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なぜ日本にとって満州が重大かというと、昭和の初期に世界恐慌があり日本もそのあおりを食らい、大変な不景気がやってきました。そのとき、日本人の対応は3つあったと考えられています。1つは、共産主義、コミュニズムでした。第一次世界大戦の終わり頃にロシアに革命が起き、初めての共産主義国ができました。
このマルキシズムによる新国家は、人類が初めて到達した理想社会の建設かもしれないという夢を多くの人が抱きました。それは当然、日本のインテリたちにも影響力を持っていくわけで、どんどん共産主義思想というものが日本へ入ってくる状況が、大正の末期から昭和の初期にかけて出てきます。
そういう意味で共産主義が、不況にさらされている日本の1つの解決、あるいは逃げ道になるかもしれないというスローガンがありました。もう1つは、軍部と右翼が結びついての国家改造及び対外進出という方向がありました。
さらにもう1つは、現在の日本人に一番多い右と左の政治的な方向に行く冒険主義を嫌った人たちは、この不景気の中で、刹那的に無目的に、デカダンスの中にどんどん身をあずけていくという方向があったのです。当時の日本にはこうした3つの方向へ向かう選択肢があったと思います。これはある評論家の意見ですが、納得できる分析だと思います。
そして、そこからまた国内の右翼とともに、新しい軍人たちによって、日本国家の改造問題を考えるグループが登場します。例えば後に二・二六事件の陰のイデオローグだということになっている北一輝に『日本改造法案大網』という本があります。
これは今の日本の国家形態ではだめだから、日本を改造しようということです。この改造プランというものは、まず憲法を一定期間停止して戒厳令を敷き、この間に貴族院を撤廃し、一定以上の土地の所有を禁止して、一定以上の財産の所有を禁止しようというふうな改造法案を作成していくのです。これが一部青年将校にバイブル視されます。
これは北一輝だけでなく、大川周明という人にも同様な動きが起きてくるのです。それが、理論化しない農民運動と結びついた右翼からもいろいろな改革運動というものが出てくるわけなのです。北一輝は処刑されましたが、そのときに銃殺されるのは、右翼の思想をまき散かしたからではないのです。
.. 2025年06月01日 08:14 No.3261001
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