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.試論「廃原発事始め」第15回 | 電気と電気事業に関わる事件・事故に対して | タテ・ヨコ・ナナメに「眼」を動かして廃原発への手がかりを探す └──── 藤岡彰弘(廃原発watchers 能登・富山)
【2】電気ハ誰ノモノデスカ? … 電気に関わる事件史の中に、廃原発への手がかりを探す
はじめに 「エネルギーの市民自治はいかに可能か?」と大上段に構える前に、 タテ・ヨコ・ナナメに「眼」をうごかしてみよう
ずいぶん間が空きましたが、再び連載を始めさせていただきます。 ◎ 前回までは、原発を推進する側が、なぜ原発に固執するのか、固執で きるのか?という問いに対する私なりの考えを書いてみました。 そのなかで私は、大量生産、大量消費、大量流通、大量廃棄の社会・経 済構造こそが問題の根源であること。そして戦争がその構造を象徴し、日 本は「日米核同盟」という枠の中で、「潜在的核保有大国」に成り上がろ うとして、再び戦争を招き寄せようとしていること。 その現状に対して「廃軍!廃核!廃原発!」と高く声を挙げようと書き ました。
◎ もちろん、そう書いてみたところで何も変わりはしません。 ではどうするのか? 「エネルギーの市民自治を目指すのだ!」と突っ張ってみても中身がな くては意味がありません。 「市民」とは誰のことなのか?「自治」とはどういうことか?というこ とを、少し頭を柔らかくしていろいろな方向から考えてみたいと思います。
◎ そのための手がかりになりそうなものをいくつか取りだしてみ ました。 原発とは直接関係のないものの方が多いのですが、最後までお付き合い いただければ幸いです。 そしてこの【2】の章の後、これまで私なりに考えてきた「廃原発」社 会へのとば口について、【3】の章として書き進めていきたいと思います。 ところで、この【2】の章の「電気ハ誰ノモノデスカ?」というタイト ルは、電気事業が始まってからの様々な事件を紹介した田中聡さんの著書 『電気は誰のものか 電気の事件史』(2015年晶文社発行)からとらせて いただきました。「何だ、そのまんまじゃないか」と言われてもしかたな いですが、ただなぜ私がタイトルにカタカナを使ったのかを、この後を読 み進めていくなかでわかっていっていただけたらと思っています。
.. 2025年11月29日 06:17 No.3376001
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