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外国人にとって、日本文化を根っこから理解するのは難しいと思います。宮沢賢治の作品は、国や民族を超えたコスモポリタン型文学としてよく知られていますが、作品を理解するうえで一般の外国人の感覚からは不可解に思うところがあるのです。
正邪をはっきりさせなければ気がすまないという外国人の一般的な価値観からは、日本文学は、不自然な行為に映るでしょう。これが外国人の大方の素直な印象だと言います。日本で勉強している外国人は、不可解な疑問を潜在させたまま、日本の社会・文化を勉強しています。
すると日本人の独特な死生観や思考が慣習に常にありながら、見えにくい部分であると言うことに気がつきます。それは日本独特の価値観で「死の美学」という日本文化全体に通じる1つの特長でしょう。死を神聖視し、美化しています。
この死生観はおそらく、仏教、神道、それに武士道の3つが醸成しあっているように思えます。靖国神社問題でも日本人は外国人にこうした日本独自の死生観について説明をしていません。語らない限りは日本固有の死生観や日本的な思考を前提にしていることを知るのは、外国人には至難なことでしょう。
多くの外国人が日本人について研究すると、異質な死生観への認識に到達するのに十数年かかったといいます。文化や歴史を学ぶ点で模索を繰りかえし、時には失敗や誤解を招きながらも、理解をより深めていき知識更新していくことが大切だと思います。
世界は、ヨーロッパを引き継いだアメリカが世界に君臨している結果、世界中の子供達が英語を勉強しています。侵略者の言葉を学ばなければ生きていけない世界ですから苦しくても学ばなければならないでしょう。
もし第二次世界大戦で日本が勝っていたなら、今頃は世界中の子供達が日本語を勉強していたはずです。だが、産業革命はイギリスで起きてしまいました。アフリカや中南米・中近東・日本を含むアジアには起こりませんでした。
それは、白人が優秀で、黒人や黄色人種が劣等であると言うわけではなりません。例えば5世紀から15世紀までは、ヨーロッパも小さな土地を巡って王候間の抗争が続いており、無知と貧困と戦いに彩られていました。「蛮族」の集まりであったわけです。
.. 2025年11月03日 07:33 No.3363001
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