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早大で生協機関紙づくり 鎌田 慧(ルポライター)
19歳からの2年4カ月の謄写学院時代は青春の一ページだった。1959年 10月に退職し、大学を受験するため下宿にこもって、社会と国語と外国語の 勉強に励んだ。 高校生のときにNHK講座でフランス語を学んだことがあり、お茶の水の 専門学院「アテネ・フランセ」にも通い、外国語はフランス語で受けて 合格ができた。 60年4月、早稲田大学第一文学部露文科に入学した。昼は授業に 出て、夜は謄写印刷の仕事、それに早大生協の編集アルバイトで月 2回ほど、機関紙「生協ニュース」をつくった。芸術運動で知られた 作家の花田清輝、NHKのドラマ演出家の和田勉、映画監督の勅使河原 宏といった方々に原稿を依頼した。よく授業はサボったが、論文を 出せば単位がもらえるいい時代だった。 日活が日比谷で上映する無料の産業映画を見に行ったが、溶鉱炉 から灼熱したオレンジ色の鉄の塊がダーッと流れる映像に惹かれた。 鉄鋼は日本の基幹産業であり、八幡製鉄所の大争議を描いた30年の 浅原健三著「溶鉱炉の火は消えたり」を読んでいたこともあって、 大学卒業後、神田に本社があった業界紙の鉄鋼新聞社に入った。 そんな高炉製鉄とは異なり、都内には鉄スクラップを購入して、 電気炉で鉄鋼をつくる町工場が多かった。鉄鋼の圧延工場もあり、 首都圏全ての工場を見て回り、2年半ほど記事を書いた。それから 月刊総合誌「新評(しんひょう)」を発行する出版社に移り、編集 者となった。 (12月9日「東京新聞」朝刊22面「私の東京物語」「3」より)
.. 2025年12月14日 09:09 No.3389001
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