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イラン革命が起きると、アメリカはイランを攻撃するよう、密かにイラクをけしかけました。イラクの侵攻を止めようとせず、反対を表明しなかったばかりか、非公式にはイラクの行動に対して支持を与えていたのです。イラクは、イラン国内の混乱を絶好のチャンスと見て1980年9月に、イラクはイランに侵攻したのです。
この時、アメリカはイラクにはイランを倒せないと分析し、両国とも消耗するような長期戦こそがアメリカが望んでいた事態であり、サウジアラビアをはじめとする湾岸の産油諸国も、戦争が長期化するのに必要な資金を喜んで提供するつもりでいました。
ここで道徳的な国際政治でない事を指摘しますが、アメリカにはすでに第二次世界大戦中、大量虐殺をした独裁者ヒトラーを倒すために、別の大量殺人を犯した独裁者スターリンと組んだ実績があります。
アメリカはソ連軍を使ってドイツ国防軍を消耗させた上で、初めてノルマンディーに自国の陸軍を上陸させたのです。また1970年代には、ニクソンがソ連を封じ込めるために毛沢東の中国と同盟を結成しています。
このような同盟関係とは奇々怪々なものであり、利害が原則に優越する外交はアメリカのお家芸なのです。さらに言えば、1つの問題を解決することで、次の難問が生じるというのも、アメリカにとっては、いつものことなのです。
対ヒトラー戦で英米と組んだおかげでソ連がすっかり国力を強化し、第二次大戦が終わると超大国へと成り上がっていたことなどは、非常に分かりやすい例でしょう。さて、カーター政権ではイラン攻撃をそそのかされたサダム・フセインだったが、イランを攻撃したからといって、直接得るところは少なかったのです。
フセインが欲していたのは、ペルシア湾岸の覇者となることでした。オスマン・トルコ時代にはイラクの一部であり、後にイギリスによってイラクから切り離されたクウェートを取り戻す重要な戦略目標でした。
フセインは、イランを倒せば、イラクが湾岸最強の国家となることを理解していました。イランを倒した後クウェートを取り戻しても反対しないという暗黙の了解を、アメリカから取り付けていました。
.. 2026年03月07日 11:00 No.3441001
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