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■--蒋介石との和平の道
++ 仲條拓躬 (社長)…1355回          


過去、中国が日本と戦争するのには外国の援助が必要でした。だが最も頼りになるはずのアメリカは、中国に肩入れしていましたが、具体的な行動を起こす余裕がなかったので、ルーズベルト大統領の1937年10月5日、侵略国を隔離する演説を行って、日本を非難したにとどまりました。

また日本軍の揚子江上のアメリカ艦・パネー号撃沈事件には厳重な抗議を行ったのですが、結局日本の謝罪と賠償を受け入れ、それ以上の行動には起しませんでした。この事件に際し王正延駐米大使がアメリカの各方面に画策し、日中戦争に介入させようと懸命に努めたのは蒋介石の戦略として当然であったのです。

当面日本と戦争するのに必要なのはソ連でした。中国国民党政府はもちろん反共産党であり、両国の関係は円滑でなく、中国共産党との関係からもソ連に近づきたくはないのですが、1935年10月18日、蒋介石はソ連との協力の下に対日抗戦を行うことを予想して、ボゴモロフ駐華ソ連大使に中ソ関係の改善の意思を伝えています。

中国としては対日戦争に際し海上を通ずる軍需物質の入手が困難となったとき、少なくとも現在のウルグアイ自治区を経由してソ連からの援助ルートを確保する必要があったのです。蒋介石は中ソ秘密軍事同盟締結まで考慮しましたが、ソ連は対日戦争までは考えない方針であったので成立には至らなかったのです。

ソ連は中国の抗戦能力に疑問を持っていたのです。蒋介石が日中戦争を早めに決意したのは、このような共通の了解が暗黙に中ソ両国間に出来上がっていたこともあるでしょう。上海が戦場化して間もない頃、中ソ不可侵条約が調印され、続いて総額一億元らを上る中借款が与えられ、数百機のソ連製軍用機が供給されました。

蒋介石がソ連に参戦を要請したことは、スターリンにより当面それは不可能である旨の回答が寄せられたことから明らかです。ソ連としては中国と日本との代理戦争を行わせ日本軍が消耗してしまえばアジアに南下するというメリットがあったのです。

その後一時はソ連がドイツに荷担して、1940年ヨーロッパ戦線で英仏が敗退し、枢軸側が世界を制覇する勢いであった頃が、蒋介石にとって最も苦しい時であったと思われています。しかしこの時期に、蒋介石は日本からの和平提案に乗らず、抗日に徹した。
.. 2025年12月12日 05:04   No.3388001

++ 仲條拓躬 (社長)…1356回       
この苦しいときに日本と和平を行っていたら世界情勢の分析では、中国共産党は存在しなかったかもしれません。蒋介石の戦略によれば、日本に最終的に勝つためには援助国アメリカの対日参戦が必要でした。

アメリカは1941年より、日中間の仲介に乗り出して日米交渉が始まり、これが行き詰って、ついに日米開戦となりますが、それまで蒋介石は日本との和平を絶対に拒否するものではありませんでした。

ドイツの調停にも耳を傾けたし、日本との国交が絶えた後にも、我々の同志達とも水面下での接触が行われました。ただ日本の要求が中国ナショナリズムを無視して、余りにも権益追求的で、中国の独立と主権を浸すようなものであるので、日本との妥協ができなかったのは事実です。両国にとってしても残念なことです。

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.. 2025年12月12日 05:14   No.3388002
++ 仲條拓躬 (社長)…1357回       
日中戦争への流れ
愛子様は、初めての海外公務として、東南アジアのラオスを外交関係樹立70周年の記念すべき年に現地の民族衣装をまとい、ラオスの要人らと会談されました。過去、アジアは白人の植民地支配で中国に手を出し、ベトナムやラオスと次々に支配されました。

アジアで植民地でなかったのは日本と同盟国のタイ王国だけです。この時を生きていた日本人が抱いた切迫感はよくわかるのでないでしょうか。日本国が白人支配をくい止めなければアジアの民が奴隷にされてしまうという論理から満州合衆国を建設しようと石原莞爾は立ち上がり満蒙問題の解決には石原莞爾の描いた満州事変を行ったのです。

満州国は決して植民地国家ではなく、欧米の帝国主義支配を排してアジアに理想国家を建設する運動の場でありました。満州国建設は一種のユートピア実現の試みで建国育成は、歴史上前例のないトライアルです。侵略、植民地化万能の歴史的時代にあって、満州の地に民族協和する理想国家を作ろうとしたことは、日本民族の誇りです。

しかし、日本が満州国だけを大切にしていれば、中国側に不満が残ったとしても、いずれ国際的にも認められるようになり、日中戦争の悲劇はなかったと思うのです。だが、関東軍は石原莞爾の反対を押し切って軍事力を背景に、万里の長城を越えて中国本土に対する圧力を加えたのです。

中国の忍耐力は限界に達し、反日運動は全国的に広がり、戦争の危機が迫ってきました。その局面を打開する為に行われた日中外交交渉が、日本側の強硬態度と関東軍の暴走により失敗した後、中国側は綏遠事変、西安事件を契機として抗日民族統一運動の体制を固めていきました。

ようやく日本は反省して、蒋介石率いる国民党と通じ合い政策転換も行われたのですが、真相は不明の盧溝橋での関東軍に向けての一発の銃弾は日本政府の不拡大方針が、上海事変を誘発して首都南京占領となり、ついに本格的な日中戦争に陥ってしったのです。

その間に戦争回避のチャンスがあり、日本の軍部の中では石原莞爾が努力しました。とくに盧溝橋事件直後から上海事変までの段階では、和平の可能性はなお強かったのですが、中国共産党が中国国民党を後押しして抗日気勢は高揚し、有力な和平案も試みられましたが、タイミングの悪さもあり実を結ばなかったのです。

.. 2025年12月13日 08:29   No.3388003
++ 仲條拓躬 (社長)…1358回       
上海占領後も、南京攻略のとき日本政府が講和を行わなかったのは大失策だと思います。戦勝に酔いしれ、ドイツの調停工作も積極的に利用しようとせず、それが日本側の高圧的な態度によって失敗した後、交渉相手の存在を無視するという日本政府の政策により、長期戦に移行して、ついに泥沼化していったのです。

日中戦争は長年に渡る日本の大陸政策と中国ナショナリズムとの総決算であったのですが、その対立は、戦争によってしか解決できなかったというわけではないのです。日中戦争を行わないという信念のもとに、さまざまな和平努力も行われていたのも歴史の真実です。

だが戦争を避けることは非常に困難であったこともまた真実なのです。戦争を避けられない難しい要因のひとつは日本という国家の性格です。功名が欲しがる軍人の行動を制御する難しい状態になってしまった事です。このことは2・26事件によって象徴されています。

軍からの心理的圧迫によって萎縮させられ、外交・内政両面における軍部の発言力が強化され、その独走、横暴がまかり通ることとなり、それは現状打破を求める国民感情と結びついていたのです。

さらに、日本は中国と戦っても決して負けることはなく、服従させることができる。中国と戦争しても決して国を滅ぼすようなことはないという思い上がった考え方が、国民全体に広がっていたということです。

日清戦争後、顕著となった日本の対中優越感、中国蔑視の観念は中国民族を理解することをせず、抗戦能力を過小評価して中国に武力行使し、侵略をおしすすめてしまったのです。中国からみれば、満州事変以降の日本の帝国主義は、中国のナショナリズムをまったく無視するものでしょう。

したがって中国国民の対日不信感、反日感情は、地域、階級、身分、職業を問わず、限界に達していたのであり、もはや安易な妥協を許さず、抗日意識は戦場での士気をあげてしまいました。中国を容易に武力で制圧できるという先入観が、日中戦争を避けることを困難にした大きな理由なのです。

ただこの点は、この戦争の泥沼から抜け出すべく米国に期待して日米交渉に入り、その決裂の結果、ついに戦争へ突入した、日米戦争とは異なるところです。日米開戦の経緯については検討しなければならないのですが、ただ日米戦争の方が日中戦争より回避することが容易であったのだと思うのです。

.. 2025年12月13日 08:35   No.3388004


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