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都電撤去が初めてのルポ 「首切りと統制処分−都電合理化問題をめぐって」 鎌田 慧(ルポライター)
わたしの東京生活は板橋区の志村坂上ではじまったが、都電で都心部に でられて、便利だった。その頃、国鉄山手線内を中心に40系統の路面電 車が縦横に走っていた。 1967年4月、美濃部亮吉知事の革新都政がスタートすると、都電の廃止 を決めた。自動車交通量の増加や都営地下鉄の整備などが掲げられたが、 合理化が進められた方針に東京交通労組は反対しなかった。
月刊総合誌「新評」の編集者だった。早大の生協機関紙で原稿依頼した 作家の花田清輝さんに会ったとき、「どなたか書いてくれませんか」と聞 いた。すると大きな目を挑発的に光らせて「君が書けないんですか」とひ と言。それで書く踏ん切りがついた。
「首切りと統制処分−都電合理化問題をめぐって」が文芸誌「新日本文 学」に掲載された。年の瀬の12月、 第1次都電撤去は銀座通りを走る銀 座線などからはじまり、1972年末まで続いた。現在、荒川線(三ノ輪 橋−早稲田)1系統が面影を残すのみだ。
1968年2月24日、新宿と月島通八丁目を結ぶ11系統電車の最後の 日。抵抗闘争があるど聞いて、最終電車に乗った。組合員たちが運行を妨 害するため停車場ごとに乗り降りを繰り返し、東銀座の歌舞伎座に近い三 原橋に着いたのは翌朝だった。警官隊がきて、組合員は逮捕された。 さらに続編を2本を書いたのが、初めてのルポルタージュ作品だった。 30歳。編集者を辞めて、フリーライターとなった。 (12月11日「東京新聞」朝刊24面「私の東京物語」「5」より)
.. 2025年12月20日 08:42 No.3391001
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