|
|
1950年中頃から、米国はインドシナ半島における反共産党の砦として南ベトナムのゴー・ディン・ディエム政権へ肩入れしました。それはフランス軍がホー・チーミン率いる北ベトナム人民軍によって大敗させられた事件に触発されたもので共産主義の浸透に対する危機感は増大するものでした。
1960年代に入って南ベトナムの仏教指導者が反政府運動に一斉に立ち上がり、南ベトナムの政治的、社会的混乱に一層拍車がかかるようになりました。1963年には軍部がクーデターを起こし、米国が支援してきた独裁者ゴー・ディン・ディエムが暗殺されます。
1965年米国は陸・空軍をベトナムに投入すると共に本格的な空爆を開始したのです。翌年にベトナムに派遣された米軍の数は30万人以上です。ベトナム戦争に反対していたケネディ大統領が暗殺されると、アメリカは急速にベトナム戦争の泥沼に突入する事になるのです。
戦争における化学物質による環境汚染は酷いもので、枯葉剤で流産、死産が急激に増え、先天異常などが増加しました。自然破壊を生み出したベトナム戦争は、人間存在の暗黒が潜んでいます。大自然の大きな流れは、人間の能力を遥かに超えたものであり、地球を愚かな戦争によって破壊しているのです。
1961年に南ベトナムはアメリカと軍事援助協定を締結して、多くの生物化学兵器も持ち込まれ、枯葉剤は早くもこの時から撒かれました。1964年8月、トンキン湾でアメリカ海軍の駆逐艦への魚雷攻撃が起こり、トンキン湾事件が勃発しました。
日本のテレビで放送していましたが、米国はベトナムに軍事介入する為に挑発を続け本格的介入を目論む仕組んだ自作自演であったことが明らかにされました。その報復を口実に米軍は北ベトナムの魚雷艇基地に大規模な軍事行動を開始して宣戦布告しますが、米国のジャーナリストにより後に暴露され米国防総省の機密文書が世界に配信されたのです。
ジョンソン米大統領は、報復として首都ハノイや北ベトナムへ空爆を承認、海兵隊も上陸させて、アメリカは中国とソ連が支援する北ベトナムと泥沼の戦争にのめり込むのです。空爆を繰り返すアメリカ軍に対し、北ベトナムはカンボジア国境の山岳地帯でゲリラ戦を試みます。
.. 2025年12月03日 05:04 No.3381001
|