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■--テント日誌
++ Y・T (小学校低学年)…6回          

テント日誌 11/28(月)
    テントの照明完備と駆けめぐるニュース
     ―― 経産省前テントひろば 79日目 ――

11月28日(月)、鉛色の曇天がたれ込め、寒々しい雰囲気は冬の到来を感じさせる。しかし、意外に暖かい。深夜の不寝番もそんなに寒さを感じはしなかった。
 それにしても1週ぶりの泊まり込みで、寝袋、毛布、敷物、布団がいっぱい増えていることに驚く。こんなにも差し入れが届いているのだ。
昨日の電源関係のセッティングに続いて、今日は照明のセッティングがなされる。これで2つのテントは会議であれ食事であれ、灯りに煩わされることはない。
 午前中に川俣町の牧場主Yさんが来訪。当時豚を1万頭飼っていたという。
一応全部 避難させはしたが、それでも結局ダメになったという。辛い思いがあり多くは語らなかったが、内にこめた無念さや怒りが伝わってくる。農水省へ行く途中に立ち寄ったのだという。
 愛媛県松山市の女性が2時間ほどテント前で座り込み、カンパもいただく。
帰り際「伊方原発をなくしたい」と涙目で、周囲の人達に分かれを告げていく。
 午後からはテント前で賑やかな歌声が。若い女性の一団に小父さんたちが加わって、青空歌声喫茶よろしく大声張り上げて唄っている。久し振りの発声も楽しかった。

 夜、福島第一原発の吉田所長の入院・退任のニュースが伝わってくる。詳細は個人情報のため非公表だという。先日のマスコミ取材時に事故後の被曝線量について聞かれた折、「個人情報」ということで答えなかったことへの「AERA」の疑問というか批判を目にしたばかりであった。
 すぐに作業員はどれほどの被曝をし、どれほどの症状を呈しているのだろうかと、考えさせられる。個人情報ということで闇に葬られるケースも多いのだろうか。さらには、伝え聞いている、山下の福島県立医大副学長就任以降の福島医療界への深い憂慮と、高放射線量地域に押しとどめられている子どもたちのことが頭を駆けめぐる。

 テント内では夜更けまで次から次へと熱い議論が交わされていく。

                        ( 文責 Y・T )
.. 2011年12月01日 07:46   No.351001

++ E (幼稚園生)…1回       
テント日誌 11/29(火)
テントの情報は世界へ、日本へ
―― 経産省前テントひろば 80日目 ――

 陽射しが日ごとに弱まる3温4寒の日々。今日は暖かな過ごし易い1日だった。H氏が設置してくれたソーラー発電の装置もこのところ出番が少なくなった。太陽が中天に昇らずビルとビルの隙間に僅かに顔を出すだけなので仕方がない。来年春の活躍を期待するとしよう。
 朝、第2テントから第1テントに若い女性がやってきた。25日(金)に岡山からテントにきて、ずっと滞在しているのだという。風邪で倒れている人が多いから昨日・今日は急遽年休を取っていることにしたのだそうだ。
 夜は1人で第2テントに泊まり込んで、守ってきたという。若い人の行動の凄さに脱帽!
 午前中、東京で英語教師をしているロビンさんというイギリス人がテントに来た。ロビンさんは、世界的な'オキュパイ'の運動とこのテントの運動をつなげるネットワークをつくるために協力したいと申し出た。大変有り難いことである。
 この間、外国ジャーナリズムの取材が多い。経産省前テントの運動は、世界から日本へと逆の構図で広まっているといえるのかも。
 というところへ、午後の2時ごろ日本の大新聞の一つ、東京新聞の記者がテントを訪れた。記事については翌30日の"こちら特報部"をご覧頂きたい。
 広報活動について、もう一つ。テントの様子を自動的に映像による実況中継で伝えるシステムの構築が進んでいる。発案者は国立に住む女性Oさんだ。12月1日から始まる「とつきとおかの座り込み」に合わせてスタートする予定とのこと。
                  (文責 E)

.. 2011年12月02日 09:28   No.351002
++ H・T (幼稚園生)…1回       
<テント日誌 11・30(水)>
  原発廃止の意志が集い、交差し、そして燃え上がる
       ―― 経産省前テントひろば 81日目 ――

 今日も晴れ、暖かい。テントの周辺は晩秋から冬へ。正面外務省の銀杏が美しい。テント周辺では枯れ葉が舞う。厚生労働省周辺では、今日東京国公労の労働組合がのぼりを立て、「組合に入ろう」のアピールとチラシ撒き。

夕方。薄暗くなったにも拘わらずテント前は賑やか。終日の座り込みから帰る人。仕事帰りに立ち寄った人、テント前の椅子に座り込む人。談笑する人、テントの中は車座で一杯。

9時頃山口・周南市から2人の若者が来訪。1人はサッカー選手だという。
ネットで このテントを知り立ち寄ったそうだ。午後10時半頃若い女性。「仕事帰りですが。今 から座り込み」と11時半、終電まで座り込み帰る女性も。

夜になって雨、冷え込んできた。、テント前で舞う枯れ葉が雨に濡れ光り輝く。明日 の朝クマさんは大変だ。そこへ「ゴミ持ち借ります。」と車を止めてテントを覗き込む若者。3袋持ち帰ってもらった。テントを支えるさりげない行為に感謝。

 明日からはいよいよ、とつきとおか、福島ー全国の“女達の未来を孕む女たちのテント村行動”が始まる。3つのテントに灯りがともった。

 その日夕方には、原発輸出反対、原子力協定反対の、首相官邸前緊急アクションがある。官邸前はテントから歩いていける距離である。

 原発廃止の意志が集い、交差し、そして燃え上がる。

                          ( 文責 H・T )

.. 2011年12月04日 09:29   No.351003
++ Y・T (幼稚園生)…1回       
<テント日誌 12月1日(木)>
雨の中、未来を孕むとつきとおかの始まり
― 経産省前テントひろば 82日目 ―

12月1日、師走の初日、雨。午後には雨は上がったが、それにしても寒い。
 未来を孕む女たちのとつきとおかのテント村行動の始まりの日である。午前9時半頃から、佐藤幸子さん、椎名千恵子さん、木村結さん等が次々と到来。このために防寒対策や照明など用意が調えられた第2テントで、これからのことについての相談やバナーづくりなどの準備が進められる。
 石橋上人が若い人を伴っておこなっている太鼓と読経のリズムが心地よい。テント前に集まってくる人々も、雨が上がるにつれて増えてきた。
 午後、第2テントの正面に布に書いた「東京都ふくしま村」の看板が掲げられる。
 狭山裁判再審請求の大きなデモがテント前の交差点を右折していく。テントには70年代に狭山闘争の高まりの渦中にいたメンバーも多く、道路脇に立って手を振りエールを送る。デモの参加者からもエールが返される。
デモの終わった後、帰路にテントに立ち寄ったという方も何人かいた。
4時頃、ポルトガルのジャーナリストがブラジル人の通訳と一緒にテントを来訪。2人はスペインのバルセロナでテントの存在を知ってやって来たのだという。どうも、テントの存在は海外メディアの方で多く報じられているようだ。スペイン人もやってくる。テント前では国際色豊かに賑やかに音楽が奏でられる。
 6時から、原発輸出・原子力協定締結(ベトナム、ヨルダン、ロシア、韓国との)に反対する緊急行動が首相官邸前で行われる。テントからは歩いて10分弱のところであり、前述の外国人メンバーを含めて十数名で参加。気温は真冬並み
か、とても寒い。その寒さの中、90人程で路上に立って、1時間あまり熱い集会が続く。
福島第一原発の事故が未だ収束のメドも立たず、福島の子どもたちが高い放射能汚染下で命を削られている時に、そして放射能を世界にもまき散らしているのに頬被りしたまま、原発輸出などあり得ない!それを許すなら日本人は世界から
その倫理性を問われることになるという指摘に胸を衝かれる。
発言者は木口さん、椎名さん、佐藤さん、吉田さん、アイリーンさん、田浪さん、石丸さん等々、殆どが女性であった。
夜、テントで賑やかに交流会。調布9条の会の70代の元気な女性たちと歓談。
ある男性から「テント日誌をいつも読んでいる。楽しみにしている。」と言われ、感激。 (文責 Y・T)

.. 2011年12月04日 10:27   No.351004
++ Y・T (幼稚園生)…2回       
<テント日誌 12・2(日)>
世界に広がるテントひろば
―― 経産省前テントひろば 83日目 ――

 12月2日(金) 今日も雨。昨日よりも寒い。昨日と同じく午後からは雨も上がる。

 午後3時頃、荒川河川敷テント村の住人たちと山谷をはじめとする支援者たちが、都の「野宿者追い出し」策動に対する抗議行動を終えて、テントひろばに到着。30〜40人で交流集会が行われる。
 反=脱原発運動の中で、命の問題、生きる権利の問題が改めて意識され、原子力ムラや財界が原発維持推進に際して主張する「経済」の論理、「金」の論理に対して、それを拒否し、命を大切にする社会、生きる権利を紡ぎ合っていくよう
な社会ということが主張されるようになった。原発と巨大な格差抑圧構造をうんでいく社会構造は切っても切れない関係にあるのだろう。命を大切に、ということはこういう社会構造を変えていく人々の人間的なつながりや協同関係を創り出
していくことと一体なのだと、感じさせてくれる集会であった。テントひろばはそういうひろばとして経産省に相対峙している。
 
 少し、理屈っぽくなってしまった。「未来を孕む女たちのとつきとおか行動」世話人の椎名さんのテントひろばへよせる深い熱い想いのアピールに、思わず胸が熱くなる。
          
           ( Y・T )

.. 2011年12月04日 16:58   No.351005
++ QUEMA (幼稚園生)…3回       
夕刻、荒川河川敷テント村、山谷のお客様、砂川闘争の土屋さんなど千客万来、鈴なりのテント。そこへさらに、Rさん、二度目の来訪。スコットランドのご出身とかで、まっぺんさん(たんぽぽ舎音楽隊重役)と民俗音楽に話の花を咲かす。
傍らにいた北海道・旭川生まれの青年が流星を見たとわたしに夜空を指さす。
 Rさんは、イタリア・フィレンツェでイタリア語学習に来ていた日本女性と知り合い、ともに東京住まいで、今、恵比寿で英語教師をしている。仲間の在日英国人などに、日本の原発工場の事故情報を伝えたくてテントを訪れた。
 Rさんは、脱原発派のようで、英語人のネットワークづくり、ことにNYウォールストリートのテント、ロンドンのテントなどとの交流を申し出てくれた。ニューヨークからロンドンから、同じ★を見ているひとびとと交流が始まる。テント広場WEB班に入っていただけることになった。
 さらに、昨日、スペインからのお客様のPさんが、イスラエルがイラン攻撃をしたと慨嘆されていたことをテントの人々に伝えると、いっきに、話題は核保有国同士の戦争について、情報をわかちあうことに。
 テントの夜の寒さは、ニュクレア・ウィンターの脅威にいやましとなる。チャイナ・シンドロームは、フクシマ第一第三号基(?)のメルトスル―によって、ブラル・シンドロームとなったなどとその真偽を確かめる暇間もなく、ブラジルからのお客様がテントを訪れる。昨夕は首相官邸前、原発の海外輸出阻止抗議行動をギターと太鼓をもって参加してくれた。
 世界は近く、世間は狭い。おテント様に恥じないようにと、野次馬X氏は限定版、テント広場の記録DVDをくださったので、それをRさんに、英語人世界に拡散してもらうことにし
た。WEB会議の充実を祈念しております。
明日、たんぽぽ舎有志は「もんじゅ」再稼働阻止闘争に出発します。     
                        (QUEMA記)

.. 2011年12月04日 17:05   No.351006
++ M・O (幼稚園生)…1回       
<テント日誌 12/3(土)>
     放射能から子どもたちを守りたいという母親たちの願い
      ―― 経産省前テントひろば 84日目 ――

○午前中は昨日からの雨が続いていた。今日は午後から明大土曜会主催の落語会があるので気になっていたが午後からは晴れてきた。最近は天気予報もあたるね、テントに来た人と話した。
落語はテントの中で行われた。明大出身の柳家三壽さん。師匠は宮城県気仙沼市の出で今回の大震災には心痛めているとのことであった。噺は縁結びの一席だが、巧みな語り口に一同は笑いも挟んでの楽しいひと時だった。第二回目を来年の二月に開催するとのことだ。先のことになるが楽しみが増えた。

○週末にはテントの周辺でもいろいろの催しがあるが、また、各地での集会などがあってテントから出掛ける人も多い。だから、落語会の終わった後の午後は比較的閑散としていたが夕方からは人も集まった。テントの中でも、外でも話が盛り上がっていた。誰からともなくはじまる話しはあちらこちらに飛びながら自然に現在という時代の話になって行く。話の渦と流れはなかなか止まら
ないが、時間はあっという間に過ぎて、今日もテントの一日は終わる。

○世田谷区在住のUさんから食べ物と一緒に長い手紙を差し入れて頂いた。コピーしてテント内で回し読みした。「私は東京在住の58才の普通の主婦です。ただ、長女を2才9カ月という可愛い盛りに病気で亡くし、<子どもは宝>、<命の尊さ>を骨身にしみて、深く深く実感したことは私の人生観を大きな力で支えています。そんな私は今年3月11日の東日本大震災、津波、それに続く福島原発の相次ぐ事故を見て、ただちに子どもたちを安全なところに避難させてと心で叫び、それからは毎日、毎日それを祈り続けています」。これは長い手紙の一節であるが、それから何が出来るのと考え行動してきたかが綴られている。
 「歴史とは子ども亡くした母親の歎きである」と喝破したのは小林秀雄であるが、それは歴史に参加する力にもなり得る。放射能汚染から子どもたちを守りたいという母親たちの願いにはこういう支えがあるのだと思える。避難も含めて放射能汚染から子どもを守ることは火急のことだ。そんなことをあらためて感じた。

○来週の土曜日と日曜日には大きな集会と行動がある。12月10日には「1000万人暑名」を展開しているグループ主催の集会が日比谷野音で開かれる。12月11日には経産省包囲行動が予定されている。

                         ( 文責 M・O )

.. 2011年12月05日 08:53   No.351007
++ Q (幼稚園生)…1回       
<テント日誌 12/4(日)>
     小春日和のよい文化的午後を堪能
        ―― 経産省前テントひろば 85日目 ――

 12月4日(日)晴れ 久し振りの青空である。未来を孕む女たちのとつきとおかのテント村行動が始まって初めての日射しが暖かい。

 第2テントに棚を新設。江田さん、孤軍奮闘、1時からのミュージシャンのためのセッティング班が外で待機し始めて、おおわらわで完成。
 結局2時より、情況出版川音さん(沖縄文化講座の担当者)の司会で、千歳烏山・つぼの専属ミュージシャン・ユーさんのギター弾き語りとお仲間のジャンベで二時間、晴れ渡った霞が関2丁目の交差点に、心のこもった音楽が響き渡った。
 ジャンルは、ワールド・ミュージックとオリジナルで、反核など鋭い文明批判を温かい音楽で包んでくれた。泡盛、おにぎりを提供してくれ、売り上げは、テントへのカンパとなった。いやー、まいうー! 
 第二部は、ディスクジョッカーの伊達まさやすさんのプロテスト・ミュージックの音つきガイド。大メディアにはでない、批判精神に満ちた現代音楽と解説を聞かせてくれた。この日、福島第一のストロンチウムの海洋汚染が伝えられ、公害を歌う歌手の紹介など素晴らしいDJだった。官憲の干渉の気配もなく、40人ばかり、小春日和のよい文化的午後を堪能した。

 再稼働反対12・11デモのご案内。東電はじめ在京の電力会社を巡回告発するデモ。午後1時日比谷公園中幸門(日比谷図書館裏)に集合、2時デモスタート。プラカード・鳴物意欲、創意大歓迎! 翌、12日、同じ主題で、弁護士会館にて集会。経産省要請・院内集会を予定。くわしくは、決まり次第お知らせします。

 ウィキペディアにて、OCCUPY TENT世界951都市、82か国のデータに、東京のテントとして、経産省前テント広場が登録されています。いまのところ、日本のテント情報はこれだけのようです。
                                                                  (Q記)


.. 2011年12月06日 07:25   No.351008
++ 大間 (幼稚園生)…1回       
<テント日誌 12/5(月)>
     大間「あきこはうす」に激励のハガキを
        ―― 経産省テント前ひろば 86日目 ――

12月5日(月)晴れ。

 今日の日誌は昨日書き残したところから始めねばなるまい。前夜、下北半島の大間からの帰りに立ち寄られた方が、大間原発に反対して1人で頑張っておられる人のハガキを携えてこられた。「あきこはうすゆうびん」です。
下北半島は現在、大間原発に五所川原の核燃処理施設、それにいくつもの米軍基地がところ狭しと並んでいて、ここは一体どこの国かと思われる、というルポを読んだことがあった。大間はマグロでも有名なのだが。ともかくその大間で頑張っておられるあきこさんに激励のハガキを出して下さい。このハガキはテントで取り扱っています。

 朝一番で毛布の差し入れが届く。その後も次々と様々な差し入れが。

 午前中にアルゼンチンのNGOのメンバーが来られて、椎名さん、原田さんと話し込む。福島の現状、政府の対応等に関心が強いようだが、椎名さんが、是非福島へいらして下さいと、お誘いする。

 午後、テントの前で青空歌声喫茶。シニアの小父さんたちと若い女性達が声を張り上げる。第2テントの椎名さんのもとには、常時女性が5〜6人、炬燵を囲んで話し続けている。まさに女の城といった趣き。

 夜は夜で、第1テントで老若取り混ぜての熱い議論が夜更けまで続く。

 穏やかなテントの一日であった。

.. 2011年12月09日 07:10   No.351009
++ Y・T (小学校低学年)…7回       
<テント日誌 12/6(火)>
たくさんの出会いと交流があるテント
―― 経産省前テントひろば 87日目 ――

12月6日(火) 曇り。やや寒い。夕刻からは雨に。
 今日はいろんな人達がテントを来訪され、喋り続け、昼にはテント前リレートーク、午後は原賠審があって文科省前前段集会に参加したり、夜には交流会とその準備等、多忙な一日であった。

 福島の二本松市から田口さんが来訪。この後原子力委員会の委員に会って話をする予定だそうだ。二本松市の様子を伺う。椎名さんに紹介すると、椎名さん「え〜っ田口さん!」と感激の面持ち。福島でのMLで田口さんはよく投稿されており、教えられるところも多かったそうである。初対面でも旧知の間柄のような。
 そこへ、浪江町出身の方が、たんぽぽ舎と一緒にもんじゅの全国集会に行ってきたと、来訪される。ご両親達は浪江から東京に避難されているという。
神戸から来訪された方は、神戸で「みちのく懇談室」を開いているという。
関西に避難されている方々の交流の場をつくるということで、月に1度開いていて、50名程が参加し、おくに言葉で悩みや苦労を話しつつ、励まし合い、和んでいるという。母子避難の方々の経済的困難と精神的ストレスは大変なものだと言う。
 夕刻前には、以前に一度話し込んだ二本松出身で東京在住の女性が来訪。なにかもうずっと知り合いであったようにうち解ける。
昼間の時間帯、霞ヶ関の職員達が昼休み時間とあってテントの前をいっぱい通っていく。で、職員の皆さんに訴えかけようと、女性達や原田さんでリレーのスピーチ。
午後2時から目と鼻の先の文科省前前段集会に参加。今日、結論が出るらしい。新聞に出ていた様子では酷い内容のようだ。実際、結論が発表された時、悲鳴のような叫びが湧き起こったという。自主避難している人たちの現実との落差の大きさに愕然とする。
 前段集会の折に見かけた顔があった。10月にドイツ緑の党の副代表・ヘーンの福島行きに同行した折、通訳をしていた高田さんとスイスのジャーナリスト・ボースさんであった。
 2人はその後テントに来訪。テント設立のいきさつやその後の過程を説明。
高田さんは25年ほどドイツ在住で、当地で反原発運動に参加している活動家。
3・11後はたびたび日本に来ていて、福島にも足を運んでいるという。
 その時、テントにはドイツのジャーナリストもいて、ドイツ語・英語が飛び交う。
 夜はテント運営会議の後、交流会。チゲ鍋ということで買い出し等に慌ただしかったが、交流会は20名程の参加で盛り上がる。西山監督の「命の闘争」という映画の主題歌を歌っている九州の一樹さんが、自作の曲を弾き語りし、椎名さんが石牟礼道子の「みなまた海の道」の一節を朗読。後半からは福島から佐藤幸子さんも駆けつけて、盛り上がりは最高に。夜遅くまで、話は尽きな
い。

                        ( 文責 Y・T )

.. 2011年12月09日 11:33   No.351010
++ E (幼稚園生)…1回       
<テント日誌 12/7(水)>
     「大新聞」の取材
       ―― 経産省前テントひろば 88日目 ――

 今日は、大雨の昨日と打って変わって晴れ渡ったすがすがしい朝だ。外務省と財務省に挟まった国会へ向かう坂道は銀杏の落ち葉で黄色の絨毯を敷きつめたように見える。文科省裏手の超高層ビル(中央合同庁舎)に朝日が映えてまぶしい。地下鉄の霞が関駅には、丸の内線、日比谷線、千代田線の3線が集中している。朝の8時ごろ、出勤のピークを迎える。大半が霞ヶ関の官僚達だ。

 その中の一人がテントに来て、引いてきたキャリアーからダンボール箱をおろし、「皆さんで食べてください」といって差し出し「出勤途中で急いでいるので」と名前も告げずに立ち去った。箱の中には、りんご、蜜柑、柿、レモンが満杯に詰められていた。一口に官僚と言うが、やはり彼らも人間だ。当たり前のことだけれど。やはり、昨日のリレートークのようなものは続けねば、と
思う。

 午前11時朝日の記者が取材に来た。政治部や社会部の記者でなく文化担当で、世界的に展開されている‘オキュパイ’との関係で取材したいということであった。政治的、社会的にはテントを黙殺するという姿勢は変わっていないのだろう。これが朝日の限界ということか。

 午後3時アバーズ(世界的な署名サイト)のベン・マーガレット(オーストラリア)さんと通訳の人がテントを訪れた。‘とつきとうか’の座り込みをしている福島の椎名さんが女性テントで応対する。原発いらない全国の女たちの座り込みへの賛同署名が13万6千人に達し、今も増え続けているという。その賛同者リストを持参してくれたというわけだった。これには毎日新聞の記者
が取材で同席した。

 もんじゅの集会に参加したたんぽぽ舎の柳田さんによれば、経産省前テントひろばに連動して各地の原発に対する再稼働反対のたたかいが広がりつつあるという。各電力会社本社の前に座り込んだり、包囲したりという行動が広がっているそうだ。霞ヶ関官僚のリアクションや、大新聞の微妙な変化などもこうした運動の広がりの反映ということなのかもしれない。このところ右翼も静か
だということも、明るいニュースの一つということになろうか。

                            ( 文責 E)

.. 2011年12月10日 11:18   No.351011
++ Y・T (小学校低学年)…8回       
<テント日誌 12・8(木)>
「全国から電力会社・経産省を包囲しよう!
 再稼働反対12・11行動」に参加を
 ― 経産省前テントひろば 89日目 ―

 テントやその周辺ではいろいろとメッセージを伝えるポスターなどがあります。
結構楽しいものです。時折、見て回るのですがこころがなごみます。女性が主体のテントには「東京都フクシマ村」という綺麗な看板が出ているのですが、その横に「13万6000人 福島のこどもたちを支援します。13万6000人の市民は『原発いらない女たちのアクション』と共にあります」という文が張り出されました。
 これはAVAAZというグループがインタネットで展開している署名運動で現在までにこれだけの数が集まったということです。ネットをやれる人は見て協力してください。粉ミルクからセシウム検出、高濃度の汚染水漏れが発覚など放射能汚染の実態を告げるニュースは日 々飛び込んできます。しかし、政府や当局者は相変わらず小出しの情報しか伝えず人々の 不安は増すばかりです。福島の子どもたちを放射能汚染から守ることは火急のことです。ど んな方法でもいいから取り組むことが大事です。
 テントには綺麗な鍋とともにケンチン汁が届けられました。午後からは冷たい雨に見舞われたのですが、とても美味しく心身ともに温たまりました。夕方から集まった人たちも新しい材料を入れて頂きます。一同、お礼を申しあげあげます。
 テントには宅急便などもふくめて差し入れがあります。正直いってこれはテントを張ったときは想像もしていなかったことですが、本当に感謝しています。テントに集うメンバーには励ましになっています。
 高知の牧師さんがテントに来ました。福島の子供たちの避難活動をフォローしているとの事ですが、山形からの帰りに立ち寄ったとのことです。ボランティア活動などをしている方がテントに寄られるのが多くなっていますが、脱原発運動の広がりと共にテントも全国的になってきているのでしよう。群馬在住のシンガーソングライターの方が立ち寄られ、郡山の武藤さんの発言に心打たれて新しい歌を創ったとのことでした。年末年始のどこかでテント前コンサートで披露していただけるという話です。楽しみが増えました。
 週末にはいろいろの行動が予定されています。12月10日には日比谷野音『1000万人署名』のグループの集会とデモがあります。(13:30〜)11日には11・11−12・11実行委員会による「全国から電力会社・経産省を包囲しよう!再稼働反対12月11日集会」もあります。(日比谷公園中幸門13時集合、14時デモ出発)。(M・O)

今日は風邪気味のため、一日中家にいた。メールを見ると、原子力協定の参院採択の切迫性を伝えている。夕刊を見ると、東電は汚染水の海洋投棄を計画しているという。当然漁民達は大反対している。汚染水を海洋投棄し、放射能を世界に拡大しながら原発輸出を推進しようというのだ。本当にこの国の倫理はどうなっているのだろう。
神奈川の人達から、12/15(木)14:00〜16:00にテントひろばで、早苗ネネ(ジュン&ネネ)・菅沼みどり・カラーバリーエーションを迎えて、脱原発、被災者の避難・転地・補償を求める歌のイベントを行うことにしたと連絡あり。休んでいる暇はない。 (Y・T)

.. 2011年12月11日 08:35   No.351012
++ Q (幼稚園生)…2回       
<テント日誌 12/9(金)>
     冷たい雨と鍋料理と反核ソング
       ―― 経産省前テントひろば 90日目 ――

 12月9日(金)朝、冷たい雨が降りしきり、外の掃除は諦める。90日目と書かせてもらう。
 昨夜、山形から女性ひとりテントを覗き、今夜は疲れているので、このままやすみますと告げた女性が顔を見せてくれる。予約は以前からあったようで、お名前も予定表にあった方。テントの外で打ち合わせがあるとのこと。H氏が持ってきたあんきも鍋の惣菜が沢山余っていたので、Yさんが手早く料理してくれる。氷雨にふるえている一同にとって、鍋料理は有難い。

 山形のWさんがお出掛になった後に、「子どもたちを放射能から守る大阪ネットワーク」のMさんと「大阪市視覚障害者福祉協会点字印刷委員会」のKさんがつれだってみえる。このテントを取材したかったとおっしゃる。国会のロビーイングのついでにお立ち寄りになったのではなく、このテントの人々に、直接会いたくていらしたときいて、こちらは大感激、情報交換の花(ばかりな
らよいが、そういう時代ではない)を咲かせた。
 Mさんは雨上がりのテント前でギターソロで、反核ソング「みんな嘘だったんだね」をかわきりに5曲ばかり歌ってくれた。こちら、T舎の用で山谷に行く時間が来てしまい、感謝の返歌一つやらせていただく。年末の抗議行動のラッシュのこともあり、九条改憲阻止の臨時総会に末席をけがさせていただく。

 T舎の用事を済ませ、深夜、テントを伺えば、民族主義者を自任するTさんが久しぶりに帰ってきた。鍋奉行Hさんの大饗応に感動の嵐。ごち道に生きながら、働きも悪く、不謹慎な態度を改めない自分が情けない。

                               (Q記)

.. 2011年12月12日 09:46   No.351013
++ Y・T (小学校低学年)…9回       
<テント日誌 11/10(土)>
日比谷野音に5500人、テントにPC体制整う
―― 経産省前テントひろば 91日目 ――

 12月10日(土) 晴れ。今日はテントと目と鼻の先の日比谷野音で、9/196万人集会の呼びかけ人による3ヶ月ぶりの集会とデモが行われる。午後2時には会場はビッシリいっぱい、立ち見の人が溢れるほどに。主催者発表で5500人。鎌田さんとともに大江健三郎さんも元気に挨拶される。 デモは会場から東電前を通って、銀座〜八重洲〜常盤橋公園まで。コールは東電前でひときわ高くなり、そして銀座界隈へとこだまする。今日は組合関係より市民団体が多く、組合関係では全労協系の組合が目立つ。もうみんな来年の闘いに向けて身構えているようにみえる。3・11一周年、そして全原発停止へのカウントダウン。だが、福島の子ども達の避難の問題は一刻の猶予も許されないものだろう。私たち自身の闘いも問われている。テントの中では、新年から、議員に厳しく態度を迫っていくための国会前座り込みも、という意見も出、議論されている。
 午後にテント前でパソコンラックを組み立てる。いろいろ試行錯誤をしつつも、日暮れ前には完成し、テント内に設置する。パソコン・プリンターも用意整い、ネットでの通信も間近である。 とくに、ネット通信では全国・全世界からテン
トひろばへの思い・意見・感想・提起などを寄せていただいて、それらをまとめて「テントひろば」通信として発信するというのが、差し当たっての目標である。
テント訪問者名簿に記入していただいているメールアドレスを是非活用できるようにしたい。そうしてテントひろばに集う人々がお互いにネットで交流しあえるようにしていきたい。 メールアドレスが決まり次第、テント日誌でも公表しますので、その時には是非便りを寄せて下さい。お待ちしています。
( Y・T )

.. 2011年12月13日 14:51   No.351014
++ Y・T (幼稚園生)…3回       
<テント日誌 12・11(日)>
   青空の下、電力会社−経産省を包囲する1000人のデモ
― 経産省前テントひろば 92日目 ―

12月11日(日)快晴 都心の空は抜けるように青い。今日は前日に続いての都心デモである。全国から電力会社ー経産省を包囲するマラソンデモ。福島から佐々木慶子さん、そして下北の尖端・大間から小笠原厚子さんがも駆けつけてこ
られる。大間はきっともう雪、寒風吹きすさぶ中にあるだろう。デモの出発時には1000人程の人数に膨れあがっていた。「在特会」なる品性下劣な右翼な「東電防衛隊」よろしく登場して、「今日の目標はデモの逮捕者をできるだけ多く出すことだ」と叫んでいるという。9/11新宿デモでの挑発行動に味をしめて、ということだろう。だが警察に守られた30名程が罵声をあげていただけ。

デモはそんなものを全く相手にせず、東電に向かって怒りのコールを上げながら進んでいく。各電力会社の支社を周り歩く、通常の2倍以上の距離。それでも最後まで元気に賑やかにデモは続き、最後に経産省を一周して終えた。その後もテ
ント前の広場で交流集会が続く。テントの内も外も人でいっぱいに。たんぽぽ舎の柳田さんによれば、全原発停止のカウントダウンを前に向こう側は大変に焦っている様子だとのこと。再稼働に向けてウズウズしてるらしい。それを押しとどめるべく、経産省包囲行動やテントひろばに刺激されて、各地で電力会社を包囲したり、座り込んだりする行動が広がっているそうだ。今年は年末・年始も途絶えることなく行動が続きそうだ。

先日も簡単にお知らせした、神奈川アクションデーinテントひろば を再度紹介しておきます。主催者は「6・11kanagawa」といって、6/11に横浜で大行動を実現された方々のネットワークです。みなさん、それぞれ横浜の各地域や、湘南・湘北の各地域で日常的に多様な取り組みをされている方々で、同時にネットワークでつながりつつ、大きな行動も神奈川でおこなっておられるグループです。今回の神奈川デーの設定は、テントひろばが各地の個人とだけではなく、各地の運動グループという面と直接につながる最初の試みです。平日の午後ではありますが、可能な方は是非集まっていただいて、大いに盛り上げて下さい。
「12月15日(木)に 経産省前テントの前で 脱原発歌広場として早苗ネネさん、菅沼みどりさん、そして本橋さんのバンドカラーバリエーションさんと歌おう!という企画です。
平日の午後2時から4時という時間帯ですが経産省の首根っこで市民の怒りと願いを笑顔の歌声に載せて、霞が関に響かせましょう!」 (Y・T)

.. 2011年12月14日 09:57   No.351015
++ Y・T (小学校中学年)…10回       
<テント日誌 12/12(月)>
     嵐の後の小休憩 闘いは別の場面で繰り広げられる
       ―― 経産省前テントひろば 93日目 ――

 12月12日(月) 晴れ。今日のテントは、2日間続きのデモの疲れがあってか、あるいは全国交流会〜対政府交渉に参加しているせいか、ひっそりとしている。

 東京新聞に全日本仏教会が「脱原発依存」を宣言との記事が載っている。現在、福島では64の寺が避難を続けているという。そういえば、11月3日に、南相馬市小高区域の20q圏内にある同慶時の若いお坊さん2人が福島の女性達と共に来ていたのを思い出す。テントの中でいろいろお話を伺ったが、県内のあちこちに避難している檀家の方々のところを転々としながら、避難生活を続けているということであった。また永平寺の方では、「もんじゅ」「ふげん」という名前を原発への使用を許したことへの痛切な反省の声もあるという。原発=核と命・自然、これは仏教にとっても根幹に関わる重いテーマに違いない。

 4時前に院内での対政府交渉に参加していた人達がテントに戻ってくる。経産省の原子力安全保安院と資源エネルギー庁の実務官僚達が相手であったそうだ。まさに原発推進の司令塔である。
 50〜60名程の参加で、予定を1時間もオーバーするほどにしつこい交渉だったようである。ただ、保安院はIAEAの評価待ちとの姿勢を示すのみで、”保安院が規制する”という主体性がみられないというか、主体的責任意識の感じられない対応であったとのこと。しかしやりとりの中で、来年2月頃IAEAが来日し、そこでストレステストの結果についてのお墨付きを得て再稼働へスタンバイしていく(後は政治判断を待つのみ)という思惑が見通せたそうだ。

 新しい棚が設置され、テント内の整理は一段と進む。長期戦への態勢が整っていく。夜はまた、いつものように話し込みながら夜は更けていく。

                            ( Y・T )

.. 2011年12月16日 09:53   No.351016
++ O・M (幼稚園生)…1回       
<テント日誌 12/13(火)>
     長老たちの来訪。 韓国の新聞も取材に。
       ―― 経産省前テントひろば 94日目 ――

 テントは11時消灯になっているのだけれど、3時過ぎまで話し込んでしまった。終電車間際まで6人で話が続いていたが、不寝番の2人が残った。そこに第二テントの方から2人が加わって4人で遅くまで話し込んだのだ。ルールのことも気にはなったが、若い人たちと話し合う機会はなかなかないので優先させてもらった。テントのなかで自然に話が盛り上がって行くのは嬉しい事で
このテントの存続の秘密なのかもしれない。巷は忘年会の季節であるが、儀礼的な飲み会よりはテントでの忘時間の宴の方がいいのではないか。

 今日は朝早く静岡から土屋さん(伊達判決を生かす会の代表)が上京され、日米の地位協定を見直す会合に出られたあと、テントに寄られ、丁度居合わせた千葉の若い母親2人と話し込む。年齢差は40あまり。土屋さんは年寄りの多い9条改憲阻止の会でも長老である。沖縄での米軍人の裁判問題《検察審査会で起訴の結論》を契機に高まっている日米の地位協定見直し問題だが、今度
こそしっかりやってもらいたい。土屋さんのような長老の方の活動には頭が下がる。

 午後には塩川さんがテントを訪れた。塩川さんはかつて50年以上も前に全学連の委員長(土屋さん書記長)であったが体調の不良で療養されていたらしい。元気な姿を見せていただいたわけで励ましになった。テントには長老と言われる人たちが訪れることが多いがテントの住人たちには嬉しいことの一つである。

 韓国の新聞の取材があった。こちらの様子をいろいろ取材して行かれたが、このテントが100日目に入ったら掲載したい、とのことでした。韓国でも原発問題は核廃棄物処理、汚染物資の処分など問題が広がる動きが伝えられる。
この掲載が波紋を歎かることになれば嬉しいと思う。また、関西テレビの方が主材に訪れた。関西のメディアの方が原発問題の報道では熱心であると伝えられるが、こういうところにもそれは現れているのだろうか。

 12月14日には従軍慰安婦問題の解決を求める外務省包囲行動(人間の鎖で包囲)が予定されており、それに対抗する右翼の行動も伝えられている。緊張感がテント内にもある。我々はこの行動の成功を願うが、そのためか夕方からは女性の訪問者が多い。

                              (O・M)

.. 2011年12月17日 08:14   No.351017
++ T・E (幼稚園生)…1回       
<テント日誌 12/14(水)>
   とりどりの右翼、テントに大挙押しかけたが…… 
   ― 経産省前テントひろば 95日目 ―

 12月14日(水) 雨のち晴れ。明け方3時不寝番に就いた。前夜来の雨が続いている。
体感温度は零度に近い。そこでホカロンを背中に3枚貼った。靴専用のヤツで両足も暖かい。おまけに伊達判決を生かす会の吉沢さんや、塩川さんから差し入れて頂いたカセット型のストーブが2台ある。これで越冬の準備も磐石というわけだ。
 朝10時半ごろ、日の丸を持った人影が外務省前にチラチラ見える。今日は従軍慰安婦問題で外務省を「人間の鎖」で包囲する、「韓国水曜デモ1000回アクション」が予定されている。在特会など、各自日の丸持参の差別排外右翼(市民運動と自称)が約300、戦闘服だのナッパ服だの街宣右翼が6-7台4−50人が大音量の凶器で襲い掛かる。全ての街宣がガナルので何を言ってるかわからない。差別と蔑視の汚い言葉が吐き出されるのみだ。天気も悪く、準備不足も伝えられたので心配したのだがふたを開ければその心配も杞憂に終わり、人間の鎖は大成功だった。テントは外務省の斜め向かい、予想していたことだが、右翼の次のターゲットはテントひろばだ。人間の鎖が成功したのでその鬱憤晴らしも兼ねているようだ。テントに突っかかる街宣右翼の動きがこの数週間は収まっていたが「慰安婦問題」に刺激されてのテント襲来という図だ。まあ、長続きはし
ないだろう。
 1時間半ぐらいの来寇の間、彼らをゆっくり観察する機会を得た。
イ.おおむねは、ののしり挑発に終始するヤツ
ロ.原発問題だけならともかく、テントを政治問題の出撃拠点にしている(リーダー格の男)と批難し、テント参加者の分断を図る姿勢を見せたのが目新しかった。
ハ.街宣右翼が差別排外市民右翼に「お前ら、薄汚い連中は早く帰れ、帰れ」と罵っていた。両者に連帯感は全く無い。(職場を邪魔された怒りなのか) というようなわけで、テントの夜の話題の一つとして、(彼らは寂しい人間なんだ)
という結論になったような、ならないような。(T・E)

.. 2011年12月17日 19:27   No.351018
++ Y・T (小学校中学年)…11回       
<テント日誌 12/15(木)>
   霞ヶ関に、神奈川アクション「脱原発歌広場」響き渡る
   ― 経産省前テントひろば 96日目 ―

12月15日(木)、快晴。
今日は、昨日の右翼の騒がしいだけの大音量や差別と蔑視の汚い言葉の洪水を洗い清めるかのような、「脱原発歌広場」が霞ヶ関に響き渡った。
 晴れ渡った青空の下、神奈川の20人近い人達が幟や、さよなら原発のTシャツや、6・11や9・19や本牧行動などの写真パネルなどをテントひろばに立て並べる。
 そして早苗ネネさん(ジュンとネネで、小父さん世代には馴染み深い)、菅沼みどりさん、カラーバリエーション、さらに半分飛び入りでゆうさん、サックスの鈴木さんと、伸びやかな歌声がテントひろばで次々に繰り広げられる。戦争と原発のない世界、子ども達が平和にのびのびと暮らせる世界を求めて。
 平日にもかかわらず、のべ70人くらいが参加し、ネネさんの歌に一緒に声を合わせて歌う場面もあり、大いに盛り上がる。
 道行く人々も好意的にみていたが、とくにネネさんの歌にはじっと聴き入るほどの注目も。
この日配られていた12・11神奈川集会での資料には、神奈川の20もの団体・グループの脱原発への取り組みが報告されている。
今日の神奈川アクションデー・inテントひろばでを通して、テントひろばと神奈川全体との結びつきが創り出されていっているのだと感じる。
帰り際、またやりたいと言っていただいて、今日は本当によかったと感激。
こうしてテントひろばが、各地域の運動と強く結び合っていくことを願っている。
    ( Y・T )

.. 2011年12月18日 08:36   No.351019
++ Q (幼稚園生)…1回       
<テント日誌 12/16(金)>
  椎名さん、福島からテントへ帰還、テント全体会議
   ―― 経産省前テントひろば 97日目 ――

12月16日(金)曇のち晴 座り込み97日め。

 泊まり込みは2回目、見張り初めての方が来られ、この寒空のもと夜が明けるまで外に座っていらっしゃいました。
 足元に暖房器具をお持ちしましたが、温かいね、と呟いていらっしゃいました。
奥で誰が休んでいるものやら、大事な用件があり、小生、真夜中に帰り、立ち寄ってみた夜のことです。

 経産省総合庁舎防火管理者よりテントの会代表に『防火管理上の禁止行為等について』 という文書が届きましたが、15日付になっているようです。とても容認できる内容ではなく、反論抗議をすることになります。文書照覧希望の方は,記者までご連絡下さい。経産省テント前広場のメール@へ。

 16日午前11時半頃、福島県から椎名さんが、霞が関テントへ帰還。さっそく脱原発とTPP加入阻止の談話会を主催されたようです。椎名さんの手稿頂きましたので、ここに紹介致します。

.. 2011年12月20日 09:36   No.351020
++ Q (幼稚園生)…2回       
 「今日の女テントは『脱原発への時代、TPPとは? その本質とは』の学習会。
知ってか、知らぬか、女テントに集まってきたのは10人近くで、ほぼ3時間熱心なレクチャー・トークの場になった。火気のないコタツも、10人近くのヒザ小僧と熱気で、ほの温かい!?
 ここに、すでに女性性をもった孕み,生み……という特質をもった"空気"がテントいっぱいみなぎり始めているという確信をもった。この日時局は、東電福島原発第一の事故対策の冷温停止・収束宣言を告げる。スワっと緊張が走り、硬直した空気がみなぎる。テント広場でもあるが、女テントは、始まったばかり。浮足立つことなく、どっしりと構えたい。いのちという生体性、固有性、創造性・・などこの受難ののりこえという課題にからませながら、存在実感に基づく行動が多様に、しなやかに、折れることなく、生まれることを期待しながら!」 (椎名千恵子)夜、拡大テント会議が7時より。主題は、正月休みを中心とするローテーション問題。第一テントは、徐々になんとか支障なく進行していますが、第二テントは、干渉しないよう(さわらぬかみにたたりなし)している分だけ、どうしたらよいのやら。椎名さんは、つまるところ、自然生成的に運営したいと発言されました。暮れから正月休みにかけて、脱原発を主題として、あれこれ、イヴェント、パフォーマンス、コラボ、ワークショップとテント広場は、企画盛りだくさんですが、経産省前テント座り込みによる闘争勝利という課題をはたす布陣とそうしたテント前企画の主催者は、協力関係はあるにしても、あくまで独立的にあることを淵上氏は強調。 マニアックなイデオロギーあるいは宗派性によってヒステリックに方向喪失していくように「闘争的」にならず、脱原発に関
心を持ち、いかに脱原発を実現するかをゆたかな裾野を切り開きつつ、優しく招き容れ、脱あるいは反原発の真実を確信できるよう誘導することの重要性を、江田氏は語った。記者は福島原発事故にみまわれた被害者のかたがたの臨在感をなくさぬように、と要望した。2時間半になる会議も多くの課題をひきつぎ持ち越されるが、ポジティブな前向きな姿勢は変わることはないだろう。 会議終了後、江田さんは改憲阻止の会員でもあるピアニスト池邊幸子さんのアポをとり、クリスマス・コンサートの実務をひまわりさんこと高橋幸子さんに任せた。池辺さんは演奏の舞台づくりを高橋さんにあれこれ確認されているようだった。 ブームつきのマイクスタンドをどなたかお貸しいただけないでしょうか?  被爆{曝}者をめぐっての演奏とお話は、第2テント、12月24日午後2時開場実現目標で進行中。  収束宣言、除染予算、避難裁判、海外輸出、がれき廃棄物問題など、緊迫した推進側の攻勢にたじろがず抵抗戦線の充実を!           
    (Q記)

.. 2011年12月20日 09:52   No.351021
++ Q (幼稚園生)…3回       
<テント日誌 12/17(土)>
破滅へと向かう「収束宣言」と、テントひろばでの「地下大学」
        ―― 経産省前テントひろば 98日目 ――

 12月17日(土) 快晴 寒い。

 日比谷公園のかもめ広場の噴水に薄氷が張っている。ここは、福島女性、全国女性座り込みの最終日、みなで手をつなぎ合って、原発事故などの被ばく事件の再び起こらぬよう、子どもや弱者に放射能禍が及ばぬように、団結と連帯を誓い合ったところ。
 暖房完備の部屋住まいには分からぬ自然の移り変わり。
 毎朝、ここを散歩する小生には、日々の政権側、東電側の情報は、愚民を欺かんとする、労働者を搾取するパワー・ポリティクスしか感じない。エネルギーとは質量にかけること速度の2乗であれば、昨日の「収束」は、その速度に於いて、天文学的破壊力の誇示しか意味しない。累乗的な速度で破滅に向かう国家を救おうと言うのだから、テントにこそ義があると信じている。 
 原子力資料情報室などが力を入れる「原子力の終焉」集会に於いて、田中三彦氏は、破壊された原子炉の低温冷却などありえぬ妄言であると断言されたそうである。チェルノブイリの現地放射能汚染研究者は、除染にはなんの意味もないか
ら、と福島事故以後の日本の研究者たちに訴えたそうである。
 原子力を管理する能力や資格はともかく、広島・長崎・第五福竜丸の被爆(曝)
経験国が、福島原発事故の大惨事の後で、世界で最も最先端の核開発に於ける挫折としての今回の事故の工学テクノロジーを深切に根底的に再検討しない愚かさには、つける薬がないところまできている。
 日比谷公園の烏は、奇妙な咳をして人間に大気の異常を教えてくれているのに。
 この日は、記者はツイッタ―デモに出たので、テント広場の地下大学には参加できなかった。 第2テントで、午後3時から6時の予定が夜10時まで続いたそうだ。
 翌日、記者は、『新宿どまんなかデモ』で、地下大学出演者の阿部さんにお会いした。

 「今回の旅は、テント広場での地下大学での講演と『新宿デモ』が主要目的です」と真剣な表情。スピーチにも力がこめられる。
テント日誌へのメッセージとしては、「田中防衛局長などの『犯す』などの暴言をめぐる資料は、すべて経産省前テントに寄贈してきたので、是非、テントで、最近の沖縄問題をつぶさに見て頂きたい。手稿をお渡しする時間的余裕は今回あ
りません」とのことだった。
 福島への、沖縄への不感無覚の落し前の恐ろしさを察知しての福島、沖縄からの捨身飼虎としての使者。首都の人間のなんというおごりと罪深さ! 首都の人間は、熱帯の海浜のように、ただ口をあけていれば、魚も果実も頂けると云うよ
うな風情ではあるまいか。海を汚していることまでも知らずに!  (Q記)

.. 2011年12月20日 10:07   No.351022
++ KM (幼稚園生)…1回       
<テント日誌 12/18(日)>
   小熊英二氏のお子さんの絵と配管工のおじさん
   ― 経産省前テントひろば 99日目 ―

 ついに経産省前テントも99日目。間もなく大台に乗る。
今日は社会学者の小熊英二氏が来テント。お子さんが書いたという絵を見せていただいた。大きな段ボールに大きく「げんぱつやめろ!」と書かれたその絵には地球と自然と人間への愛が描かれていた。
 小熊氏は6月11日の原発やめろデモ(素人の乱主催)でもスピーチを行っている。
寒い日が続くがテントでは日々新しい出会いがある。
 夜には、通りすがりの福島の男性と話をした。配管工をしていて霞ヶ関でも仕事をしているというその男性は寒い中、福島のこと(特に地下水の心配)、官庁の仕事ぶりのこと、公共事業のこと、有馬記念や生活のことなどを1時間以上も話した。
 直接的に政治に訴えることが気性に合わない多くの人たちの分まで、訴えていかなければならないと強く感じる。(HH)

テントひろば100日目を迎える夜

日曜夜8時にテントに到着、6人程がテントの中で歓談中。つまみを回しながら焼酎やワインを片手に、兵庫県から来た男性がしばし芝居談義。テントにいるとたくさんの雑学が入ってくる、年寄りには通り過ぎるだけだけれど。
 と、若いお嬢さんがテントを覗く、どうぞどうぞと一同大歓迎。ワインを勧めると、原発のことが心配で立ち寄ってくれたという。千葉の高線量のことなどしばし話したあと、「こういう話はなかなか身近でできない、お話できて良かった、
木更津に戻ったら仲間を増やします」と笑顔で寒空を地下鉄駅に消えていく。
23時の消灯時間。寝ずの番の当番を確認したあと夜の宴会はお開き。直ぐに寝袋にもぐる人、いそいそ帰途につく人、引き続きしゃべる人。
2時に起こされて外に出ると空っ風が吹いている。コンビニまで駆けつけてトイレを借りる。地下鉄駅もコンビニも親切だ。見上げるとビルの間に半月が明るい、少ないが星も見える。この時間でも金融庁ビルから出てくる官僚を待つタクシーが数台。平日は長蛇の列のタクシーがアイドリングしていて、放射線量だけでなく排気ガスも心配。
 再び寝袋に潜って眠るが、朝方にはトラックの大エンジン音で起こされる。テントは空気も水も遮断するが車の音は遮断してくれない。次回からは耳栓を用意しよう。既に早起きさんがテント前の落ち葉を掃き集め、そこを早出のネクタイ男たちがいそいそと歩いてビルに吸い込まれて行く。また一週間が始まる。テント100日目の朝を迎えた。(KM)

.. 2011年12月21日 09:42   No.351023
++ Y・T (小学校中学年)…12回       
<テント日誌 12/19(月)>
     遂にテント100日目  激動の日
       ―― 経産省前テントひろば 100日目 ――

 12月19日(月) 今日も快晴。今日でテントは100日目を迎えた。でもそういう歓びに浸っている余裕はない。今日はあの世紀のペテン「冷温停止状態・事故収束」宣言をした野田首相が昼間に新橋のSL広場でその演説をするのだという。 

 メルトダウン・メルトスルーしている燃料のの状態や原子炉内の状況が全くわからず、放射性物質も未だ放出し続け、被災者の救済も進んでない中での、冷温停止状態とか事故収束などというのは、政治的意図をもったペテン以外のものではない。原発輸出、再稼働、避難阻止がその政治的意図であるのはミエミエだ。(宣言をした翌日から、冷却水漏れや、地下トンネルでの高濃度汚染
水の漏出が生じている。)

 抗議のためにテントひろばからも何人も駆けつける。SLひろばは人で埋め尽くされ、それを異常な数の警察・公安・SPが取り囲んでいる。テントから行った某君、プラカードを上げようとすると両脇にSPが来て、「○○、どこから来たのか、テントからか」と怒鳴られたという。(えっ SPまでテントに神経をとがらせているのか!!)

 プラカードが上がり、原発いらないコールも始まる中、野田首相は金総書記死去のため急遽、官邸にとって返したということで登場せず。後は大コールが広場を制する。

 午後には再稼働に反対する対政府交渉が行われ、テントからも参加。80人程の参加であったが、資料には全国300程の団体・グループ名が記されている。その時間帯、テントにはアジアのジャーナリストが熱心に取材。

 夜、もんじゅ西村裁判の原告でご遺族である西村トシ子さんがDVDを携えてテントに来訪。もんじゅのナトリウム漏れ事故とその調査過程での情報隠蔽問題、そして調査担当員であった動燃職員の強制死。もんじゅの闇は深い。詳しくは「もんじゅ・西村裁判へようこそ」をご覧下さい。

 スペインのジャーナリストも来訪し、テントにいた若い女性の通訳で話題が広がる。彼は3・11後、何度か日本に来ているそうである。先月、ポルトガルのジャーナリストとブラジル人の通訳が、バルセロナでテントのことを知って来訪したということを伝えると、バルセロナで発信したのは彼であり、ポルトガルのジャーナリストは彼の知人だという。世界はこんなにも繋がっているのだと感動!野田首相のペテンはもう全世界に知れ渡っていることだろう。

 12月21日(水)18時半からテント前で、テントひろば主催の集会が開催されます。再稼働問題、野田宣言の問題、輸出問題、避難の権利など、現在の焦眉の問題についてアピールしていきたい。ぜひ、ご参加を待ってま〜す。

.. 2011年12月22日 09:08   No.351024
++ M/O (幼稚園生)…1回       
<テント日誌 12/20(火)>
     「わたり土湯ぽかぽかプロジェクト」と
              イギリスからの訪問者の興味ある話
       ―― 経産省前テントひろば 101日目 ――    

 朝 の5時から7時まで不寝番だった。やはり冷える。寝る時は毛布も寝袋もあってそんなに寒くはないが、小型のガスストーブで温たまる。あれこれ自問しながら 時間を過ごす。

 それにしても野田首相の「事故収束」宣言は納得がいかない。誰もがそう思うのだろうが、事情を知らない(正確な情報の伝わらない)外国などでは案外と通ってしまうのかも知れない。それを想うと腹立たしい気持ちになり、寒さも増す気がする。

 福島市渡利地区で「放射能汚染から子供を守る活動」をしているKさんがテントに寄った。渡利地区は福島市の中で得に空間線量が高い地域で毎時2マイクロシーベトを超す場所も多いと言われている。いろいろと活動を聞かせていただいたが、「除染がはじまって効果が上がるまで、せめて子どもたちを一時避難させて欲しい」と訴えている。そして、その一つとして「わたり土湯ぽか
ぽかプロジェクト」を展開しておられる。これは渡利から車で30分くらいのところにある土湯温泉(ここは空間線量が低い)に週末やウィークディに渡利の親子に滞在してもらおうというものである。寄付を求めているが、その案内のオンラインは こちら

 夜になるとイギリスから帰ったという女性がテントを訪れた。彼女はレイバ―ネットでこのテントのことを知ったらしいが、探すのに一苦労した様子。イギリスには1970年代に行き、もう30年を過ぎた滞在とのことであるが、通訳などもやっておられて面白い話を聞かせてもらった。

 一つはイギリスでは太陽光エネルギーの取り込み展開されていること、各家が地方行政に申請し、支度金申請をし、外注の業者が現場確認見積もりした後、行政が枠幅内の金額で許可するもので、自宅で消費する電気量より多く電気が得られた場合は、買取システム式にしていて、最初の取り付け費用の還元効果をねらい、最初の資金がかからないため、懐が豊かでない一般市民も参加
できる形になっている。また全国的な取り組みをしいるのではないかとのことだった。

.. 2011年12月23日 12:06   No.351025
++ M/O  (幼稚園生)…1回       
 さらに彼女は3月11日を前後する頃、日本からの原発の視察団に欧州で通訳をする仕事をしていた。原発見学も含んで、それぞれお互いの国の設備安全対策(長中期)などについて話し合っていたとのことだが、3月11日の地震・津波発生直後、福島原発のことを大変懸念し、皆顔が真っ青であったとのことだ。

 さらに彼女の家に部屋借りにきたロシアの女性の話をしてくれた。この女性はチエルノブイリの事故のだいぶ後で」乳がんに罹っていたことが判明し、医者からは原発の爆発の影響で、残り2年の余命であると宣言され、わらをもつかむ気持ちでNHSというイギリスの医療保険制度を利用し、イギリスに手術を受けにきたらしいが、(彼女の場合はイギリスにいたことがあるため無料)
彼女の周りには乳がん罹り亡くなった人は多数いると。まさか自分が事故後だいぶたってから癌にかかるなんてと凄く怒っていて、なんとしても直したいという意気込みの反面、時折見せる諦めの表情が、実態を知らされていなかった一般の人々の本当の意味での悲しみを如実に物語っていたようだ。

 我々はやはりチエルノブイリのことは知らないのだ。あるいは知らせられてはいないのである。このように私達は、今の日本の状況はおろか、5年後、10年後、50年後の被爆の影響について国や機関が海外の記録などとの比較をしながら統計・数値的な予測記録及び効果的で実質的な財政援助も含む対応策を取っているかどうかを知る必要があるし、あるならばそれを公開するよう働
きかける必要があるのではないかとも彼女は言っていた。

 金正日氏の死去の報道もあり昨日は新橋駅が騒がしかったらしいが、今日の霞ヶ関界隈はいつもよりは静か目である。年末まで余すところ、わずかとなった。いろいろ忙しいのだろが、テントは手薄になりがちである。時間があればテントに顔を出してもらいた、と思う。比較的多くの時間をテントに詰めている人からのメッセージである。

.. 2011年12月23日 16:41   No.351026
++ Y・T (小学校中学年)…13回       
<テント日誌 12/21(水)>
テント前で反原発アピール 目白押しの年末への企画
―― 経産省前テントひろば 102日目 ――
 
 12月21日(水) 空はどんよりした鉛色。午後になって晴れ間が見え始め、だんだんに広がる。
ドイツの芸術家がテント訪問。31・11皆さんはどうしていたのですか、テントはどういう風に出来たのですか当等熱心に取材。女性テントでも椎名さんに熱心に取材があったとのこと。海外の方々に一層有名になるのかなー。  今度12月27日(火)pm3時〜5時に、テント談話室「放射能と月と再生語り合おう再生可能文化 を!」を開催される川元祥一さん(作家、ルポライター)が、下見を兼ねてテントに来訪。 夕方はテント前で、テントひろば主催の反原発アピール。冷温停止宣伝怒りのアピール。被曝労働問題の院内集会報告、福島出身メンバーは、その当事者として、母として、妻として、女としてのアピール。線量
の高い千葉メンバーからは、きちんと対応しない森田県政批判も。道行く人々にア ピール。テント前もすっかり冬景色になってしまった。経済産業省前もほとんど枯れ葉は無く、冷たい風がアスファルトの上を舞う。午前3時の見回り。寒い。経済産業省、文部科学省、外務省ビルにはまだ灯りがついた部屋が。テントに戻り朝まで、語りこんだ。
  
( T・H )

 年末までテントでの企画は目白押しである。 23日(金・祝)は、いわき市
からリゾート施設「ハワイアンズ」のフラガールの有志がやって来て、   古
代フラダンスを披露する。テントには過去に2度来ておられる。 (pm2時〜)
 24日(土)は、兵庫から平和のピアニスト池邊幸恵さんを迎えて、クリスマ
スコンサート。(pm3時〜) 26日(月)は、群馬からギタリストの南條倖
司さんが、まあさんと一緒にやってきて、ギターと歌を   披露する。(pm
2時〜) 27日(火)は 上でも触れた川元さんのテント談話室 第1回「半減
期に学ぶ」 (pm3時〜) 28日(水)は 「女たちの御用納め行動」 福
島から大型バスをチャーターして駆けつけてくるとのこと。 12時東電前
に集まる → 経産省前テント という行動予定です。 その後もまだまだ続
きますが、とりあえず。
                
( Y・T )

.. 2011年12月23日 18:53   No.351027
++ Y・T (小学校中学年)…14回       
<テント日誌 12/22(木)>
     経産省防災課による「査察」 コトもなく
       ―― 経産省前テントひろば 103日目 ――

 12月22日(木)曇り。日射しがないと寒い。
 午後、経産省防災課が「査察」として、テントにやってくる。10日程前であったか、経産省防災課が警告書なるものを持ってきた。要するに火気厳禁ということで、電気であれ、ガスであれ、暖房器具やコンロの使用は一切ダメ、照明もダメというものであった。凍死者が出ようが、そんなことはお構いなし、というような警告書であった。

 もとより、防火については、右翼による放火等に対する備えということもあり、早くから万全の注意と体制を取っている。今日やってきたのは、その警告書に基づく「査察」ということであった。テントの中は綺麗に整理され、彼らはなんら問題となるものを見つけることはできなかった。そして「何か見つけた時はビデオを撮るから」と捨てゼリフを残して引き上げていった。

 女性テントは、椎名さんが戻ってきてからは相変わらず賑わっている。訪問者が絶えないようだ。昨日もお知らせした、28日の【女たちの御用納め行動!!】の案内です。
 
 わたしたちの人生を、生活を、環境を、めちゃくちゃに破壊した福島原発事故から9カ月が過ぎ、2011年も終わろうとしています。しかしこの間、避難も、防御も、除染も、補償も、東電および政府への責任追及も十分には行われず、その上、原発の再稼働や輸出といった信じ難い暴挙が行われようとしています。

「こんな気持ちじゃ、とても年を越せない!」
「東電にも、仕事納めなんかさせないわ!」
という声が、「福島の女たち」の中からわき上がってきました。そこで師走の慌ただしい時期ではありますが、「女たちの御用納め」を企画しました。

 東電に今年最後のご挨拶に参りましょう!

■日 程 12月28日(水)、昼12時に東京電力本社
              (東京都千代田区内幸町1丁目1ー3)前に集合し、霞ヶ関経産省前でもアクションを行う予定です。あなたも、あふれる思いの丈を叫びに行きませんか。
■往復無料バスツアー(福島→郡山→須賀川→西郷バスストップを経由して東電へ)も企画しました。(対象者は福島)

 呼応して、できるだけ多くの方が東電本社前に集まって、今年1年の怒りの声を東電に!年末年始、テントでは多くの企画が検討されています。反原発紅白歌合戦、ゆく年くる年リレートーク、元旦霞ヶ関マラソン等々です。1月4日は新年餅つき大会が予定されています。
(am10時〜準備 pm3時〜餅つき)

                            ( Y・T )

.. 2011年12月26日 16:34   No.351028
++ Q (幼稚園生)…4回       
<テント日誌 12/23(金)>
     ハワイ伝統舞踊の講座 そして東電前行動へ
         ―― 経産省前テントひろば 104日目 ――

 12月23日(金)晴

 早朝、冷たい空気を入れたくないので、8時過ぎても、幕を開けないで置く。テントの幕がひきつり、みなれた公安警察が首をさしだす。「あっちで手薄になるから、こっちになにが来ても、難しいかもな。気をつけなさい!」
「あっち」でズラ―ッと白いテントが並んでいることは知っている。キャンバス自体に差異はなさそうだが、お偉いかたのお誕生日だそうな…白と紺の幕がテントの壁となっている。

 小生、水道橋と霞が関を自転車で往復していることが生きがいとなっている。まさしく、「共同幻想」の枢軸に住もうとしていることになる。霞が関は、共同幻想の壮大な楼閣だが、その足元に立っているテントの御常連は、ひたすら現実を確認しなければならぬ日々であり、これは闘争であり、暮らしとなった。

 本日、104日目。弾圧担当のH氏に、防衛動員いるかな…という連絡入れる。「あちらのためには、この日ばっかりは、さわがしくならないように! と応じてみては?」 とアドバイスが即メール返信され、ご本人もそのあと、すぐ現れた。二人ともT舎に出かけなければならなかったが、テントの御常連は、なにもないだろうという反応だった。まさしく、結果、右利きのお客様は
一切こなかったそうである。

 テントから「東電前アクション年末ジャンボ」に、ほぼ同時に十月十日(とつきとおか)座り込みのSさんに、この日の第二テントのイベントについてお伺いしながら同道させていただく。こちらは、第二テント、女性の園なので、別件でテント広場にいなかった記者として取材させて頂いた。

 午後2時より、フラダンス・USAの観光事業として作り上げられたあのフラダンスなどではなく、民族祭祀の芸能としての本来のハワイ伝統舞踊の講座があった。フランスでもロシアでも舞踊家は大学教授に匹敵するかそれ以上。
日本では、舞踊家ほどおとしめられているものは無い…ハワイの古式正統舞踊の講座に20人以上参集し、男性も2名いたという。TPPテント地下大学についでのこの企画、すぐれて弁証法的ですね。

 東電前アクションの集会のあと、ひとり、トイレに向かった記者を朝の公安警察が追いかけてくる。28日、「どうなるのか、テントの中にいれてもらえるか? こっちもやりたくないからな、どうなるのか、誰に聞けばいい?」 
記者は「椎名さんに聞いてみて下さい」と答えた。まずかったろうか?記者は公安に与しやすしと思われているらしい。というわけで、これからどうしましょう?

 寒風の中、ウクレレでひとり歌を歌っていらした女性は、たくさんのうたを持っていて、福島原発以後の民衆の気持ちを替え歌で歌ってくれ、座り込みも座禅だけのようなものではないことを教えてくれました。相変わらず、I上人の南無妙法蓮華経の続く中で…。

                               (Q記)

.. 2011年12月27日 09:13   No.351029
++ Q (小学校低学年)…5回       
<テント日誌 12/24(土)>
     厳しい寒さの中、平和のピアノコンサート
         ―― 経産省前テントひろば 105日目 ――

 12月24日(土)晴。無風。
 
昨日23日は、風に悩まされた。議事堂から吹き下ろす風は、入口を直撃。凍て風と枯れ葉を吹き込む。テーブルの紙は、震え、落ち、舞い狂う。脱原発の旗は、ばたばた、なぎ倒される。敷石に触れる足は冷え、毛布を巻きつけなければいられない。現代化学カイロのさしいれもないではないけれど。

 夜11時を過ぎれば、消灯時間となり、昨日の立ち入り検査の結果、火器、ガスタンク、ガスレンジ、石油ストーブ、喫煙、トイレなど一切、禁じられている。風の強い夜は、古代の穴居人のような恐怖と戦慄にみまわれるばかり。
北海道のアイヌ・モシリで、山の中の砂防ダムづくりを体験している記者も、この第二の自然コンクリート・ジャングルも結構キビシイ。投石を恐れて、デザインされた敷石はアスファルトで固められた。疑心暗鬼にかられる権力派は「おもちゃ」を使いたくてうずうずしている。何重ものモニターをしかけ、これ見よがしに、ビデオを撮影に来る。ハイテク公安の練習台としては、うって
つけの「島」であろう。人間の鎖に対抗して、封鎖した鎖を、やっとのことまたいで、その人は来た。

 「原発もトイレなきマンションと言われていますが、このテントもトイレがありません。(音楽家が尿意や便意で悩まされていれば、おのずから、演奏はおちつきのないものになる、とかつて先輩が語っていた)。ピアノもこんなものですが、これもTさんの御好意なので…「ちょっと、指ならしさせて…」リハーサルで、ユダヤ人のゲットーから脱走する「ピアニスト」のテーマをひいて下さった。福島の子どもたちの「ゲットー」は放射能の霧の中にある。福島市も福島県も文科省も「脱走」しなくてもいいよ、という。転校はご自由ですから…金持ちにしか、転校などできるものではない。

平和のピアニスト、池邊幸恵さんは、ご自身で編集制作されたDVDをスクリーンに映しながら、演奏された。風か何かのせいで、発電機の配線が乱れ、電圧がさがり、白いテントのなかでの映像はかげろうのごとく、音は、ふきすぎる風のように、はかない響きとなる。 スーザン・ソンタグは、コソボで「ゴド―を待ちながら」の公演をした。ベケットは、「大切なのは、台詞の意
味ではありません。役者の言葉の響きなんです」と初演のインタビューにこたえている。スーザン・ソンタグは、日本の雑誌文明に苛立っていった、「ぜいたくすぎるのよ」。

 テントの中で、ひとりの女性が演奏と歌を聴いて、目をうるませている。琴線を啓くということがわかるか、とかつて、非暴力の闘士が訴えていたことを思い出す。105日目、闘争は始まったばかりである。辺野古のテントは、九電本社前テントは、立川テント村は…世界のオキュパイテントの闘志たちは、ピアノの音がきこえるだろうか?福島の子どもたちの心に、ショパンの心が届
くだろうか?池邊さんは、2時間を超えなんとするコンサートのあとで、今度は、ピアニカでやってみようかしら…とほほえんでいた。

.. 2011年12月27日 09:25   No.351030
++ Q (小学校低学年)…6回       
 それから、「スペースたんぽぽ」で、福島の学童疎開裁判の柳原弁護士の報告を聞きにいらっしゃっていた。大学のピアノ教師が演奏会にでなければと思い詰めたのは、阪神淡路大震災に対応できない政治意識の無力さを痛感してからと語られた。柳原氏は、日本の人権擁護精神は、世界最悪であることが、白日のもとにさらされた、と慨嘆を隠さない。福島市はチェルノブイリのデータ
や放射能被ばくの研究成果を「不知」として退け、学童疎開の義務を怠った福島市訴追裁判は、地裁却下となった。

 国際刑事裁判所に訴え出る意思もあると弁護士は語られた。経産省安全保安院のお役人は、モニターデータのほかには、信ずべきデータとはならないのです、と語っていたことを思い出す。コンピュートピアの宣伝マンは、福島の子どもの怒りも涙も、テクノサウンドでなければ感じないらしい。たんぽぽ舎の柳田さんは、経産省自体のモニターデータが頼りにならないことを立証するコ
ピーを配布された。ガンジーは、行動の根底的動機を自己実現とかつて語ったそうである。ガンジーの自己とは、仏陀だった。福島のこどもたちは、日本政府や経産省安全保安院や東電の人間をまず、自己実現モデルとして励む意思はまず、いやなことだろうことはまちがいない。文科省やら医者やらが、自分たちが殺されるのを励ます側にまわっていようとは!しかし、歌手になりたい子
供たちは、たくさんいるにちがいない!    

                               (Q記)

.. 2011年12月27日 09:41   No.351031
++ H.H (幼稚園生)…1回       
<テント日誌 12/25(日)>
    九州電力玄海4号停止で残り6基に
    テントから霞ヶ関に響く歌声、
    ― 経産省前テントひろば 106日目 ―

12月25日(日)晴。
 テント前で歌声集会。「月桃の花」歌舞団だそうだ。一般参加者を巻き込みギターに合わせて寒い中、元気な歌声が霞ヶ関に響く。
曲目は「線路は続くよどこまでも」の曲に乗せて「放出続くよどこまでも」など

原発止めよーう いーますぐに―
原発止めよーう もーいらなーい
世界の国かーら 原発をー
なーくしてしまおーう いーますぐに
なーくしてしまおーう いーますぐに

25日の夜には九州電力玄海原発4号機が止まり、日本で稼働中の原発は6基のみになる。54基あるうちの6基。日本は89%脱原発状態になる。あとたった一割だ。去年の実績から考えると、電力需要のピーク時の3〜4%を担うに過ぎない。
テントの正面に掲げられた横断幕には「再稼働反対」のメッセージ。このまま再稼働を許さなければ5月には全ての原発が止まる。
日本の電力会社は様々な理由により、原発を止めても停電が起きないくらいの発電設備を抱えている。一番の理由は「総括原価方式」だろう。投資したらした分だけ電力料金に上乗せできるのだから、発電所を作りすぎても不思議ではない。
次にバブル経済が挙げられる。バブルの頃の電力需要の伸びが将来も続くとして発電所の建設を行いバブルがはじければ発電所は余る。電力会社の高コスト体質が嫌われ自家発電や特定規模電気事業者(PPS)が増えたこともある。
2011年現在、計算上日本の電力供給力は、原発を全部止めてもまだ余力がある。
テントの正面には再稼働反対の横断幕が掲げられている。このまま再稼働を許さなければもうすぐ実証される。(H.H)

.. 2011年12月29日 08:22   No.351032
++ Y・T (幼稚園生)…4回       
<テント日誌 12/26(月)>
    寒さ厳しき中に熱気溢れるテント
    ― 経産省前テントひろば 107日目 ―

12月26日(月)晴れ。冷え込みは一段と厳しい。
午後、先日テントを来訪された折、お願いしていた南條倖司&まあさんのライブが行われる。群馬県南部の下仁田町で半自給的音楽生活を送っておられるとのことで、下仁田ネギをいっぱいお土産に持参してこられた。
30名あまりの聴衆を前に、美しい声音でたっぷりと歌っていただいた。
聴衆からは「テントへのカンパ投げ銭」がたっぷり!
夕刻から、第2テントでは若い人達の鍋パーティーが賑やかに行われている。
第1テントにはポルトガル・ブラジルからの青達(?)が3名来訪。やはりバルセロナで知ったのだそうだ。
明日の夜から、何日間かテントに泊まり込みで詰めていたいとのこと。ここは是非、泊まり込み体制の有力な「戦力」として加わっていただこうということに。
そしてその 体験を広く世界に伝えてもらえれば・・・。
同じ時間帯に、スペースたんぽぽでは重要な学習会が開催されているはず。ストレステストの意見聴取会にあわせて、ストレステストの問題点は何か、意見聴取会で何が議論されているのか、一連の手続きの何が問題か、などについて学習して、意見聴取会の積極的な傍聴や保安院への具体的な働きかけなどにつなげて、再稼働を止める力にする、というものである。そちらの方も気にしながら、テントでの交流をおこなう。
今夜は第2テントに女性2人(中年とシニアの)が泊まり込むということで、いっぱい荷物を抱えて、用意万端である。(Y・T)

.. 2011年12月29日 08:29   No.351033
++ M/O (幼稚園生)…1回       
テント日誌より
 イ.<テント日誌 12/27(火)>
     テントに年賀状到着 
     テント談話室『語り合おう再生可能文化』第1回盛況のうちに
       ―― 経産省前テントひろば 108日目 ――

 テント前広場に早々と年賀状を届けていただいた人がいました。紙面をかりてお礼を申し上げる次第ですが、年賀状をお寄せいただく方は下記のところにお願いします。〒100−0013東京都千代田区霞ケ関1−3−1経産省前テント広場です。

 12月28日派御用納めですが、このテント前広場は1月3日まで特別態勢に入ります。テント前広場はいつものように24時間態勢で維持されます。今年は帰省や温泉行きなどを変更してテントで年末を過ごす決意をした人もいます。時間のある人はテント前広場に参じて欲しいですね。

 また、何かの企画を持ち込んでやってもらいたいのですが、年賀状などいただければ嬉しいですね。テントにも張り出して年賀の風景を飾りたいと思っています。来年の春になると原発は全部止まります。現在稼働しているのは6基ですが春ころには止まるはずです。そして再稼働の動きが出てきます。再稼働を許さな決意やみなさんの周辺の動きを伝えていただければ励みになると思い
ます。年賀状等で全国的交流をいたしましよう。

 テントに岩波書店でチエルノブイリで起こったことについての本の翻訳を進めている女性5人のグループが訪れました。以前にイギリス在住の女性が訪問された折にチエルノブイリ事故で乳がんになってイギリスまで手術を受けにきた女性のことを話されました。日誌で紹介したのですが僕らはチエルノブイリ事故について、そこで起こったことについてほとんど知らないのが実際です。
ですから本として刊行を期待したいところ大です。彼女たちは15時から開かれていた『テント談話室 放射能と月と再生 語り合おう再生可能文化』に参加された。

 上記のテント談話室は作家でルポライターであり『脱原発・再生文化論』の著者である川元祥一さんが主催するものでその第1回目でした。今回は「半減期」に学ぶこととしてなされました。

 川元さんは原発事故で拡散する放射能については多くの専門知識は必要なく、生活者として放射能が再生不能のもので人の手で制御不能であることが確認すれば十分であるという観点から、放射能や環境破壊の心配のない再生可能文化を提起しています。3・11以降を生活者として生きる再生文化運動を提唱していますが、これは「自然と生命力」という人類の歴史から学び未来を生きようということであります。

 今回は自然の生命力としての「半減期に学ぶこと」と題されたお話で、参加者も多数で盛会でした。再生という概念を物質的観点ではなく、自然と人間の関係の再生という視点を持つ川元さんの話は興味深いものです。みなさんとの討議《談話》として進めようと意図も良くわかります。今後も継続されるとのことですが、日程が決まればお知らせしたいと思います。

 沖縄では政府の辺野古アセス評価書の提出に抗議する闘いが盛り上がりそれを押しとどめています。こちらでは防衛省や首相官邸にたいする抗議行動が「辺野古への基地建設を許さない実行委員会」の主催で展開されています。この行動はアメリカに追随し、沖縄の人々の意志を無視する政府の暴挙に抗議するものです。テントに集う人達もこの行動に連帯しています。 

                              (M/O)

.. 2012年01月04日 07:53   No.351034
++ Y・T (小学校中学年)…15回       
<テント日誌 12/29(木)>
     “脱原発門松”が構え、新年への決意を示す
       ―― 経産省前テントひろば 110日目 ――

 12月29日(木) 晴れ。テントの入り口の両側に大きな門松が置いてある。昨夜、国立市の植木職人をしている若い女性が届けてくれたそうである。
その時居合わせた人達は、見知らぬ若い女性が車をいきなり乗り付け運び出した時、大変驚き、そして大変喜んだそうである。“脱原発門松”は霞ヶ関を睨み付けるように立っている。

 今夜は第1テントも第2テントも賑わっている。第1テント内には先日訪れてこられた千代田区労協からのカラフルなバナーが張られている。午後8時経産省の役人3人が、マスク姿にビデオカメラをもってテント近辺を徘徊する。
公安かと見まがうようないでたちである。どうやら、テント内外に火気はないかと見ながら録画しているようである。撤去の口実を探り出そうとすることなのか。時々、夜8時きっかりに登場するとのことだ。
何人かが「人の顔を勝手にビデオに撮って、肖像権の侵害だ。取り消せ」と抗議すると、ほうほうのていで逃げ帰った。

 椎名さんが帰ってきて、昨日(?)にあった、「3・11福島県民集会」の実行委員会の話を伺う。この集会が脱原発を柱とする“県民大会”として成功することを願いつつ、首都圏−全国から支援・連帯に駆けつけようと、ボルテージは上がる。

 年末・年始、テントひろばでのイベントはめじろおしである。さしあたり、30・31の紹介を。

                              (Y・T)

.. 2012年01月04日 09:08   No.351035
++ Q (小学校低学年)…7回       
テント日誌より
 イ.<テント日誌 12/30(金)>
     年末〜年始のイベント始まる オールナイト映画鑑賞会
       ―― 経産省前テントひろば 111日目 ――

 12月30日(金)快晴、風が強い

 「東電、経産省の仕事納めはなりません」の福島の女性たちののべ100名を超える抗議行動の翌日の早朝、女性テントは、ひとしきり、主の不在であるかのような「館」となっていた。強い風がテントのキャンバスをはためかせ、記帳窓口を開けようという男テントをわずらわす。いらいらしているスタッフのところへ、女性がキャンバスをかき分け、お顔をのぞかせて、「これ皆さん
で、召しあがってください」とのこと。女性のテントの分はもうとってありますので、と白い発泡スチロールの箱には、一つ一つ透明なラップでくるんであるおにぎりの行列。触ると温かい。女性テントでどの程度とられたのか、分かりませんが、こちらでも、30個ほどはあった。しょうゆ味に鮭肉がまぶされている。

 ある先輩がこうおっしゃっていた。「このテントでは、食べ物の心配はいらないよ。じっと待っていれば、誰かが差し入れてくれるから…」こういうことか! 暫くして、女性が「鍋はどこで洗いましょう?」。大なべ3つ、パック3つほど、携えて、ふたりで公園に向かう。さすが、女性のお仕事は、丁寧かつ速い。

 夕刻、おとといさしいれてくれたたんぽぽ舎のSさんが鍋を回収しに来た。
「よごれていてもよかったんだけどね、ポトフの次は、イタリア風のミネストローネ・スープにしてみようかな?」とにかく間に合ってよかった!火器使用禁止のテントでは、差し入れだけが、本格的食事だ。 

.. 2012年01月05日 09:06   No.351036
++ Q (小学校低学年)…8回       
 午後、私用で2時間ほど開けて、テントへ帰ると、随分のにぎわい。反原発・年越しOccupy経産省前テント実行委員会主催の「こんなんじゃ、よい年迎えらんない99%のための祭り〜みんなでつくろう!年末年始大生放送!の舞台づくりその他で、かいがいしい風情。

 ギャラリーも徐々に増えて、一昨日のテント前の抗議集会の勢いが蘇りそうだ。冷気もひとしおの4時過ぎ、新しいレイバーネットのネット生中継への出演者が来始めたが、なぜか、寒風に唇ひきむすぶかとおもいきや、ファイトが微笑を浮かべている。福島の人々への「救援」になんらかの助けになればという祈りと含羞と連帯感のほほえみはよいものだ。キャスター役の女性二人はリ
ハーサルもふくめて6時間、寒風に耐え抜いて、唇も蒼ざめていたのはいたましいことではあった。

 そのあと、オールナイトの映画鑑賞会が開かれ、女子テントは江戸時代の歌舞伎場の様だった。ポルトガル、ブラジル、フィリッピン、オーストラリアなどの男女青年たちから、マスコミでは無理なパーソナル・オーラル・コミュニケーションによって、大切な情報をもらった。

 オールナイト映画上映会は、俊英、早川由美子監督の自作「ブライアンと仲間たち」から始まり、計5番組放映された。コマーシャリズムから自由な、新しいリアリズム、ドキュメンタリー作品が相次ぎ、新しい年を迎える予習としては、最高だった。早川監督の紹介してくれたブライアンさんは、今年6月亡くなられたそうです。国会議事堂前で、反戦・平和を訴えるためテント暮らし
を続け、家族にも会いにゆかぬ闘争を敢行した。8年以上家にも帰らず、一日も休まず、英米政府のテロ撲滅戦争に抗議してきた男とその仲間のドキュメンタリー映画こそ、このテントで観たいものだった。監督は最後まで、映像放映のお世話をしてくださった。テント座り込み111日めの告示は、この日、ポルトガルのアーティストが描いてくださった。

                               (Q記)

.. 2012年01月05日 09:12   No.351037
++ Q (小学校低学年)…9回       
<テント日誌 12/31(土)>
     テントひろばの盛り上がる熱気  
     様々な思いが交差する中、年は暮れていく  
       ―― 経産省前テントひろば 112日目 ――

 12月31日(土)快晴、微風。

 反原発・年越しOccupy@経産省テント実行委員会主催の「大生放送」のプログラムに、大きく影響される。午前中も昨日の映画祭の影響で、早朝帰宅のかたが去るまでは、熱気が消えない。いつもの座り込みのメンバーやスタッフがそろう頃には、大みそかのイヴェントの準備がまた始まる。寒中の「野」ざらしの中継の激務で、パートナーが倒れたとレイバーネットのMさんがブツブツ
交換の敷物を準備しながら、ブツブツ……。

 カンパの年越しそばをかたじけなくいただいてる頃、経産省の警備員が、ビデオスタッフを連れて、だまったまま蒼ざめたような風情で会場を横断する。

 『紅白歌合戦』は17時ころ開始。観戦しているところに、幹部のEさんが帰ってきた。国際結婚したお孫さんと会うのを日本で果たすことができなかった。イギリス人のおむこさんが、お孫さんの被ばくを警戒して、間の国で『正月祝い』とお孫さんとの邂逅をされることになった。日本=被爆国がヴェトナム、ヨルダンなどへ「最高級の原発技術」を輸出し、憲法9条のある国が、南
スーダンへ駐留軍を長期派遣する。事故報告もいい加減な政府関係者が、首相に「収束宣言」をさせる…。こうした二重基準の中で、福島の住民は、こどもは信ずるものは、自己自身のほかにはなくなる危機に追い込まれる。医師や学校の先生が、虚言を弄する時代!

 受付に機動隊がひとり立ちふさがり、じっとこちらをねめつけている。ビニール扉をめくると、黙ったまま、カンパをいれてくれる。おそらく、郵貯の現金輸送車の警備スタッフだったのだ。角松はとびきり立派だ。この門松も、若い御嬢さんのカンパだった。こうした支持の金東雲があるかぎり、この魔法のテントは限りなく飛ぶ。

.. 2012年01月05日 09:27   No.351038
++ Q (小学校中学年)…10回       
いよいよ、感動の歌合戦が終わってカウントダウンに入ったとき、不当雇用・解雇抗議の座り込みを工場でしている韓国自動車工場とアクセス。新年は韓国のソウルの労働者と連帯することに。F夫妻のまわりには、海外からのお客様が二人をとりかこんでいる。

 紅組最終は、椎名千栄子さんの「原爆許すまじ」、白組は、ジョニーさんの傑作替え歌集。老若男女、ジョニーさんのギターひきがたりと国際的な映像交換とともに、バークレーの大学占拠からNYのウォールストリートへと歌いつがれた、「乗合電車」を大合唱する。合衆国だけで、340ほどの0ccupyテントがあったそうだ。いまは、増えているか、減っているか? 

 午前1時から4時まで、第二テントの外は、打楽器の嵐、中では、関電前座り込み、福島、寿、山谷、渋谷炊き出し隊とのUST上の情報交換(歌合戦のおりおり)の後での、トーク・セッションとなった。東電前アクションから、高橋幸子、テントから、椎名千恵子が出演。雨宮処凛、素人の乱の松本哉、青年ユニオン委員長、反貧困グループ、TVディレクターなどが、新年のゆくえを語り合った。

 2011年9月11日から建ち上がったこのテントは、世界情報の池への一石となり、国内外に波紋を広げている。角松の寄進は、このテントの支持層の多種多様さを物語ってあまりある。福島の避難地域それは、冥土イン・Japan であり、原発の冥土の旅の一里塚となっていると信じたい。カウント・ダウンのおり、社民党委員長の福島みずほさんが、SPなしで立ち現われ、マイクを
差し出されて、再稼働許すまじの演説をされた。民衆の海のほかに、信ずべきものは、今ないと実感して、新しい年を迎えた。
                                   
                    (Q記)

.. 2012年01月05日 09:35   No.351039


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