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施設利用者の「遠方避難」で相次いだ死… | 東電福島第一原発事故、介護現場の葛藤と混乱 #知り続ける └──── (2月24日11:00配信「福島中央テレビ」より抜粋)
15年前の東日本大震災と東京電力福島第一原発事故。 放射性物質がまき散らされ、原発から半径30キロ圏内の南相馬市原町 区では多くの住民が大型バスで町外へ避難した。そんな町に取り残された 人たちがいた。 物流が途絶え食料が底をつく中、介護老人福祉施設「福寿園」では寝た きりの利用者を助けるため「全員の遠方避難」に踏み切ったのだ。 しかし、身体的負担もあり避難直後から利用者の死亡が相次いだ。 交錯する「葛藤」と「混乱」。 後悔は15年たった今も胸に突き刺さる。 あの日あの時、混乱の裏側で何が起きていたのかー。 当時の現場を知る2人が重い口を開いた。
◎陸の孤島に 人の姿が消えた街
福島県の太平洋側、浜通りの北部に位置する南相馬市。 2011年3月11日、最大震度6弱の地震が突然、街を襲った。 沿岸部では津波が襲来し、1,158人(地震・津波・関連死含む)を超え る尊い命が失われた。 この大津波により被害を受けたのが、大熊町と双葉町にある福島第一 原発。 地震の翌日には原発事故が発生し、原発から半径20キロ圏内の住民に 避難指示が出された。 半径30キロ圏内にある南相馬市原町区では、避難指示は出されな かったものの、町では物流が途絶え、食料もガソリンも手に入らなくなり 陸の孤島に。 そこで行政は大型バスを手配し住民を続々と避難させた。 一気に人の姿が消えた街。その町に、取り残された人たちがいた。
◎混乱の中で取り残された人たち
南相馬市原町区にある介護老人福祉施設「福寿園」。今日も高齢者たち がスタッフに支えられながら、穏やかな時間を過ごしている。 だが15年前、この場所には今の風景からは想像もつかないほどの 「葛藤」と「混乱」が交錯していた。 ホームヘルパーの川久保浩美さん(62)と、当時施設長を務めていた 大内敏文さん(69)が、重い口を開いた。 2011年3月。原発事故により多くの住民が避難し静まり返った街 で、川久保さんの元に、突然、一本の電話が鳴った。
.. 2026年02月26日 05:36 No.3433003
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