|
|
日本VS米国・自存自衛の戦争 昭和16年、日本政府が野村吉三郎海軍大将を米国大使としてワシントンに派遣しました。野村吉三郎は第一次世界大戦のとき、米国に海軍武官として着任していた時に、ルーズベルトが海軍次官をしていたので、親交があったのです。ですから、日本では野村吉三郎をワシントンに送って、外交で米国の気持ちを何とか和らげようとしたのです。
日本は全くお人好しなことに、陰では米国と英国の間で打ち合わせが進行していたことに気がつかないのです。さらに、米国はスペシャル情報というのを持っていました。これは日本の外交機関の交信する暗号電報をすべて解読したものです。
米国の暗号解読機関が日本の外交機関の暗号通信を解読して、重要な点をレポート形式にまとめて、ルーズベルトを初め米国の一部だけに知らせていたので米国からすれば、日本が何を考えてどうするつもりなのか、全て筒抜けだったわけです。
日本は近衛内閣も陸軍も海軍も、本音を言えば、米国のような大国と戦争はしたくない。だから米国と妥協するために真剣に外交交渉をやりました。これは否定できない事実だと思います。但し、北部仏印や中国から軍隊を引き上げ、蒋介石の国民党政府を承認するという、米国の要求は受けられない。それは事実上の敗北宣言だからです。
軍部の威信が大きく低下する。これまで中国で戦い、戦死した遺族に顔向けできない。国粋団体や新聞や国民が収まらない。過激な青年将校がクーデターに走るかもしれない。軍部はこれまで勇ましいことを言い続けてきましたから、後に引けなくなっていたのです。
ここで唯ひとり指導力を発揮できる立場にあったのは昭和天皇だけでしょう。昭和天皇が終戦時の御聖断のように、米国との戦争はどうやっても勝ち目がないのだから、米国に譲歩しなさいと英断を下し、国内で混乱が起これば、威厳令で乗り切ってしまう、というような方法です。しかし、天皇は内閣に決定をゆだねている。
内閣も天皇を悩ませてはいけないので、天皇に決定権をゆだねるのは止そうと考えています。そして内閣では譲歩したくても、東条陸将が譲歩はだめだと頑張っている。天皇の次に決定を下せるのは東条陸将ですが、東条は強行突破を唱えています。
.. 2025年09月01日 04:53 No.3316001
|