントひろばの事を尋ねて見ましたら、「あの場所にテントを建てた意味は大きい。権力そして目指すべき敵の真正面に建てた事による心理
的影響は計り知れない」とおっしゃって下さいました。

.. 2012年03月14日 07:25   No.366011
++ F・Y (幼稚園生)…2回       
また、吉岡忍氏にもお話をして、テントひろばに来て下さるようにお願いをしました。お名刺を頂いたので更にお誘いしてみようと思っています。来て下さるかな???

夕方からは子ども福島の事務所に行きました。やはり3月になって暖かくなったのか雪にはならない雨が福島の街を包んでいました。明日郡山で行なう『野菜カフェ はもる』の即売所開設準備のお手伝いとして、案内表示のポスターを二
枚描きました。我ながらいい感じかな・・・?っと自画自賛。

この夜は椎名さん達のゲストハウスに泊まることに。遅くになって青森から二人の方がお着きになりました。イベントの一つである「小さな映画村」の関係者の方々でした。
色々お話している内に夜も深い時間になったので床に入ることにしました。心地好い充実感と明日への期待の中、静かに眠りの中に引き込まれて行くのです。
眼をつむると頭の中にいつ迄も『白い雪』が降り止まない。僕たちが享受してきた電気が福島の人々のご苦労と言い知れぬ犠牲の上の結果である事に、強く胸打たれ、悲しいほど身が引き締まるのでした。
であればこそ、この方々への謝罪を含め脱原発の拠点として、僕はテントひろばは「とつきとうかの女たちの座り込み」を支えなくてはならないとの思いを募らせるのでした。
10日の朝、目を覚ますと昨夜の雨は雪に変わっていたのでした。
続く (F・Y記)

.. 2012年03月14日 07:46   No.366012
++ Toku-san (幼稚園生)…1回       
<テント日誌3/11(日)>経産省前テントひろば183日目
   〜 東日本大震災で亡くなられた多くの方への追悼を胸に、
      世界中で「脱原発」を訴えた一日
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 多くの方が犠牲になった東日本大震災からちょうど1年目のこの日、福島をはじめ日本の各地、世界各国で、追悼集会・抗議集会が開催される事になっていた。東京の天気予報は、あいにくの「曇り後雨」だったが、午前中から晴れ間も出ている。何とか最後までもってもらいたい。
 テントのスタッフの多くが、郡山で開催されている県民集会に参加しているので、どの程度の人がテントに来ているか心配だったが、14時少し前にテントひろばへ着くと、既に多くの方が座り込みをされていた。いつもの日曜日の午後であれば、霞ヶ関周辺は人通りが少なく、のんびりとした空気が流れているが、この日は、抗議行動を前にどことなく緊張した雰囲気が漂っている。日曜
の泊まり当番のKさんもすでにテントへ来ており、お互いの行動予定を確認し、テントへ荷物を置いて、喪章を腕に巻き、日比谷公園の中幸門へ向かった。

 かもめ広場から日比谷公園に入り、集会場所に向かうと、すでに集会が始まっていた。主催団体の「首都圏反原発連合」の各団体の幟が立つ中幸門を中心に日比谷公会堂の前のスペースには、たくさんの人。ざっと見て、2000人はいるだろうか。集会参加者は老若男女。若い女性も多く、外国人の姿も多く見られる。そんな中、集会参加者に取材のため熱心にインタビューをする海外プ
レスの姿が目立っていた。遅れて着いたので、中心から離れた場所にいたが、スピーカーの音量が小さかったために、話がよく聞こえなかったのが、少し残念に思った。

 オペラ歌手ステファノ・ロドラさんの心の籠った追悼の歌唱の後に、東日本大震災が発生した14時46分に犠牲になられた方へ参加者全員で黙祷を捧げ、15時過ぎに最初の艇団の行進がスタートした。私は、知人が主催メンバーに入っている「エネパレ」が参加する第5艇団へ加っていたが、30分経っても日比谷公園の中で待機している人の数がなかなか減らなかった。後で聞いたのだが、集会中、デモ出発まで、集会場の後の方で待機していたグループがあり、直前に人数が増えたようだ。

 15時40分まで中幸門で待機していたが、なかなかスタート出来ないので、一度、テントの様子を見にテントひろばへ戻る事にする。経産省横の坂を上り、テントの方を見ると、人だかりが出来ている。「うーん、やっぱりいつもの某排外主義者の団体が来ているのか。」テントの前まで来ると、テント前で座り込みをしている人の前に、警官隊を間にして、テントのスタッフといつもの某
排外主義者の集団40人くらいが睨み合っていた。某排外主義者団体の人達は、相変わらず、差別的な表現で口汚なく罵っている。テントへ来て下さった方々へ嫌な思いをさせてしまった事を、本当に申し訳なく思う。某排外主義者の集団は暫くヘイトスピーチを行っていたが、日比谷公園を出発したデモ隊の第一艇団がテントひろばの前に来ると、戦々恐々となっていた。その後、ドラム隊
の大規模な第二艇団が通過した後に、状況を察したのか、早々に切り上げて帰って行った。

.. 2012年03月15日 11:54   No.366013
++ Toku-san (幼稚園生)…2回       
 その後も、次々とデモの艇団がテントひろばの前を通過して行った。デモ隊からは、「テントを守れ!」と嬉しいシュプレヒコールも。テントひろばにいらしていた人達も沿道で声援を送り、一緒にコールをし、お互いに手を振って、声援を送りあった。デモ隊がテント前を通過して日比谷公園へ向かうのとすれ違う格好で、デモを終えた多くの人達が、続々と日比谷公園方面から国会議事
堂へ向かって行った。事前の見積 もりでは、千数百人で国会を囲めると言う事だったので、間違いなく国会を包囲出来る人数だ。途中、テント広場へ寄って下さる方も多くいらっしゃり、本当に有難い。

 そんな中、右翼団体の街宣車が6台くらい訪れ、テントとデモ隊へ罵声を浴びせ始めた。警察車両がいたために大きな問題にならなかったが、国会包囲へ向かう人達と接触があったと言う事だった。用心のために国会包囲には参加せず、テントで、18時〜予定されている朴保(パク・ポー)さんのライヴの準備のお手伝いをすることにした。

 パラついていた小雨も上がり、セッティングがほぼ終了して、さあこれからという段階になって、音響設備の電源をとる発電機を貸し出している事が判明し、大慌てとなった。方々へ確認した結果、国包囲網へ参加した人が使用していることが判り、急いでテントへ返却してもらったが、結果開始時間が大幅に遅れてしまった。わざわざ、ライヴにいらしていただいたにも関わらず、お
帰りになった方もいらっしゃった様で、こちらの不手際で皆さんにご迷惑をおかけした事を大変申し訳なく思う。この場を借りてお詫びをいたします。「申し訳ありませんでした。」

 開始時間が大幅に遅れたにも関わらず、朴保(パク・ポー)さんは、約1時間半に渡って、心のこもった演奏と歌を披露してくれた。伝説の反原発ソング「もんじゅ」では、「もんじゅ、もんじゅ、もんじゅを無くそう」とテント前ひろばにいらした多くの方と一緒に歌い、大いに盛り上がっていた。ライヴの間、テントの中でお話をしたいと言う女性もいらして、中に入っていただき、
少しだけお話をする事が出来たが、ライヴの手伝いなどがあり、十分にお話する事が出来なかった。「懲りずに又いらして下さいね。また、お話しましょう。」

.. 2012年03月15日 11:59   No.366014
++ Toku-san (幼稚園生)…3回       
 ライヴが終了して片づけが終了した頃には、テントは通常の静けさを取り戻した。ライヴの間、受付でお名前を書いていただいた方の人数を数えたら、480名以上。記名していただいていない方も含めると、500名以上の方が訪問してくれたのではないかと思う。多くの人に来ていただき、たくさんのカンパも頂戴した。色々な事があった一日だったが、デモのコールで応援して下さった方も含め、本当に多くの人がテントの存在を知り、応援をしてくれている事を実感出来た一日だった。今まで、テントを維持するために手伝ってきて本当によかったと思う。

 翌日、全国各地・世界各国で開催された追悼集会や抗議行動について、世界中の報道機関が報道していた。日比谷公園のデモ・国会抗議行動に参加した人数は主催者発表で、約1万人。たんぽぽ舎のHさんに聞いたところ、議事堂前の議員会館の前の道路への立ち入り規制が行われていたために完全に包囲する事は出来なかったものの、ほぼ国会議事堂を包囲する事が出来、人間の鎖は三重になっていたらしい。まさに歴史に残る一日になったと思う。改めて主催された方々の努力と参加者の皆さんに感謝したい。「有難うございました。」

 また、この日は、ドイツ、フランス、ニューヨークなど、世界中で追悼集会や抗議行動が行われた。「3.11」は我々日本人にとって、決して忘れられない一日であるが、この日を「世界中の原発をなくすきっかけとなった一日」に出来るよう、これからも努力したいと思う。残念ながら、私は国会包囲行動に参加する事は出来なかったが、国会議事堂の抗議行動を終え、財務省の横の坂道
をテントひろばへ向かって降りてくるキャンドライトの幻想的な灯りの列は、鮮明に印象に残っている。この日は、一生忘れられない一日となるだろう。
                             (Toku-san)

.. 2012年03月15日 12:59   No.366015
++ Q (小学校高学年)…21回       
<テント日誌3/12(日)>経産省前テントひろば184日目
   〜テントひろばの持続性と先鋭的活動の弁証法
     ついに民意はテントを多数派として支えた!
───────────────────────────────────
 昨夜、朴 保バンドは、霞ヶ関から国会へ向けて、「もんじゅをとめよ!」
他、既存のメディアでは聴くことのできない先鋭的なメッセージ性の濃密なレパートリーの一端を披露した。
 アフリカン・ビートを伝えるアフリカのジャンベイスト、ユーラ、韓国のソプラノ・サックス奏者ケニー・オム(通常はアルト・サックス)、少壮ながら実力十分のベーシスト、大ちゃん、そして、飛び入りで、参加してくれた天才、スグル。約一名、正体不明のQというパーカッショニストもご愛嬌だった。ひそかに茨城のデイランさんも応援してくれていた。トーキング・ドラムで踊り
こんできた青年もいた。
 闇の中で、敵とも味方ともつかぬ観衆相手、そのなかには、休日残業している官僚たちもいた。しかし、HさんのPAワークで、朴さんも演奏後、それほどの残念を表明してはいなかった。限界状況でのノーリハぶっつけ一本勝負だったが、今までこの歌手を知らなかったことを後悔するという人々が少なくなく出現した。このライブの記録を拡散したい。

 問題は、そのメッセージ性に、過剰反応する人々の「苦情」だが、しかし、この日の夜まで、そのような人は、一人も現れなかった。演奏中に抗議され方は、よくある観衆のタイプで、音楽性の前にメッセージ性に鋭く反応する純粋政治言語派で、意外に、日本の風土によくある現代音楽知らずに過ぎなかった。
しかし、反応してくれていることは、まずは、いいことなのだ。
 国会周辺、日比谷公園だけで、脱原発の示威行動は、2万人を超えていた。
主力が、福島県郡山に行っていたのだから、この2万人は、貴重な人々だった。
Hさんとは、ライブを宣伝しないで、ゲリラ的にやろうということにしていたのが、ちょっと問題だったかもしれない。それもこれも排外主義集団にライブをつぶされないためのことだった。世界連帯の可能性を占いたかった。
 この日の東京新聞は、フランスの6万人、台湾の1万人の脱原発デモを横並びで報道した。朴さんは、国際的なミュージシャン。あの「聖なる魂」のデニス・バンクス氏からもメッセージが届いていた。


.. 2012年03月15日 14:46   No.366016
++ Q (小学校高学年)…22回       
 午後、第12回 原子力安全委員会臨時会議に駆けつける。「こうした大事故を阻止できなかったことをお詫びしたい。現在のところ、福島原発第一の事故の総括は現実にできていない。原子力発電の安全設計上の指針は重大な欠陥があることを認めなければならない。むしろ、積極的に、見直したい! 見直しの完了した時点で、また新たな取り組みがありうるだろうが、現在のところ、
現実には、なんともいえない」

 これは、誰のことばでしょう? あの京大原発批判派のひとりのような‥
あっさりこういってのけたのが、ほかならぬ、安全委員会委員長斑目氏だったのです。結局、Kさんたちの委員会での傍聴席からの非難叱正は届いていたわけ。そして、この席でも、K氏は立ち上がり、斑目氏に、傍聴席を会議場現場から隔離すること、そして、二次評価の日程非公開を、詰問した。
 彼らは、こちらの熱誠を背中で軽く受け流す。あんな態度では、芸能界なら、三日と持たないだろう。悪名科学者として、歴史には、ポジティヴには残らない。三日天下科学技術者版にすぎない。このひとポジティブな人間の歴史を核分裂・爆砕させてしまったひどい犯罪的存在であるにもかかわらず、原子力業界で君臨した。そして、10分ほど、人間のようなメッセージをつらつらと述べて去った。また、なにくわぬげに第二の斑目が現れ、第二の福島事故を起こす。
 闘いは、先鋭にならざるを得ぬ。多数派となっても、1パーセントに属する権力派にとって、小生など、ノイズにもなってはいない。3月は、役人にとって、ヒット&ラン・アウェイのもっとも無責任を謳歌する頃合だろう。しかし、被害の累積は、桁違いに大きい。この大きさは、USAに放射線を浴びせられる日本人被害者から、世界に放射線をあびせる加害者日本人に消される被害
者日本人への変異であり、斑目氏ももはや、逃げ腰であることが、日々明らか。
無責任なまま加害責任の椅子から逃げおおせようとする日本的ダーティ・ヒーローは、固有の悪から共同体の悪となって個人の罪から解放されることになる。
 さて、4月はもっとも残酷な月となるだろう!今までどおり始めれば、この国は終わる。                         (Q記)

.. 2012年03月15日 15:11   No.366017
++ M/O (小学校中学年)…12回       
<テント日誌3/13(火)>経産省前テントひろば185日目
    韓国国会議員の来訪―韓国の脱原発運動も急展開
    なりふり構わぬ再稼動への動きに対峙して
──────────────────────────────────

 『3・11』を前後する動きの余韻がまだ身体の一部に残っていて動きが鈍い。
こんなことじゃいかんと急いでテントに向かう。テントの前に座り込んでいた
ら韓国の国会議員が激励に訪れた。TPPの件で日本を訪問中の韓国の民主労働党の議員である。外国のメディアのテント訪問は多いが国会議員等は少ない。以前にドイツの緑の党の議員などが訪れたことがあるだけだ。

 韓国では「緑の党」も結成され脱原発の動きも伝えられるが、民主労働党は以前から脱原発をめざして活動してきたと語っていた。民主労働党は民主労働運動を母体にし、座り込みや籠城闘争などをやってきたのでテント闘争には親近感があるのだという。テント闘争の発端から現在までを質問に応じながら説明するが重要な話も聞けた。
 韓国は首長国連邦に原発輸出に成功した。この原発輸出は日本などに競り勝ったもので李明博大統領は大変な自慢のしろものだったらしい。
 しかし、国会でいろいろ追及するとこれは長いローンで拘束され、その金利は韓国がこのために外国の銀行から借り入れたものより低く差額は韓国の負担になっている。事故発生の場合の責任など付帯事項は大変きつい契約になっている。技術力の勝利と宣伝だったが韓国側の負担の多い契約条件がその実態だった。
 これらは国会での追及で明らかになったのだという。こうした無理をした原発輸出では安全面での歪が強くはないのだろうか。そんな疑念を語っていた。果たして日本の原発の実態はどうなのだろうか(?)と思う。

.. 2012年03月16日 07:42   No.366018
++ M/O (小学校中学年)…13回       
彼はまた、日本と韓国と台湾などを含めたアジア全域での脱原発運動の連帯を考えたいとも語っていた。韓国も台湾も脱原発の運動はこれからだという局面だが東アジアでの脱原発運動の連帯も急速に進んで行くものと思われる。
新聞では韓国の釜山での原発事故とその処理について報道されている。その隠ぺい体質は日本と似ているが場合によれば福島と同じことが起きていたかも知れない。この釜山での事故を日本の福島以外の原発での事故と同じこと考えるべきである。もはや原発事故に国境はななっている。韓国などの運動との連帯を深めて行きたいと思う。

 ある程度は予測していたがこうも露骨とは思えなかった。再稼働の動きである。「先頭に立つ」だって。それならばまず国民の前で原発を存続させる理由を語ってみよ。政治的判断ならその政治的理由を語れ。電力不足。冗談じゃないぜと言いたい。
 テントから少し向こうの内閣府のある合同庁舎では内閣府原子力安全委員会の検討会が開かれていた。これは経産省原子力安全・保安院が大飯原発3・4号機の第一次ストレステストを妥当とした評価を確認するものである。傍聴人を締め出してのやり方である。テントからも抗議の行動に出掛けた人もいたが、保安院前や経産省正門前での抗議行動を遅くまで続けていた。
 国民の合意を得るということを自分たちに賛意を示すものだけでやる、というのは「やらせ」ではないのか。懲りない所業ではないのか。

 もともと福島第一原発の事故当初から原子力ムラは今春の原発稼働停止後の戦略を練ってきた。原発再稼働→原発保存であるが、この構想のなかにストレステストが組み込まれそれを儀式《手続き》として最大限利用することにしたのだ。だから、彼らに取っては手続きが満たされればいいだけだ。
 権力側は保安院や原子力安全委員会が廃止され原子力規制庁に衣替えする前に大飯や伊方の再稼働の道筋をつけたい。原発稼働ゼロになることを避けるために、大飯や伊方の再稼働の儀式を済ませて再稼働させたいのだ。既成事実の積み上げに弱い日本人の心性を利して悪あがきだ。我々は政府の動きを射程にいれて再稼働阻止のために闘う。経産省前テント広場も本格的な対峙に入らね
ばならない。                         (M/O)

.. 2012年03月16日 14:20   No.366019
++ Y・T (中学生)…41回       
<テント日誌 3/14(水)―経産省前テントひろば186日目>
   テント全体会議で 3・25福井現地集会への参加と
   3/23〜26経産省前連続行動を決定!〜全原発停止か再稼働か〜
───────────────────────────────────

 3月14日(水)テント全体会議が開催された。3・10ー11の福島ー東京ー全国ー全世界を結ぶ反=脱原発行動の高まりに立って、全原発停止を間近にして急ピッチとなっている大飯原発3・4号機の再稼動の動きに、さらに前へ!と
踏み出していく闘いが議論された。
 テントは9・11−19からこの3・10−11へのいたる半年間に重要な役割をはたしてきた。そして3・10−11の大行動は一つの画期を創り出した。
他方にはこの間の原子力安全委員会の動きがあり、野田首相の「再稼動の先頭に立つ」という表明がある。闘いは新しいステージに達し、3月下旬〜5月初旬(泊3号機の停止)には全原発停止か再稼動かをめぐる重大局面を迎える。
 再稼動阻止!をなによりも中心スローガンとしてきたテントも、一歩前へと進み出していくために、以下のような諸行動を確認した。

・原発に反対する福井県民会議が、大飯原発再稼動に反対して全国に呼びかけている「3・25 福井現地集会」に参加する。そして全国の原発現地でテント行動のような行動を広げていこうと呼びかける。
・3/23〜26の4日間、経産省前連続行動を行う。(テント前集合)
  23日(金)午後6時〜7時 当日は、その前段で緊急会議による関電支社への抗議申し入れ行動
  24日(土)午後4時〜5時 当日はその前段で1000万人署名集約集会(日比谷野音)テントビラ配布活動・・・→デモ
  25日(日)午後4時〜5時 福井の現地集会に呼応
  26日(月)午後6時〜7時 当日はその後、柏崎刈羽6号機停止=東電管内全原発停止での東電前行動に合流(午後7時)
・午前午後のテントの態勢を強化する。(ローテーション体制を確立する。)
 このところ昼間や夕刻時の右翼の襲来が多くなっており、備えを強める。
全原発停止か再稼動か いよいよせめぎ合いが煮詰まってきています。(Y・T)

.. 2012年03月17日 08:51   No.366020
++ 椎名千恵子 (幼稚園生)…1回       
<テント日誌3/15(木)――経産省前テントひろば187日目>
   右翼の襲来に、テントに緊張走る!
   再稼働阻止に向けてテントひろばでのアクションを!
───────────────────────────────────

 3月15日(木)晴れ。風が冷たく、強く吹き付け、テントもバタバタとはためく。
午後、テントの前では沖縄から来られた方を中心に「おもいやり予算を被災者支援の基金へ」の署名活動が行われている。だが、沖縄訪米団の院内報告集会が始まり、風の強いこともあって、開店休業状態に。テントには静かな時間が流れて
いた。
 午後5時頃右翼の街宣車6台がやってきて、内4台が歩道に乗り上げ、テントに突っ込むような態勢で、テントに30センチほどのところで停車し、例の大スピーカーでがなり立てる。数人の制服警官がそれを見やっている。
 しばらくして警察が車道に降りるよう指示して街宣車は引き下がったが、今度は10数人が車が降りてきてテントの押しかけてくる。テントの入り口のところで数名と対峙しあう。そして何名かでテントを揺さぶる。裏側にも回ったのか、奥の方でも揺さぶっている。テント内で内側からテントを支える。裏側に見回りして追い返す。
 そういう状態がどれほど続いただろうか。ようやく5時半過ぎに捨て台詞を残して街宣車は引き上げた。
 以前、11月7〜8日頃やってきた団体のようであったが、今までにない行為であった。
それは野田首相の「再稼動の先頭に立つ」に呼応するかのごとき、「テント破壊撤去の先頭に立つ」とでもいうような振る舞いであった。
 いや事実、政府の世論をも踏みにじっての再稼動への強行突破の姿勢が右翼のそういう行動を呼び起こしているのだろう。再稼動をめぐる攻防とテントをめぐる緊張は深く結び付いている。警察の対応も変わってきているように感じられる。
 この夜、テントには報を聞いた多くの人が集まり、遅くまで議論が続いた。
 テントひろばに集まって下さい。そして再稼動阻止へのテントひろばでのアクションを繰り広げ、それをテント防衛体制の強化と結びつけよう。
先日の全体会議での確認を再度記しておきたい。

・3/23〜26の4日間、経産省前連続行動を行う。(テント前集合)
   23日(金)午後6時〜7時 当日は、その前段で緊急会議による関電支社への抗議申し入れ行動
   24日(土)午後4時〜5時 当日はその前段で1000万人署名集約集会(日比谷野音)テントビラ配布活動・・・→デモ
   25日(日)午後4時〜5時 福井の現地集会に呼応
   26日(月)午後6時〜7時 当日はその後、柏崎刈羽6号機停止=東電
管内全原発停止での東電前行動に合流(午後7時)
・午前午後のテントの態勢を強化する。(ローテーション体制を確立する。)
 このところ昼間や夕刻時の右翼の襲来が多くなっており、備えを強める。

★「福島と世界をつなぐ――第2回テントひろば応援の集い」
   3月17日(土) 午後6時半〜9時  スペースたんぽぽ
  参加費800円(学生400円)
  ◎DVD「FUKUSIMA Never Again」上映
  ◎お話 (原発いらない福島の女たち/子ども福島 世話人
   東京都フクシマ村村長として、「未来をはらむ女たちのとつきとおか行動」実行中

.. 2012年03月18日 08:09   No.366021
++ タッチー (小学校低学年)…6回       
<テント日誌3/16(金)>経産省前テントひろば188日目
    米国ヴァーモント州からメッセージキルトを持参
    テントでの上映会『We 命尽きるまで』『みなまた 海のこえ』
───────────────────────────────────

3月16日(金)晴れ。
 映画会の準備にテントに到着すると、福島第一原発と同じマークT型の原子炉の廃炉をめぐる攻防の最中にある米国ヴァーモント州から、77人の手書きメッセージを縫い合わせたキルトを持参して来訪されていた。また渋谷のアップリンクという映画館(先週、『プリピャチ』上映のアフタートークに佐藤幸子さんが出演した折り、テントひろばのリーフをチラシ置き場に置かせてもら
えるようお願いした)で、その素敵なイラストのリーフレットを見てきたという広島の大学の先生、これからテントのローテを支えようとしている方などが来訪されていて、話が盛り上がっていた。

 バッテリーの具合も良くないらしいということで、早めからバタバタと映画会の設営と準備。同時に明日の「福島と世界をつなぐテントひろば応援の集い」の資料準備で郵政省のコピーやさんへ。コピーの調子も悪く手間取り、結局配布しようかと思った椎名さんの山里刻(やまざととけい)の記事は、回覧することに。(カラー写真も多く、また脱原発でエコじゃないのはオカシイと
いう思いがあり、印刷物を減らしたいということで。)

 米国ヴァーモント州から福島へのメッセージキルトの和訳もそのまま配布しいのですが、以下、77人のメッセージのうち一紹介ということで。

1.私たちは、みんな、あなたひとつ。原発のない地球を。
2.生きて、証人となって下さい。勇気を持って抵抗して下さい。あなたが必
  要です。
3.“木々は、地球が空を背景に書いた詩である。人間は、紙をつくるために
  木を切る。自分たちのむなしさの記録を残せるようにと。”(インディアン)
4.家族一同より、会い、平和、幸福をお祈りしています。(8歳)
5.これから一生、この地球上からの核廃絶を目指して運動していくことを約束します。そして、あなたの子ども達が幸せに暮らしていけるように。


.. 2012年03月20日 09:58   No.366022
++ タッチー (小学校低学年)…7回       
 17日の「福島と世界をつなぐ経産省前テントひろば応援の集い」にはキルトをお借りして77人の和訳分とともに参加者にお披露目したいと思います。
 とついとおかのテントひろば行動のイベントとして取り組んだ藤山顕一郎監督作品の映画会は、日が暮れてから10数名の仲間が集まり、『We 命尽きるまで』をわいわいと、経産省前テントひろばを作り支えてきている面々の5年前の姿に湧きながら堪能しました。
 2007年6月15日、東京・日比谷野音での1200人の全学連・全共闘学生運動OBたちが「9条改憲阻止」の一念の下に、40年ぶりに党派を超えて一堂に会した奇跡の集会を軸に、そこに至る経過、過去の映像などが盛り込まれた興味深い作品。「こういうことがあってテントはできたのだ」ということが伺えます。まさに脱原発テントの原点!
 後で40代の女性が「私もあの場に行って、あの赤いたすきを掛けて、一緒にシュプレしたかった」って。その発言に一同再び感激!上映して良かった!

 『みなまた 海のこえ』 同名絵本の映像化、スクリーンで観るとあの美しい色彩が一層鮮やかに輝きを増します。丸木俊・丸木伊里さんの「絵」、石牟礼道子さんの「詩」の朗読がチッソ本社座り込み闘争のリーダー川本さんのお嬢さんというのも感無量。水俣と福島には共通点がると言われます。公害も放射能も防ごうと思えば防ぐことができたのに、事実が隠蔽されて被害が拡大した。被害の繰り返しは許されない。

 上映後、プロデューサーや椎名さんも囲み、予定時間をオーバーして語り合い、また上映会をという声が上がりました。テントひろばでの上映が原発シングルイッシュー限定でなければならない、というのはおかしいのでは・・・というのが、大方の意見。
 「襤褸の旗」が観たいという声がありました。福島からの「押し出し」が成就することを支えていきたいという思いでの意見です。    (タッチー)

.. 2012年03月20日 17:35   No.366023
++ たんぽぽ舎 (社長)…656回       
<テント日誌3/15(木)――経産省前テントひろば187日目>
   右翼の襲来に、テントに緊張走る!
   再稼働阻止に向けてテントひろばでのアクションを!
───────────────────────────────────

 3月15日(木)晴れ。風が冷たく、強く吹き付け、テントもバタバタとはためく。
午後、テントの前では沖縄から来られた方を中心に「おもいやり予算を被災者支援の基金へ」の署名活動が行われている。だが、沖縄訪米団の院内報告集会が始まり、風の強いこともあって、開店休業状態に。テントには静かな時間が流れていた。
 午後5時頃右翼の街宣車6台がやってきて、内4台が歩道に乗り上げ、テントに突っ込むような態勢で、テントに30センチほどのところで停車し、例の大スピーカーでがなり立てる。数人の制服警官がそれを見やっている。
 しばらくして警察が車道に降りるよう指示して街宣車は引き下がったが、今度は10数人が車が降りてきてテントの押しかけてくる。テントの入り口のところで数名と対峙しあう。そして何名かでテントを揺さぶる。裏側にも回ったのか、奥の方でも揺さぶっている。テント内で内側からテントを支える。裏側に見回りして追い返す。
 そういう状態がどれほど続いただろうか。ようやく5時半過ぎに捨て台詞を残して街宣車は引き上げた。
 以前、11月7〜8日頃やってきた団体のようであったが、今までにない行為であった。
それは野田首相の「再稼動の先頭に立つ」に呼応するかのごとき、「テント破壊撤去の先頭に立つ」とでもいうような振る舞いであった。
 いや事実、政府の世論をも踏みにじっての再稼動への強行突破の姿勢が右翼のそういう行動を呼び起こしているのだろう。再稼動をめぐる攻防とテントをめぐる緊張は深く結び付いている。警察の対応も変わってきているように感じられる。
 この夜、テントには報を聞いた多くの人が集まり、遅くまで議論が続いた。
 テントひろばに集まって下さい。そして再稼動阻止へのテントひろばでのアクションを繰り広げ、それをテント防衛体制の強化と結びつけよう。
先日の全体会議での確認を再度記しておきたい。

・3/23〜26の4日間、経産省前連続行動を行う。(テント前集合)
   23日(金)午後6時〜7時 当日は、その前段で緊急会議による関電支社への抗議申し入れ行動
   24日(土)午後4時〜5時 当日はその前段で1000万人署名集約集
会(日比谷野音)テントビラ配布活動・・・→デモ
   25日(日)午後4時〜5時 福井の現地集会に呼応
   26日(月)午後6時〜7時 当日はその後、柏崎刈羽6号機停止=東電管内全原発停止での東電前行動に合流(午後7時)
・午前午後のテントの態勢を強化する。(ローテーション体制を確立する。)
 このところ昼間や夕刻時の右翼の襲来が多くなっており、備えを強める。

★「福島と世界をつなぐ――第2回テントひろば応援の集い」
   3月17日(土) 午後6時半〜9時  スペースたんぽぽ
  参加費800円(学生400円)
  ◎DVD「FUKUSIMA Never Again」上映
  ◎お話 椎名千恵子さん(原発いらない福島の女たち/子ども福島 世話人
   東京都フクシマ村村長として、「未来をはらむ女たちのとつきとおか行動」実行中

.. 2012年03月21日 09:13   No.366024


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