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永平寺「脱原発」への期待と不満 「もんじゅ」命名責任を反省するなら、今後具体的に 何の行動をするのか、示してほしい (保育士)
曹洞宗大本山永平寺が、11月2日、原発の是非を問うシンポジウム、「いのちを慈しむ〜原発を選ばないという生き方」を開催するというニュースがありました。放射性廃棄物やDNAを破壊する放射線は、子孫への負の遺産となるので、原発は命を長い時間の視座に置く仏教の教えと相反するとし、「今の生活を見直すきっかけにしてほしい」と呼び掛けられています。国内に約15,000のお寺と約800万人の信徒を抱える曹洞宗の大本山である永平寺が、「原発は仏教の教えと相反する」と宣言したことは、大きな影響力があると思います。これはもちろん歓迎すべきことで、喜ばしいことではあるのですが、私はちょっと物足りなくも思っています。 まず、第一に、遅すぎるということです。「原発は仏教の教えと相反する」ということは、もっと早くわかっていたと思います。原発推進派の言う「安心・安全・必要」に騙されていたのでしょうか。日々厳しい修行を積み、悟りの道を歩んでいる永平寺が、そんなバレバレのウソに騙されていたとは到底思えません。 仏教の根幹をなす考え方は、「諸行無常」です。森羅万象は生々流転し、留まることはない。永遠の存在などないということです。ところが人間は、永遠の存在があると錯覚し、それに執着します。例えば「夢のエネルギー」を騙っている原子力発電がそうです。仏教は、その執着を戒める側であるはずなのです。百歩譲って、バレバレのウソに騙されていたとしても、福島第一原発事故で、それがウソであったことはわかったはずです。あれから半年以上も経っています。中学生 アイドルの藤波心が声を上げ、制服向上委員会も後に続いているのに、本来であれば真っ先に声を上げるべき永平寺が、今頃になって「脱原発」を語り始めるというのは、あまりにも遅いのではないでしょうか。
.. 2011年10月26日 14:13 No.339003
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