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「下北核半島」の今 「海と畑がなくなれば人間は生きていけない」…故熊谷あさ子さん
鎌田 慧(ルポライター)
5月に「さようなら原発」をやっている人たち10数人と「下北核 半島」をまわったが、先週末はアジア太平洋資料センターの講座受講者 10数人と同じコースの旅だった。 本州最北端の下北半島は1974年、原子力船「むつ」の失敗の後、使用 済み核燃料再処理工場など「核燃料サイクル」の建設が始まったが、 32年経っても完成せず、竣工延期を繰り返す。 再処理工場でプルトニウムを取り出して、原発燃料にする、という夢は 破綻しそうだ。 その一方、原発から出る高濃度の放射性廃棄物は各地で満杯に近づいて いる。 下北半島には核廃棄物の「中間貯蔵所」もいち早く建設されたばかり か、原発も3基建設され、1基は休止、2基は未完成である。 青森県には各地で嫌がられた核施設が集中的に押しつけられた。 1970年から取材を続けてきた。むつ市のホテルで寝ていると、お会い した今は亡き反対派の人たちが次から次と現れて眠れなかった。 半島の最先端で計画された大間原発の炉心は、当初から数百メートル 海側に移動した。 炉心の計画地に畑があった熊谷あさ子さんが、買収を拒否し続けた。 電源開発の社長が2代に亘って直接説得に来た。 彼女は拒否し続けた。「海と畑がなくなれば人間は生きていけない」と いうのが信念だった。 いま、娘の厚子さんと孫の奈々さんが遺志を継いでいる。 (9月30日「東京新聞」朝刊21面「本音のコラム」より)
.. 2025年10月03日 07:42 No.3337001
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