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■--涼しい8月 お盆明け心配
++ 東京新聞 (社長)…3513回          

涼しい8月 お盆明け心配   (ふくしま作業員日誌 56歳男性)

 お盆には、原発事故が起きたときに住んでいた街にある墓と、避難して
今住んでいる街にある墓を子どもたちと一緒に回る。俺やかあちゃんがい
なくなった後、どうするか教えないと。
 事故当時、幼かった子どもたちも社会人になった。それにしても2年半
前に能登半島地震があって、今回の熊本地震…。イオンモールの爆発や日
本製紙の煙突倒壊のニュースを見て、15年前の震災のときのことを
思いだした。

 今年は珍しく梅雨らしい梅雨だった。梅雨が明けないうちに暑さも湿度
も上がって、かなり暑い夏を覚悟したけど、8月に入って涼しい。
 とはいえ、イチエフ(福島第一原発)には装備がある。
 湿度が高いと、全面マスクや防護服を着るときは、動くとすぐ汗で
びしょびしょになる。
 作業前に防護服の上から冷感スプレーをシュッシュッとかけると、
10分、20分は涼しい。

 防護服の上にビニールかっばを着なくちゃならない作業の日は、結構、
体に負担がくる。これは何年着ても慣れない。最初からガーッと動くと
バテるので、ゆっくり動く。
 作業前、慌ててかっぱまで着て準備するやつもいるけど、体力を消耗す
るので「作業が始まるぞー」と言われて現場に向かう直前に着ろと教える。
 熱中症だけは出さないように頑張っている。

 物価が1.5倍とか2倍とかどんどん上がっているから、みんな生活が
大変。原発事故後に社会保険の加入が義務化したり、ガソリンが上がった
りで会社の負担も増え続けている。
 事故後、ほとんど給料が上がってないので、何とかして給料を上げたい
けど、現実はなかなか厳しい。

 毎年、お盆休み明けは体がすごくつらい。
 それにこのお盆休みはびっくりするほど涼しいから、休み明けに気温や
湿度が上がったらきつさが増す。
 休みてぇと思うけど、出てこねぇと俺らの仕事は始まらない。
休み朋け、全員そろっているといいな。(聞き手・片山夏子)
(8月15日「東京新聞」朝刊19面「こちら特報部」
より)
.. 2026年08月20日 08:15   No.3530001

++ 東京新聞 (社長)…3514回       
◆「軍艦島」に到着せず 鎌田 慧(ルポライター)

 ピースボートが長崎に寄港した時、「軍艦島」見学のツアーがあると
知って申し込んだ。長崎には何度か来ていたが、訪間したことがなく未練
が残っていた。
 「端島」が正式名称だが、戦艦にそっくりなのでその名前になった。
 かつての普通の無人島は、明治初期から海底の炭鉱開発が始まり、鍋島
家から三菱が買収して最深部1080mでの採炭作業になった。南北480
m、東西160m、約6万3千平方mの小島に最大5300人、世界一の人口
密度と言われた。

 人工的に開発された島が知られるようになるのは、立錐の余地もない
ほどにコンクリート製のアパートを積み上げた営為だった。
 l974年、石炭産業の衰退を受けて閉山。繁栄から荒廃へ。風雨に晒さ
れ、無人の廃虚と化して産業社会の末路の表象となった。集まり散じた労
働者や家族はどうしているだろうか。
 あるとき、子どもたちの遊び場に「中国人捕虜」の施設が造られ立ち入
り禁止になった。

 敗戦後、朝鮮人ともども彼らが帰国すると、1600人の労働者が594人
に激減した(加地英夫『私の軍艦島記』)。
 2015年、明治日本の産業革命遺産の構成資産として「世界文化遺産」
に登録された。
 実はツアーは、台風接近の情報で上陸禁止。島の周囲を2周ほどして
長崎港に寄港した。残念。
(8月11日「東京新聞」朝刊19面「本音のコラム」よ
り)

.. 2026年08月20日 08:21   No.3530002
++ 東京新聞 (社長)…3515回       
日・ア(アラビア語)ことわざ協奏曲 師岡カリーマ(文筆家)

 這っても黒豆。本紙7月 31 日「筆洗」で初めて知って感心した諺(こ
とわざ)だ。
 「黒豆だ、黒い虫だ」と言い争っているうちに這いだしたが、それで
も黒豆と言い張る」。
 つまり明らかに間違いなのに自説を曲げない頑固者のたとえで、食品
の消費税を2年間1%に引き下げるという高市首相の決定に関するコラ
ムで紹介された。

 この諺のエジプト版を挙げるなら「雄牛だと言っても乳を搾れとまだ
言い張る」。財源なき消費税削減に、この諺もピッタリだ。
 ない乳をどう搾り出すのだろう。諺はどちらもユーモラスだが、
それが表す現実は怖い。
 もっとも後者は、頑固者だけではなく、道理が通じない無茶な人のたと
えでもある。
 同じアラビア語でもシリア風にそれを表現するなら「路地は狭いのに
ロバは蹴る」という諺が浮かぶ。
 こちらの場合は、怪我人が出かねないからもっと怖い。

 アラビア語は、源流である遊牧民も、後にアラブ化した農耕地域も、
家畜文化なので動物に特化した単語が多い。状態や性格別のラクダを表す
単語だけで千語に及ぶ。馬やロバに関する言葉も劣らず豊富で、これら
の動物が後脚で宙を蹴る動作を表す「ラッファサ」は通常、人には
使わない。
 専用の動詞があるくらいだから蹴るのはこれら素晴らしい動物の特性で
あって、怪我人が出てもロバには悪気も罪もない。
 狭い路地に引き込む人間が悪いのだ。
        (8月15日「東京新聞」朝刊19面「本音のコラム」より)

.. 2026年08月20日 08:26   No.3530003
++ 中日新聞 (小学校高学年)…26回       
磁界発生装置内で電気系統の機器が損傷
  大飯原発3号機の自動停止トラブル

 関西電力大飯原発3号機(福井県おおい町)が自動停止したトラブルを
巡り、関電は19日、発電に必要な磁界を発生させる装置内で電気系統の
機器が損傷していたと発表した。
 今週末にメーカーの工場に装置を送って分析する。
 運転再開の時期は未定。
 関電や福井県原子力安全対策課によると、電流を交流から直流に換える
装置内部の機器が損傷していた。
 電流を変換する半導体を囲むアルミ板が溶けたり、固定するボルトが折
れたりしていて、数百度以上の高熱にさらされたとみられる。
 装置は定期検査ごとに絶縁機能などを確認しているといい、前回検査で
問題はなかったという。 (後略)    (8月19日「中日新聞」より抜粋)

.. 2026年08月20日 19:48   No.3530004
++ 東京新聞 (社長)…3516回       
会社法見直し議論 株主提案権に制限も 「脱原発」封じ?
  市民団体憤り 議決権「1%以上」一本化懸念「物言えなくなる」
  「乱用」が理由というが… 物言う株主影響なし
  原発回帰の政府 厳格化推し進め
  「政府批判や不都合な声 抑止が狙いか」

 現在、法制審議会(法相の諮問機関)の部会で進められている会社法の
見直しを巡る議論。
 政府が提示した中間試案は、株主総会での株主提案権の制限につながる
内容で、脱原発などを訴えて電力会社に株主提案をしてきた市民や弁護士
らから批判の声が上がっている。
 政府が「貯蓄から投資へ」を呼びかける中、株主による企業監視が否定
されかねない。
 企業側有利の見直し議論は、なぜ進められているのか。
                 (坂田奈央、佐藤裕介) (後略)
     (8月14日「東京新聞」朝刊16-17面「こちら特報部」より抜粋)

.. 2026年08月20日 19:53   No.3530005
++ 東京新聞 (社長)…3517回       
戦死者を英霊と呼ぶな 前川喜平(現代教育行政研究会代表)

 高市早苗首相が終戦の日の靖国神社参拝を見送ったのは、彼女にもそれ
だけの理性はあったというこどだろうが、「日本国のトップになったら参
拝を続けたい」と発言していたこととの整合性はどう説明するのだろう。

 戦死者を「英霊」として祀(まつ)る靖国神社は、戦死を美化し、貴いも
のとすることで、国民を戦争に駆り出すことを容易にするために創出され
た国家的装置だった。

 「九段の母」という戦時歌謡には「こんな立派なお社に神と祀られ勿体
なさよ。母は泣けます嬉しさに」という歌詞があるが、子を亡くした悲し
みを無理やり「嬉しさ」に変換する装置でもあった。

 実際には、兵隊を消耗品のように使い捨てにしたのが旧日本軍だった。
 牟田口廉也中将が指揮したインパール作戦では約3万人が死んだが、餓
死が多かったという。参謀将校は「(自軍の兵隊を)何千人殺せばどこが
取れる」という言葉づかいをしていたそうだ。

 特攻隊では約4千人が命を落としたが、その首謀者とされる大西瀧治郎
海軍軍令部次長は、ポツダム宣言をめぐる御前会議の前に東郷茂徳外相の
前に現れ「2千万人の特攻を出せば勝てる」と主張したという。
 こんな戦争指導者によって無駄死にさせられたのが日本の兵隊だった。
 彼らは痛ましい犠牲者だ。英霊と呼んで賛美してはいけない。
     (8月16日「東京新聞」朝刊17面「本音のコラム」より)

.. 2026年08月20日 20:00   No.3530006
++ 東京新聞 (社長)…3518回       
痛恨と決意の8月         鎌田慧(ルポライター)

8月6日・9日。そして15日。二度と戦争はしない、との誓いと
決意を新たにする月である。81年前、ラジオの前に正座していた両
親の後ろ姿が思い浮かぶ。玉音放送だった。その日から戦争はなく
なった。それまでクレヨンが折れるほど力を込めて敵機との空中戦
を描いていた。

 空襲にも遭わず戦死した肉親もいない。満州など旧植民地からの
引き揚げ体験もない。それでも、陸軍第8師団司令部が自宅近くに
あって、「建物疎開」という強制退去の地域に組み込まれ、東北の
農村に移住させられた。自宅の取り壊しが始まったときに敗戦。
ようやく、半壊で済んだ自宅に戻ることができた。
 その後、同年代の少年たちが体験した、内外での膨大な死や苦難の
生活を少しずつ知るようになった。戦争の直接的な被害経験がなくて
も、生き残った90代、80代に「反戦」「非戦」が圧倒的に多い。
それは平和精神のエッセンス「憲法9条」を中心とした平和教育と
平和運動の力だった。
やがて、朝鮮戦争による「特需」が発生、旧加害国日本の経済復
興という予想外の事態となった。それでも、ベトナム戦争に反対す
る運動が起き、ヒロシマ、ナガサキの被爆者運動と平和運動は続い
てきた。高市首相は日本武道館から靖国神社を遥拝(ようはい)し
てみせ、私費で玉串料を奉納。右派岩盤への迎合を示している。
(8月18日「東京新聞」朝刊17面「本音のコラム」より)

.. 2026年08月23日 07:44   No.3530007


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