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■--根強かった微生物の自然発生説
++ タク (社長)…4398回          


食べかけのパンをキッチンに放置しておけば、一週間も経たないうちにカビが生えるでしょう。このカビという生物は、一見すると何もないところから自然に発生したように思えますが、そうではないことを我々は知っています。

目に見えないほど小さな菌がパンの表面に最初から付着していたか、どこかから風で飛ばされて付着し、それが増殖して「目に見えるサイズになっただけ」です。虫の死骸にいつの間にかウジ虫がわいても、布団にいつの間にかノミが現れて体に痒みを引き起こしても、それが「何もないところから生まれた」とは誰も思わないでしょう。

すべて「どこかからやってきて増えたもの」だと我々は知っているからです。だが、科学の歴史において、この知識は非常に新しいのです。何もないところから生物が発生するという「自然発生説」は、18〜19世紀頃まで長きにわたって信じられていたからです。

特に、17世紀にレーウェンフックによって微生物の存在が確認されると、生物の自然発生を否定するのがさらに難しくなりました。目に見えない以上、それが出現する瞬間を観察できないからです。この自然発生説は、とにかく根強かったのです。

例えば、1760年代にイタリアの動物学者ラザロ・スパランツァーニは、自然発生説に疑いを持ち、ある実験を行いました。ガラス瓶に入れた肉汁を煮沸し、微生物をひとまずゼロの状態にしたのち密閉した場合と、空気にさらしていた場合を比較したのです。

その結果、空気にさらしていた肉汁は微生物が大量に現れて腐ったのに対し、密閉したほうは何も変化がなかったのです。生物は自然発生するのではなく、あくまで外部からガラス瓶に入りこんだことを示す実験結果でした。

ところが、自然発生説を信じる論者たちは猛反発しました。生命が生まれるには空気との接触が必要だ、と主張したのです。彼らは、密閉して空気を遮断したせいで、生命の自然発生が妨げられたと考えたのです。

自然発生説を否定するためには、「空気が供給されてもなお生物が自然に発生しないこと」を示す必要がありました。この難題を解決したのが、フランスの化学者ルイ・パストゥールです。
.. 2026年03月19日 08:14   No.3449001

++ タク (社長)…4399回       
1859年、パストゥールは白鳥のように首の長い特殊なフラスコで実験を行いました。外界から空気は出入りできるものの、微生物はその途中でトラップされ、内部には侵入できないフラスコです。

このフラスコに入れた肉汁を煮沸し、同様に微生物をゼロの状態にしたのち長時間放置したところ、密閉せずとも肉汁に変化はなかったのです。空気が通過できるにもかかわらず、微生物は自然発生しなかったのです。

実は、その5年前の1854年に、一つの布石がありました。フランスで重要な産業を担ったワインの醸造業は、ある現象に悩まされていました。どういうわけか、一部のワインが腐って味が悪くなり、大きな損失になっていたのです。

当時、「腐敗」や「発酵」という現象は、いずれも微生物の作用だと知られていなかったのです。ビールやワインが発酵によってできることは古くから知られていましたが、自然に起こる何らかの化学反応だと思われていたのです。

腐敗の原因を突き止めるため、醸造業者が助けを求めたのがパストゥールでした。彼は、糖をアルコールに変えるのは菌類の酵母だということ、そして、違う種類の微生物が混ざっていると別の酸が産生され、これが味を悪くすることを証明しました。

前者は「発酵」であり、後者は「腐敗」です。微生物が生きていくための生命活動を、人間が都合よく呼び分けていただけだったのです。風味を損なわず、かつ腐敗を防げる温度で飲料を加熱殺菌する手法は、彼の名前から今も「パスチャライゼーション」と呼ばれているのです。

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仲條 拓躬

.. 2026年03月19日 08:21   No.3449002
++ タク (社長)…4404回       
原子爆弾を知らせたのは科学者
1939年4月24日。アドルフ・ヒトラーは数日前に誕生日を迎えたばかりでした。ドイツの若手研究者パウル・ハルテックは総統に特別な贈り物をするために、陸軍宛ての一通の手紙をたずさえてハンブルクの通りをいそいそと歩いていました。

原子物理学の最新研究で、従来兵器とは比較にならない爆発力を得ることが可能になったのです。原子爆弾を総統にプレゼントしたいとハルテックは考えていたのですが、あいにくそれは実現しませんでした。

ナチスドイツの息がかかった地域では、ユダヤ人や自由主義思想、あるいはその両方の物理学者はみんな殺され、投獄され、欧州から追放されていたからです。同じ年の8月2日、アルベルト・アインシュタインへの任務を帯びた2人の科学者が、米国ロングアイランド、カッチョーグに車を走らせていました。

2人ともハンガリー出身の物理学者で、この日だけは任務を果たすために協力しましたが、その後は対照的な人生を歩むことになります。1人は前出のレオ・シラード。当時はみんなそうでしたが、彼にも戦争の足音が聞こえていました。

マンハッタンから出掛ける時は、いつも決まった研究者が運転手をしてくれるのですが、たまたまこの日は用事がありました。そこでシラードはエドワード・テラーという若い科学者に頼むことにしました。

ブダペストで迫害を受け、家族ともどもミュンヘンに逃げたテラーですが、このとき交通事故で右足を失っています。1930年代初頭にはドイツにもいられなくなり、最終的に米国に落ち着きました。

テラーの運転で向かったカッチョーグには、アインシュタインの夏の別荘がありました。案内された食堂は本や書類だらけで、偉大な科学者とシラードはテーブルについた。テラーは若手の立場をわきまえて、隣の台所に控えていました。

ドイツでハルテックがヒトラー総統に手紙を出したのは、それが自分の義務だと考えたからです。シラードも、原子爆弾の恐るべき可能性をフランクリン・ルーズベルト大統領に伝えなくてはと思いました。

そこで大統領の注意を惹くために、比類ない名声と影響力を持つアインシュタインの署名をもらうことにしたのです。手紙を読みながら、アインシュタインの心は激しく揺れました。この新しい知識は危険で、ひとたび実用化されたら後戻りはできない。

.. 2026年03月23日 05:39   No.3449003
++ タク (社長)…4405回       
長期的にどんなことになるのかわからないが、ヒトラーに核兵器をもたせるのは想像すると恐ろしい悪夢です。アインシュタインは、マンハッタン計画と呼ばれる米国の原爆開発に関わることはなかったのですが、原子核のもつ力を戦争に使う可能性を大統領に示唆することになったのです。

ペンを持つ手が一瞬止まり、アインシュタインはためらいがちに署名しました。戦後アインシュタインは、ドイツが原爆開発に失敗するとわかっていれば署名はしなかったと記者に話しています。ただし若きエドワード・テラーにそんなためらいは皆無で、原子を兵器にする作業に早く取り掛かりたかったのです。

ソ連の物理学者G・N・フレロフもまた、国の指導者に原子核連鎖反応の軍事利用を繰り返し進言していました。だが、1942年2月にはソ連はドイツ軍に包囲されていました。そんな危機的な状況で、開発に何年もかかる「原子爆弾」は問題外でした。

フレロフは空軍中尉として赴任していた北西部のボロネジで、大学図書館を訪ねました。 原子物理学の論文を発表したばかりで、欧米の名だたる研究者の反応を知りたかったのです。ところがどの学術誌のページをめくっても、全く言及がない。

自分の論文はそんなに価値がないのか。フレロフはとまどい、傷ついたが、やがて気がついたのです。米国とドイツの学会誌から原子物理学関係の論文が排除されているのは、両国がひそかに原子爆弾を開発中だからです。ほえる犬は目立つ。

学術誌から情報が消えたことで、フレロフは核兵器開発をいっそう強くスターリンに働きかけました。殺傷能力を飛躍的に高めることができる。ドイツでも、米国、ソ連でも、そのことを指導者に知らせたのは軍人ではなく科学者だったのです。

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.. 2026年03月23日 06:05   No.3449004
++ タク (社長)…4406回       
ペニシリンの誕生の経緯
20世紀初頭、戦地で多くの兵士たちが傷の感染症で命を落としていました。傷の感染は、皮膚の表面にいるブドウ球菌や連鎖球菌などの細菌から起こります。エールリヒが「魔法の弾丸」を生み出してもなお、これらの一般的な細菌を殺せる「弾丸」は、当時全くなかったのです。

傷から細菌が侵入し、それが全身を巡って重篤な感染症を引き起こしても、人類になす術はありませんでした。その後、全くの偶然が医学史を変えることになりました。1920年代、ロンドンの聖メアリー病院で研究職にあったアレクサンダー・フレミングは、人間に病気を引き起こすブドウ球菌の研究をしていました。

1928年9月3日、休暇から戻ったフレミングは、細菌を培養していた培地の一つにカビが生えていることに気がつきました。不思議なことに、そのカビの周囲にだけ細菌が育っていないのです。

このカビはアオカビの一種であり、これが産生する何らかの物質が細菌の増殖を妨げているようでした。フレミングはカビから出ている黄色い液体を、アオカビの学名 Penicillium (ペニシリウム)から「ペニシリン」と名づけました。

だが、ペニシリンを純化することは難しく、安定的に 手に入れることはできなかったのです。薬として使うのは難しいと考えたフレミングは、これを論文として報告しただけで、他の研究を続けました。

まさかこれが歴史を変える大発見であるとは、フレミング自身も気づいていなかったのです。それから数年後、オックスフォード大学のハワード・フローリーとアーネスト・ボリス・チェインは、細菌を殺す薬を探索している最中にフレミングの論文を見つけ、そこに治療薬としての可能性を見出しました。

確かにペニシリンの精製は難しかったのですが、その効力は極めて強かった。1940年、連鎖球菌を感染させたマウスを使った実験では、何もしなければ一晩で死ぬマウスがペニシリンの投与によって生きながらえたのです。

1941年には人間にペニシリンを投与する初めての試験が行われ、その効果が立証されました。問題は、当時の技術ではペニシリンの大量生産はとても不可能だったことです。たった二グラムのペニシリンを精製する為に、アオカビがつくる液体が一トン必要でした。

.. 2026年03月24日 08:31   No.3449005
++ タク (社長)…4407回       
この状況を大きく前進させたのが、第二次世界大戦でした。日本、ドイツ、イタリアなどの枢軸国と、イギリス、アメリカ、ソビエト連邦などを含む連合国との間で起こったこの大戦では、多くの兵士たちが傷の感染で命を落としました。

戦場で兵士たちが手足の切断を余儀なくされる中、感染症の治療薬を国家が渇望していたのです。フローリーはアメリカに行き、政府機関が中心となって研究チームが組織されました。連合国軍の兵士を救うため、数々の製薬会社が開発競争に乗り出したのです。

アオカビの生産と、ペニシリンの抽出法は次々に改良されました。戦場でのペニシリンの爆発的な需要に背中を押される形で、ペニシリンの大量生産が可能になったのです。
1944年6月6日、膨大な数の連合国軍兵士がノルマンディー海岸に上陸し、ドイツ軍に攻撃を開始しました。ノルマンディー上陸作戦と呼ばれる、史上最大規模の作戦です。

この日、連合国軍には強力な武器が供給されていました。兵士全員分のペニシリンです。 この時、戦場に持ち込まれたペニシリンの九割は、アメリカの製薬会社ファイザーの製品でした。競合他社に先んじて、安定的な生産工程を完成させていたからです。結果としてペニシリンは、連合国軍兵士の感染症による死亡を激減させたのです。

1945年、フレミング、フローリー、チェインの3人はノーベル医学生理学賞を受賞しました。ペニシリンは感染症の治療薬として、今日に至るまで大量に使われることとなったのです。実は、ユダヤ人だったチェインは、母親と女兄弟をドイツの強制収容所で失っています。

チェインの研究成果はナチスの打倒に確実に役立っており、ここに深い因果があるのです。 人間にとっては「奇跡の薬」となったペニシリンですが、アオカビにとってみれば、細菌から身を守るために分泌する物質です。のちに、こうした薬は「生物に対して抵抗する」という意味から、「抗生物質(antibiotics)」と名づけられたのです。

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.. 2026年03月24日 08:48   No.3449006
++ タク (社長)…4408回       
生活習慣病が急増した理由
血糖値を上げる役割を担うホルモンは複数ありますが、血糖値を下げる役割を担っているホルモンは、インスリンしかありません。その理由を考えていくと、人類は糖質をどう摂ってきたのかという歴史に思いを馳せることになります。

今の我々の体形を作っている遺伝子がつくられたのは1万年ほど前ですが、当時は糖質を食べる機会なんてほとんどありませんでした。 狩猟・漁労で捕まえた動物や魚を食べたり、植物の葉っぱを食べたり、ドングリなどの木の実を拾って食べたりという食生活だったと考えられています。そのなかで糖質はと言えば、ドングリなどの木の実くらいでしょう。

それが、弥生時代に入り、稲作が定着すると、朝・昼・晩と定期的にお米を食べられる生活に様変わりしました。そうした変化を遂げたのは日本だけではありません。ヨーロッパやアフリカでは小麦を大量に食べるようになり、マヤ文明やアステカ文明が栄えた中米ではトウモロコシが主食になりました。

それまでは毎日十分な食糧を確保できるわけではない、飢餓との戦いの連続だったのですが、定期的に糖質が食べられるようになり、人類は大きな変化に遭遇したのです。ところが、我々の体というのは、飢餓との戦いを続けていた頃に合わせてつくられています。

当時の環境に合わせて遺伝子の組み合わせと機能が決まったのです。だから、ドングリ程度しか糖質がなくても血糖値を維持して、生命活動を営めるように、血糖値を上げるホルモンは複数用意されたのでしょう。

その一方で、血糖値を強制的に下げる必要はほとんどなく、むしろ血糖値が下がって動けなくなることのほうが問題で、死に直結することだったので、血糖値を下げるホルモンはインスリンしか用意されなかったのだと思います。

ちなみに、それは人間だけではありません。ほとんどの動物が血糖値を上げるホルモンは複数備わっているにもかかわらず、下げるほうのホルモンを三つも四つも持っている動物はいません。

では現代の食生活はと言うと、飽食の時代になり、ごはんもパンも甘いものもなんでもたらふく食べられるようになりました。その結果、遺伝子が暴走して、肥満が増え、こんなにも糖尿病が増えてしまったのです。つまり、今の時代の食生活が、我々人間が生まれ持った遺伝子の機能と組み合わせに合っていないのです。

.. 2026年03月25日 05:33   No.3449007
++ タク (社長)…4409回       
糖尿病がこれほどまでに増えた一番の原因は、現代の食生活が、自分たちが生まれ持っている体質と合っていないことだと考えています。例えば、トンガやサモアといったポリネシアの人たちと言えば、お相撲さんのように大柄の人が多い印象があります。

実際、2014年にWHO(世界保健機関)とトンガ政府が発表した調査によると、25〜64歳のおよそ7割がBMI(体重を身長の二乗で割ったもの。体格指数) 30以上の肥満体型で、ウエストのサイズの平均は男女ともに100センチを超えていました。

ところが、戦前には太っている人はほとんどいなかったそうです。タロイモなどの主食と野菜、果物、魚を中心とした昔ながらの食生活を続けていた頃には肥満の人は少なく、ファストフードやパン食、加工食品といった手軽な食文化が海外から入り、安く簡単に大量に食べられるようになってから、こんなにも肥満が増えていったのでしょう。

なおかつ、肥満の増加とともに、糖尿病や心臓病といった生活習慣病が急増したそうです。まさに、食生活がポリネシアの人たちが元々持っている遺伝子(体質)と合わなくなった結果、肥満が増え、糖尿病が増えたのです。我々も、食生活をはじめとした生活習慣を見直し、遺伝子ができた頃の生活に近づければ、遺伝子が落ち着きを取り戻すことでしょう。

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.. 2026年03月25日 05:43   No.3449008
++ タク (社長)…4410回       
血糖値を上昇させる食べ物
糖質過多の食事は、インスリンの分泌量を増やし、膵臓の細胞を疲弊させるだけではなく、血糖値が高い状態が続くために、グルカゴンやソマトスタチン、成長ホルモン、プロゲステロンといった血糖値を上げるほうのホルモンの分泌量を減らしているかもしれません。

そのことで隠れた弊害が起こっている可能性も否定できません。ただし、糖質をゼロにしていいかというと、そうではないと思います。我々人間は、米や小麦を作り、定期的に糖質を食べられるようになってから、他の動物りも長生きできるようになりました。

糖質の登場が人類の寿命を延ばしたという事実がある以上、糖質が完全に悪者であることはあり得ません。炭水化物もタンパク質も1グラムあたり4カロリーです。カロリーとは、1ミリリットルの水の温度を1度上げるのに必要なエネルギーのことです。

炭水化物が定期的に手に入るようになったことで、手軽に効率よくエネルギーをつくり出せるようになったとも言えます。また、糖質制限食を勧める人のなかには、「糖質を一切摂らず、ブドウ糖を遮断しても、体は脂肪を分解して生み出した「ケトン体」をエネルギー源に使うから大丈夫」と主張する人もいます。

このケトン体も、ここ数年の間にすっかり人気になりましたが、本当にケトン体だけで体を維持できるのでしょうか、長期的に調べたデータはありません。良いとも悪いとも現時点ではまだ判断できないのです。私自身は、一切の糖質を断つ糖質制限食には反対です。

脳はケトン体そのものを使うことはできないので、TCAサイクルと呼ばれる別の経路を使ってエネルギーに変換する必要があります。そのため、余計なエネルギーを使うのです。糖質制限をすれば、確かに体重は落ちますが、体力も落ちます。

長期間続ければ、どこかに問題が生じるでしょう。そもそも、我々の体を形作る遺伝子の組み合わせが決まった1万年ほど前にも、ドングリなどの木の実を食べていたのですから、人類は糖質をまったく摂っていなかったわけではありません。

.. 2026年03月26日 08:35   No.3449009
++ タク (社長)…4411回       
糖質が悪いのではなく、糖質を摂りすぎることが悪いのであって、適度に摂ることが大切だと思われます。具体的には、白米や白いパンといった精製された炭水化物は控えること。つまりは、白米よりも玄米や十穀米を選ぶ、白パンよりもライ麦パンや全粒粉のパンを選ぶことを意識してください。特に白いパンは、白米以上に、急激に血糖値を上げます。

一気に血糖値が上がり、そのために大量のインスリンが分泌されるので、今度は急激に血糖値が下がり、血糖値の乱高下を招くのです。今、空腹時血糖値は正常でも、食後に血糖値が異常に高くなる「食後高血糖」が問題になっています。

白いパンはまさに食後高血糖を招きやすいのです。パンを食べるとすぐにお腹いっぱいになりますが、しばらくするとお腹が空きます。ご飯(米)のほうが、腹持ちが良いと思います。それは、パンに比べると、ご飯のほうが血糖値の上昇が緩やかな分、緩やかに下がっていくからです。ただ、だからこそ、パン美味しいと感じるのかもしれません。

あっという間に血糖値が上がり、脳が満足するので、「美味しい」と感じるのです。でも、日本では、パン食派の人が増えてから、肥満と糖尿病が増えました。精製された小麦のパンは、なるべく控えていただきたい食べ物です。

もともと小麦文化の欧米では、健康志向から、精製された白いパンよりも全粒粉のパンが増えています。でも、日本のパン屋で並べられているのは、精製された白い小麦の食パンや菓子パンばかりです。生まれもった遺伝子に合った食生活に近づけるための第一のコツは、精製された炭水化物、特に白いパンを控えることだと思います。

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.. 2026年03月26日 08:42   No.3449010


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