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■--アジアと西欧を比較して
++ 仲條拓躬 (社長)…1422回          


ヨーロッパは2度の大戦の後、米ソによって東西に分断されて軍事的な支配を受けつつも、再び力を蓄えました。アメリカを刺激しないよう、西欧の統合は経済からスタートさせ、何年も議論に時間をかけながら通貨統合を果たしました。

アメリカはブッシュ政権時に、統合していく欧州に対して脅威感を表明するようになり、地球温暖化への防止策など、西欧が敏感な分野に対し、故意にとも思える反対政策を展開するようになりました。

2002年に入ってアフガニスタンでの戦争が一段落し、イラクを侵攻してアメリカが動き出すと、再び欧米間の関係が悪化しました。イラクのフセイン政権との間ではフランスなどが石油の利権を維持しており、それを踏みにじる形でアメリカがイラクに侵攻したのが一因でしょう。

西欧を中心とする国際社会の反発を無視し始めたアメリカに対し、伝統的に大陸ヨーロッパから一歩距離を置いてきたイギリスは、あえてアメリカ側に立つことで、フランスやドイツなど大陸勢を牽制しようと考えです。

イギリスのブレア首相は、国内の反発を受けながらも親米スタンスを維持しました。聖書のヨハネの黙示録に登場する、同じ言語を話す、2つの角です。こうした西欧の動きは、日本人にとって特に大きな意味があります。

第二次大戦の敗戦から半世紀、ドイツはアメリカからの独立を果たし、かつてのライバルであるフランスとの和合も進め、国際的にも一目置かれるようになりました。それに対して日本はどうだろうか?

アメリカからの独立問題よりも、歴史的なライバルである中国や韓国との間に、日本は政府としても人々としても、新しい関係をあまり模索していません。それどころか、反中国・反朝鮮の論調が国内に広がり、アジアとの関係強化ができない分、アメリカに頼らざるを得ない状況を生み出してしまったのです。

世界のどこの民族でも、大体近くの民族とは長年のライバルで、仲があまり良くありません。だが、そういう近隣同士の敵対意識を乗り越えて、ドイツとフランスは和合して自分たちを強化しようとしているのです。一方日本は、独仏と比較すると、日本を愛してなどおらず、中途半端な状態で構わないと政治に無関心になっているとしか思えないのです。

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.. 2026年02月18日 06:31   No.3432001

++ タク (社長)…4349回       
スターリンとバビロフ因果の糸
バビロフの運命は、クレムリンでは既に方向が定まっていたのかもしれません。ただ決定打となったのは、因果の糸が絡み合って起きた些細な出来事だったといいます。電車に乗り遅れたとか、飲料水を買うのに少し手間取ったとか、ちょっとトイレに寄ったとか、その程度のことだったかもしれません。

調査旅行から帰国したバビロフは、報告のためにクレムリンに出向きました。「やることが多すぎて時間が足りない」が口癖だった彼は、このときもクレムリンの廊下を大急ぎで歩いていました。手に持った鞄も、訪れた国の農業事情をまとめた報告書や資料で膨れ上がっています。勢いよく角を曲がろうとしたとき、反対からも誰かやってきました。

正面衝突した2人は床にひっくり返り、かばんの書類も散乱しました。バビロフの目に飛び込んできたのは、恐怖におびえきった相手の顔でした。それを見てしまった以上、長くは生きられない。バビロフは覚悟しました。なぜなら相手はスターリンだったからです。

バビロフは知る由もなかったのですが、独裁者スターリンは絶えず暗殺の恐怖におののいていました。ついにそのときが来たか。衝突の瞬間、スターリンの脳裏をそんな考えがよぎったでしょう。これまで数えきれないほどの乱暴を働いてきましたが、ついに自分がされる番になった。あのかばんには爆弾が仕込んであるに違いない。

しかし相手はただの不器用な学者バビロフだった。それでもスターリンのむき出しの恐怖を目の当たりにしたとき、バビロフの運命は決まった。衝突事件の直後からバビロフの様子が変わり、研究にいっそう拍車がかかったことは、友人たちも証言しています。

勢いを増すルイセンコとエセ科学のせいで、ソ連の穀物生産は打撃を受けていました。ロシアの冬を生き抜く小麦の品種を、一刻も早くつくる必要があったのです。パブロフスク研究拠点の実験農場。小麦と大麦が植えられた一画は、種類ごとに色分けされた標識がケシの花のように風に揺れていた。

.. 2026年02月19日 08:25   No.3432002
++ タク (社長)…4350回       
綿密な観察を続けるバビロフに、弟子のリリヤ・ロージナは当局の監視の目を盗んで進言しました。遺伝学の実験はあきらめてください。ルイセンコが、飢饉の元凶はバビロフだと触れ回っています。だがバビロフは意に介さなかった。何があっても研究は続けなくてはならない。急がなくては。時間を惜しんで働き、結果を正確に記録するのだ。

尊敬するマイケル・ファラデーのように。もし自分がいなくなったら、きみが代わりに進めてくれ。大切なのは科学を正しくやり遂げること。飢饉は今だけでなく、将来また必ず起きる。それをなくす手段は科学しかない。

「でも同志、あなたは逮捕されますよ!」 ロディナは食い下がる。「ではなおのこと研究を急がなくては」それがバビロフの答えだった。スターリンに引き立てられたルイセンコは、ソ連の最高指導部に食い込んでいく。

共産党中央委員会の委員に選出され、スターリンの片腕として恐れられたビャチェスラフ・モロトフやラブレンチー・ベリヤと肩を並べるまでになった。反バビロフの根回しも怠らず、彼の非科学的なたわごとがソ連の農業を破壊し、スターリンの地位を危うくしていると中傷を繰り返した。

バビロフを調査した。KGBファイルをマーク・ポポフスキーが英訳したものがあります。そこには、事実だけを頼みとする人間が民衆扇動者に対していかに無力であるかが克明に記されており、読むのもつらい。バビロフは研究の進捗状況を報告するため、党の委員会に召喚された。バビロフは見るからにやつれ、落胆した様子だった。

飢えに苦しむ国家を心強く励ます言葉を、用意できなかったからです。バビロフは、自分の研究所の生化学者たちは、レンズマメとエンドウマメを含有タンパク質で識別することもまだできないと述べました。はったりや空手形の気配はみじんもない、控えめながら正確無比な報告でした。偉大な科学者が自ら公開処刑に出向いたのです。

ルイセンコの喜ぶまいことか。彼は席から立ち上がりもせず、こう言いはなった。「レンズマメとエンドウマメの違いなど、食べてみれば誰でもわかる」演壇のバビロフは落ち着いていた。正しい主張はおのずと勝利するという科学のあり方を信じていたのです。

.. 2026年02月19日 08:35   No.3432003
++ タク (社長)…4351回       
「同志、これは化学的に識別できないという意味です」やつは万事休すだ。ルイセンコはとどめを刺すべく椅子から立ち上がり、芝居がかったしぐさで、大きな講堂の端から端まで見渡した。「食べてみればわかるものを、化学的に識別する意味がどこにあるのかね」 満場の拍手が起こった。扇動者の敵意は大きく実り、収穫のときを迎えていた。

出席していた下級役人たちは、科学者にやり込められたり、難解な専門用語に戸惑ったりした経験があります。飢えと恐怖におびえていた彼らは、世界的に名を知られた研究者でかつ、鋼鉄の意志を持つ冒険家に一気に優越感を覚えてあざ笑った。

これ以上バビロフを相手にする必要はないと判断したルイセンコは、バビロフをただちに逮捕して、警察国家の餌食にするようスターリンに依頼します。だがこれほどの人物が消息を絶つと、必ず騒ぎになるとスターリンは二の足を踏んだ。勇敢で着想力のあるバビロフは科学界で尊敬されています。

彼が国外に出られないならと、国際遺伝学会議の開催地をモスクワに変更しようとするほどです。だめだ、まだ機は熟していない。そこでルイセンコは、スターリンが手を下すのを待たずしてバビロフを葬り去る事にした。舞台はレニングラードにあるバビロフの植物生産研究所です。そこにはバビロフが収集した植物の種子が大量に保管されていたのです。

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.. 2026年02月19日 08:43   No.3432004
++ タク (社長)…4352回       
未知の世界への扉が大きく開く
1956年に修士課程を終えたカールは、シカゴ大学にとどまり、今度は物理学と天文学で博士号を取得することにしました。天文学の博士課程は、ウィスコンシン州ウィリアムズ・ベイにあるヤーキス天文台が舞台となります。

台長はユーリーの宿敵ジェラルド・カイパーでした。1956年夏、カイパーはカールをテキサス州のマクドナルド天文台に誘いました。そこで2カ月火星の観測をするのです。当時カイパーは、この惑星で唯一の惑星天文学者でした。

その頃は火星と地球の位置関係が好都合で、30年ぶりの大接近を迎えることになっていました。だが、交代で望遠鏡をのぞいていたカイパーとカールは、やれやれと首を振ってばかりでした。気象条件が悪かったのです。テキサスではなく、火星の激しい砂嵐が全体に吹き荒れて何も見えません。仕方ないので、2人は夏の夜を語り合って過ごしました。

カイパーは若き科学者に、斬新な発想を効率よく検証し、「封筒の裏に走り書きするような」とりあえずの計算を最適に行なう方法を伝授しました。以後カールは、その方法を日常的に実践することになります。太陽以外の恒星の周りを回る惑星は、いったいどんな世界なのだろう。その夏、2人の想像力は天の川銀河の中をどこまでも駆け巡りました。

未知の世界への扉が大きく開き始めたのです。宇宙に思いを馳せた1956年の夏を振り返ると、その後の科学の進展が実感できます。1956年といえば、有人どころか無人探査機もまだ宇宙に飛び立ったことがなく、宇宙から我らが小さな地球を宇宙から眺めた者は皆無でした。ところが翌年にすべてが変わります。

1957年10月4日、ソ連のバイコヌール宇宙基地からロケットが打ち上げました。ロケットはアンテナが伸びる銀色の球体を放出し、軌道に乗せました。人工衛星スプートニク1号です。スプートニク1号は単純な送信機で、9分で地球を1周しました。

世界中の人びとが、夜ごと屋根に登って空を見上げました。このちっぽけな人工衛星は、どんなにあり得ない夢もかなうことを教えてくれました。人間がつくったものが夜空に浮かび、星のようにまたたいているのです。

.. 2026年02月20日 05:29   No.3432005
++ タク (社長)…4353回       
スプートニク1号の成功は米国を震撼させました。財産と自由を巡る二つのイデオロギーが、真っ向からぶつかっていたのが冷戦です。ロシア人がいち早く宇宙に飛び出してみせたことは、西側の世界観に泥を塗るのと同じでした。

スプートニク1号を軌道に乗せ、米国の頭上を飛ばすことができるのなら、もっと危険なものを送り込むことだって朝飯前だろう。東西を二つの大洋に守られ、南北の国は弱く決して歯向かわない。そんな米国も、上空からの攻撃には無防備でした。

敵に偵察され、核兵器の標的となる新しいルートが出現したのです。もはや地球上に絶対安全な場所など存在しない。 独自の宇宙開発計画を進める必要に迫られた米国は、1958年、スプートニクから1年もたたないうちに米航空宇宙局NASAを設立しました。

スプートニクの成功はもう一つ副産物をもたらしました。カイパーは何年も前から地球を一つの惑星ととらえていたが、科学がようやくそれに追いついたのです。現代の私たちには当たり前のように思えるが、死もためらわない熱狂的な愛国主義が沸騰していた当時の人びとにとっては、知性も魂も揺るがす衝撃的な発想だったのです。

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.. 2026年02月20日 05:38   No.3432006
++ タク (社長)…4354回       
初の科学論文誌イカロス編集長
1958年、ソ連のスプートニク1号の打ち上げから1年もたたないうちにアメリカは、米航空宇宙局NASAを設立しました。カイパーは何年も前から地球を一つの惑星ととらえていたが、科学がようやくそれに追いついたのです。

現代の私たちには当たり前のように思えるが、死もためらわない熱狂的な愛国主義が沸騰していた当時の人びとにとっては、知性も魂も揺るがす衝撃的な発想だったのです。その頃、カイパーとユーリーは、それぞれ産声をあげたばかりの宇宙探査計画を主導していましたが、確執は激しくなる一方でした。

二つの研究室を行ったり来たりしていたカールは、むき出しの敵意にすっかり参り、親が離婚した子どものようだと嘆いたこともあるといいます。両方の研究室に所属する大学院生はカールだけで、彼が唯一の橋渡し役だったのです。

ユーリーはNASAの月到達計画のために献身的に働いていました。太陽系の形成過程を知りたいとようやく思い始めたのです。月面は雪をざくざく踏むような感じだろうというのがカイパーの予測でした。その後月面を初めて歩いたニール・アームストロングは、その通りの感触だったと語っています。

ユーリーとカイパーの下にいたおかげで、カールも偉大な冒険に参加することができました。子どもの頃に描いたポスターの見出し、宇宙船が月に到達がとうとう実現します。しかも自分もそこに加わっている。

カールは、月に向けて出発するアポロ計画の宇宙飛行士たちに指示を出しました。宇宙探査で得た情報を吟味するために、科学者たちが集まった最初の合同会合の場にもいました。生物学者、地質学者、天文学者、物理学者、化学者が一堂に会して議論するなど、かつてないことでした。もっともそれは議論というより、怒鳴り合いに近かったのです。

そんな会合の席で若きカール・セーガンが立ち上がり、こう言ったのは有名な話です。「皆さん、僕たちはこんな宝の山をもらえる最初の世代なのです。みんなで一緒に頑張ろうじゃありませんか」彼は惑星科学の創成期に道筋をつけ、それが現在も生きています。

.. 2026年02月21日 09:51   No.3432007
++ タク (社長)…4355回       
分野の垣根を越えた惑星研究を扱う初の科学論文誌「イカロス」で編集長を務めたのも彼です。この雑誌は今も続いています。カールは、地球以外の世界生命が存在する可能性のある惑星や、地球外の生命や知的生命の探査を、確かな科学の眼で追究した数少ない研究者の1人でもあります。

彼はまた、科学者以外のすべての人にわかりやすく研究成果を伝える為に、生涯努力を惜しまなかったのです。太陽系外惑星が最初に観測されたのは1995年。ジェラルド・カイパーとハロルド・ユーリーは既に死去していたし、カール自身も翌年世を去っています。

NASAのケプラー宇宙望遠鏡や世界各地の地上望遠鏡の観測で、太陽系外惑星が何千個も存在することが確かめられたのはずっと後のことです。この3名をはじめとする多くの研究者の努力で、ガスと塵の雲から一つの恒星が生まれ、その残り物が合体して惑星や衛星ができる、つまり太陽系が形成されるのに、1000万年以上かかる事がわかりました。

惑星形成は、ずいぶんと長い時間を要するが、珍しいことではありません。天の川銀河の中では、ほぼ毎月どこかで起きています。観測可能な宇宙には、おそらく1兆個の銀河があり、1兆の1000億倍個の恒星が存在し、もしかすると毎秒1000個もの新しい惑星系が誕生しているかもしれないのです。

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.. 2026年02月21日 10:01   No.3432008
++ タク (社長)…4357回       
退職金について
退職金の目的は、社員を定着させる事。すなわち、定年まで辞めさせないようにするものでした。途中で退職する場合は損をしますよというメッセージを持っていました。それは、自己都合退職の場合、減額する規定になっているわけです。

民間に限らず、役人を見ればお解りだと思います。だが、現在では、中高年齢者には早く辞めて頂こうと考えている経営者の方もいるのではないでしょうか。その逆に、社員にとっても、定年まで勤めるという気持ちがどれくらいあるでしょうか?

早期退職者の募集があると、募集人員を超えてしまうのは、何を物語っているのか?早期退職に応募する社員は優秀な社員であり、スキルアップのための退職です。経営者にすれば優秀な社員は、定年までお願いしたい社員です。

中小企業の退職金は、定年退職の場合で800万円から1,000万円が平均となっています。その程度の金額では、優秀な社員は引き止められません。特に昨今では、運用利回りが悪く、退職金の積立掛金が厳しくなっています。

中小企業退職共済制度等の確定拠出型の積み立てに移行している企業もございますが、確定拠出型であれば、掛金を払った瞬間に企業から社員本人のものとなりますので、その後は本人が請求し、会社を通さずに給付を受けられますので余計、退職しやすい状態になります。

定期昇給や賞与の原資もないのに、退職金に原資を廻すというのはいかがなものでしょうか。現在の貢献に対しては払う、給与や賞与を充実させることが大切だと思います。

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.. 2026年02月24日 05:40   No.3432009


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