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1899年、 南アフリカでボーア戦争が起こります。ネーデルラントから入植したボーア人は、大英帝国にケープ植民地を奪われ、北の奥地に移動して、トランスヴァール共和国とオレンジ自由国をつくったのでした。
そこで金鉱やダイヤモンド鉱山が発見されたのですが、それをまた大英帝国が奪いにかかったことから、ボーア戦争が勃発しました。この戦争に大英帝国のインド洋における兵力がほとんど投入され、50万人という大軍が南アフリカにくぎ付けにされます。
ボーア人は恨み骨髄で徹底抗戦します。そのために大英帝国は、兵力をアジアに展開する余裕がなくなります。これが日英同盟に結びつきます。ところで大英帝国は南アフリカで1879年、黒人国家のズールー王国とも戦っています。
この戦争にはナポレオン3世の息子、ナポレオン4世が、英兵として従軍し、戦死しています。ナポレオン4世は、もう皇帝の時代じゃないとわかっていて、担がれるのは嫌だと思っていたのではないでしょうか。死んでも構わないという気持ちで志願したのではないかといわれたりしています。ナポレオン2世と4世の生涯は、気の毒に感じます。
徳川幕府は朝鮮とは国交を結んでいました。なので、明治維新の後、明治政府は対馬藩を介して、「日本には新しい政府ができたので。王政復古して天皇が主権者になった」という手紙を送ります。しかし、朝鮮は受け取りを拒否しました。
なぜなら天皇の「皇」という字は皇帝の「皇」です。「こんな漢字は中国以外、使ったらまずい」と考えたからです。 冊封体制、朱子学の発想です。一方、明治政府は、ネーションステートに乗り遅れたのを挽回するため必死です。
「日本国民」という意識を人々の内面に生み出し、ナショナリズムを鼓舞したい。そのために天皇を中心に据えた神話を称揚します。ヤマトタケルや神功皇后などの神話です。神功皇后の神話には、朝鮮半島を討伐した話が出てきます。
そうすると、ネーションステートという文脈を理解しない人たちから、「神功皇后が討伐した朝鮮半島は、また征伐してしまえ」という話が出てくる。征韓論で勢いづきます。神話を必要以上に持ち上げたことが、のちの不幸のきっかけになります。
.. 2025年09月07日 09:13 No.3321001
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