|
|
極東軍事裁判法廷が山形県酒田市迄出張して、吹浦町西山で病床に服する石原莞爾を尋問すべく軍事法廷を開きました。元野田市会議員議長である戸辺栄一同志はちょうど農繁期で出かけられなかったのです。
だが後日、戸辺栄一同志が、石原莞爾平和思想研究会元出納長・仲條立一氏に聞くと昭和22年5月1〜2日酒田市臨時特設法廷で始まり、エリマ・ノースクロット判事の「尋問に先だって何か言う事はないか。」の発言に次のように記憶しています。
「満州事変の中心は自分である。錦州問題にしても、満州建国の問題にしても皆自分であるのに、なぜ私を戦犯として逮捕しないのか不思議である。」と、すると判事も検事も慌てて「貴下は参考人としてこちらの質問にイエス・ノーで答えればよい。」と言う。
之に対し、「私は僭越ながら日本国民を代表として、日本が何十年もの永い間、アジアの諸国民にご迷惑をおかけしたことをお詫びする。日本は侵略だ、侵略だと非難されるが、欧米諸国が昔からやってきたことを日本が見習ったのも事実である。」
「しかし、日本人の心の底にアジアの解放があったことも確かだ。植民地であった諸国が今度の戦争の後に独立を獲得したことに依って、日本人の願いは達せられたのではないか。東條が権力を振るったと言っても、マッカーサーの権力の足下にも及ばない。」
「東條は東亜連盟を解散させることができなかったが、マッカーサーは簡単に解放させたではないか。私が参謀総長に親任させられていたら、今頃はニューヨークに石原司令部を置いて、マッカーサーを顎で使っていたろう。アメリカの無差別爆撃や原子爆弾の使用は、全く非人道的な暴虐行為であり、国際法を完全に侵犯したものだ。」
「私が総理大臣だったらアメリカに対して賠償を要求する。もう完全に参っていた日本に原爆をくらわせたのは、アメリカが日本を原爆の実験台にしたのではないか。ソ連が不可侵条約を一方的に破って戦争を仕掛けたうえ、何十万の捕虜を連れて行って酷使したことは、非人道の極みである。これを見たマルクスが地下で泣いているだろう。」
.. 2025年10月28日 07:46 No.3358001
|