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試論「廃原発事始め」第31回 | 「原子力の平和利用」が、55年体制を導いていった | 左右社会党が社会党に合一、 | 自由党と民主党が保守合同して自由民主党に └──── 藤岡彰弘(廃原発watchers 能登・富山)
【2】電気ハ誰ノモノデスカ?―電気に関わる事件史の中に、 廃原発への手がかりを探す Alongside History(「電源防衛戦」に併行する歴史語り)その6 「原子力の平和利用」の道は、冷戦による不安と、科学技術立国への 野望と、再び軍事大国を目指す欲望とで敷き詰められていた。 その道の始まりをたどる。
・「原子力の平和利用」が、55年体制を導いていった
◎ 1954年12月1日、アメリカ ゼネラル・ダイナミックス社社長 ジョンホプキンスらは、戦後復興支援の一つとして、米側から日本へ の原子力関連情報を提供する「原子力版マーシャルプラン」を発表。 同月22日、原水爆禁止を求める全国署名は2000万名を超え、鳩山 首相に手渡されました。 当初、原水爆禁止運動が、反米運動につながることを警戒していた 日米両政府も、運動が、原子力兵器禁止と原子力の平和利用とを一対 にして掲げていることに、いわば便乗していく方向に変わっていったのです。
◎ その時に大きな役割を果たしたのが、学術会議が提唱した「原子力 三原則」だったのだと思います。 作った当事者ですらその有効性に疑問を抱いていました。 とりわけ「公開」については、核兵器転用に関わる部分について そもそも「公開」などできないのです。 また「自主」についても、現状では、外国からのウラン・プルトニ ウムや、それらを扱う技術なしでは基本的な研究さえできません。 そういう現状を伏せておいて「民主」などと言ったところでなんの 意味があるでしょう。 ただ多くの民衆は、「核は嫌だ!戦争はもうゴメンダ!」という 思いの表現として、平和への願いを込めて「原子力の平和利用」を 掲げ、「原子力三原則を守れ!」と声を上げたのだと思います。
◎ それを翼賛化に生かそうとした者たちがいたということです。 1955年5月9日、アメリカの「原子力平和使節団」一行が来日。 8月6日、第1回原水爆禁止世界大会が広島で開催。 8月8日、ジュネーブで国連第1回原子力国際会議開催。
.. 2026年02月01日 08:56 No.3418001
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