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訪れし 仮設住宅に住む人を 「仮設の人」と 言ってしまえり 三原由紀子(歌人)
週が明け、放射能への不安な気持ちを抱えたまま原宿の勤務先に行く と、大きなテレビ画面では、東京電力福島第一原発が爆発した時の映像が 流れていました。同僚たちはまるで映画を見るように眺めていましたが、 「もうふるさとは終わってしまった」という絶望感から、私は涙をこらえ てパソコンに向かうしかありませんでした。
その一方で、ふるさとがこんな大変なことになっても、いつものように 働くことしかできない自分に疑問を持ち始めました。祖母と両親は福島市 を経て、親戚を頼りに山形県米沢市へ避難し、アパートを借りて住んでい ました。避難生活に慣れないうちに、父はホームセンターで、母はスー パーでアルバイトを始めました。母は慣れない仕事に泣いた日々もありま した。
避難にはまとまった仮設住宅、個別の借り上げ住宅があり、それぞれの 選択がありました。同じ町民なのに、無意識のうちに「仮設の人」とひと くくりに呼んでいた自分に気づき、とても違和感を感じました。 その年、独立したいという気持ちが確かなものになり、私と夫は一念発 起して東京下北沢で詩歌の出版社「いりの舎」を立ち上げました。原発事 故前から気になっていた福島県大熊町の歌人、佐藤祐禎さん=2013年に 84歳で死去=とお会いし、歌集「青白き光」を文庫版で再版したことが、 大きな出発点となりました。 (11月26日「東京新聞」朝刊22面「私の東京物語」「6」)
.. 2025年12月06日 09:05 No.3383001
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