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■--ナポレオンを打ち破ったのは元部下
++ タク (社長)…3945回          


ナポレオンの転落は1808年から始まります。この年、スペイン王室の混乱に乗じて、自分の兄をスペインの王様にしますが、民衆から激しい抵抗を受けます。ナポレオンには、なかなか子どもが生まれず、跡継ぎがいないのが泣きどころでした。

ナポレオンが本当に愛した女性は、最初に結婚したジョセフィーヌだけだと思うのですが、 子どもが生まれないので離婚して、オーストリア皇女のマリー・ルイーズと結婚します。するとすぐに子どもができました。ナポレオン2世です。

同じころ、スウェーデンで王室が断絶します。スウェーデン議会は王位継承者として、ナポレオンの部下であるベルナドットを指名し、これをナポレオンは承諾しました。ベルナドットの妻は、ナポレオンの昔の婚約者でした。

ナポレオンの大陸封鎖令は我慢比べでした。連合王国にとってはもちろん、ヨーロッパ諸国もつらい。ついにロシアが我慢できなくなって、大陸封鎖令を平然と破り始めました。怒ったナポレオンはモスクワに遠征しますが、ロシア軍は焦土戦術をとってモスクワを逃れ、それを追うナポレオン軍は冬将軍に襲われて敗退します。

ナポレオンがとうとう陸戦で敗れたというわけです。ヨーロッパ諸国は連合軍を結成し、 ナポレオンを討とうとします。それが1813年のライプツィヒの戦いです。連合軍の総司令官は、あのべルナドットでした。

ベルナドットは、純粋にスウェーデンの国益を考えたのだと思います。かつての部下のベルナドットがナポレオンを打ち破り、ナポレオンは退位してエルバ島に流されます。ナポレオンが退位した後、連合王国とオーストリア、ロシア、プロイセンはウィーン会議を始めます。

ところが舞踏会を開くばかりで、「会議は踊る、されど進まず」といった状況です。それを見たナポレオンは1815年、エルバ島を脱し、皇帝に復帰します。けれど、ワーテルローの戦いで連合軍に敗れて再び退位します。いわゆる「百日天下」です。

ウィーン会議とは、要するにナポレオン失脚の後始末で、戦争に負けたのはフランスです。 プロイセンがナポレオンに負けたときには領土が半分くらいになっています。だから今度はフランスの領土が半分くらいになってもおかしくないはずです。
.. 2025年04月14日 05:13   No.3229001

++ タク (社長)…3946回       
ところがフランスにはタレーランという、とんでもない策士がいました。ナポレオンにも仕えたこの外相は、「悪いのはナポレオンでもフランスでもなく、フランス革命です。王様を処刑したことが何よりもいけなかった」というロジックをつくり上げました。だから 「フランス革命の前の状態に戻せばいい。それで、すべてが丸く収まりますよ」と、主張したのです。

すると、ヨーロッパの皇帝や国王たちは、「確かにそうだ」と納得してしまいました。だから、「フランス革命の前の状態に戻そう」ということになって、フランスは革命前の領土をほとんど失わずに済んだのです。軍事力がなくても、誰もが納得する理屈をつくり上げれば外交交渉を制することができるという素晴らしい見本です。

タレーランがうまいことやれたのには、会議を主催したオーストリアの外相メッテルニヒがあまり賢くなかったということもあったかもしれません。メッテルニヒは、小細工はすごくうまい人でしたが、大局観を持っていませんでした。

プロイセンはナポレオンに削られた領土を取り戻しましたが、フランスはブルボン朝時代の領土を削られていません。タレーランのロジックのせいです。ヴェネツィアなどの共和国は全部、潰されました。タレーランのロジックは 「革命が悪い」「王様の政治に戻す」ですから、共和政は否定されます。

ヴェネツィアは、オーストリアの支配下に入りました。ヴェネツィアにしてみれば、とばっちりです。連合王国は、ネーデルラントからスリランカとケープ植民地を分捕りました。ネーデルラントの国王がナポレオンの弟だったからです。

しかし、ネーデルラントにしてみれば、ナポレオンに押し付けられただけの王様ですから、迷惑な話です。そんな理由で連合王国は、インド洋交易の要所2カ所を押さえたのです。ロシアはフィンランドとポーランドの大公位と王位を得ました。以上がウィーン体制です。

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.. 2025年04月14日 05:26   No.3229002
++ 仲條拓躬 (社長)…1164回       
溥儀を登用した理由とは

なぜ関東軍が溥儀の登用に踏み切ったのかと言うと、第一に、溥儀が満州族の名門であり、旧皇帝としての声望は東北地方で元首として通用すると判断した事でしょう。第二に、中国東北地方が、満州族の故地であることから頭首となっても国際的非難を回避できる可能性が高い事です。

第三に、溥儀が国民党政府に対し激しい反感を抱いており、蒋介石とも張学良とも結ぶ心配がないと判断された事です。第四に、熙洽、張海鵬らの支持はあるものの溥儀自身には政治的実力がなく、関東軍に頼らざるをえない事です。

第五に、連省自治といった形態をとる国家で、いずれかの省の実力者が政権を握れば対立を生むことになり、分裂を避けるためにも溥儀のように固有の基盤をもたない人物をシンボルとして元首の座に据えた方が無難であるとみなされた事などを関東軍は挙げています。

しかし、そのことは溥儀だけが新元首として唯一の候補者であったということを意味するものではなく、恭親王溥偉を中心として「明光帝国」を建設する運動も行われていたし、山東省にいた孔子の子孫を頭首にする案も関東軍では検討されていました。

このほか、張宗昌、唐紹儀、呉佩孚などのほか粛親王第七子金碧東を擁立して親日政権を樹立する動きも活発になされていた。そうした動きは溥儀を登用することが時計の針を20年も逆戻しにする時代錯誤とみて避忌する気分が強かった事の現われでもあったのです。

もちろん、関東軍としても溥儀を絶対に元首にしなければならないと考えていたわけではないのです。関東軍が溥儀をいかに見ていたかは、天津から溥儀を脱出させるに当って、万一中国軍に発見されて逃げ切れなかった場合、ガソリンに火をつけて船もろとも生き証人を沈めてしまう予定でドラム罐が積み込まれていました。

という一事をもってしても知ることが出来ます。しかし、独立国家として新国家を建設する以上、誰かを元首にしなければならないことも事実であり、相対的にせよ溥儀が関東軍にとって利用価値が高かったことは否めないのです。

加えて、溥儀を引き出すことによって、もたらされるはずのもうひとつの効果にも関東軍の食指は動いていたのです。それは満州国の版図として関東軍が内蒙古を取り込むことを企図としていたことにかかわっています。

.. 2025年04月15日 09:02   No.3229003
++ 仲條拓躬 (社長)…1165回       
つまり、蒙古の諸王侯は清朝とのつながりも深く、また漢民族への反発という点からみても満州族の溥儀を用いれば蒙古族の支持を調達することは容易になると見込まれていたのです。

そして、関東軍の見込みどおり、満蒙両族は同じ君主を戴くという同君思想によってホロンバイルの貴福、凌陞、哲里木盟の斎黙特色木丕勒らが呼応、またかつての満蒙独立運動の推進者バブチャップ将軍の遺児甘珠爾扎布らも蒙古青年党を率いて内蒙独立運動を展開しつつ新国家建設へと動いていったのです。

.. 2025年04月15日 09:08   No.3229004
++ 仲條拓躬 (社長)…1166回       
米国がイランを攻撃するのか

イラン国でのイスラム革命は、国王政府を倒して、ホメイニ師がイスラム聖職者の政権を握る民衆運動でした。国王を支援していた米国を恨む学生らが首都であるテヘランの米国大使館に押し入り、アメリカ人職員を人質にして立て篭もるという「米国大使館人質事件」が起きたりもしたのです。

当時のブッシュ大統領の父親はその時、CIAの長官をしていた経験があります。当時のイラン国王はアメリカの傀儡で、CIAは国王が社会主義やイスラム主義者を弾圧することに手を貸して、積極的にイランの内政に首を突っ込んでいたのです。

イラン・コントラ事件では、CIAがイランに対して武器を秘密に裏で輸出し、その代金を中南米のニカラグアの社会主義政権と戦う反政府ゲリラ「コントラ」への軍事支援に転用していたことが発覚しました。

イランへの武器輸出も、コントラへの軍事協力も米国では禁じられていたことです。米国はなぜ、敵であるイランに武器を輸出していたのか、米国政府はいまだに説明をしていないのです。イラン・イラク戦争の際には、米国はイランだけでなく、イラクにも武器を輸出しています。

イランもイラクも世界有数の産油国、考えられることは、欧米や日本に輸出した石油の代金としてイランやイラクの政府が得た外貨で、武器を購入させるという構図だったのです。ブッシュ一族の家業は石油業です。

そのように考えると、911テロ事件には仕組まれた事件だと思っても不思議ではないのです。日本のマスコミも「アメリカ軍の特殊部隊が半年前からイランに潜入して、施設を探知する作業を続けている。30カ所以上の核施設や軍事施設に向けて、ミサイル攻撃作戦が行われる予定だ」という内容を発表しています。

米国の言動は、様々なところで効果をもたらします。その前年に行われたイラン大統領選挙では、親米的な改革派が不利になり、反米的な強硬派が有利になったのです。イランの民衆は米国と仲直りして豊かになりたいと望む方が増えていますが、米国が敵視を解かず、悪の枢軸に指名するなど、敵視を強めています。

.. 2025年04月17日 07:34   No.3229005
++ 仲條拓躬 (社長)…1167回       
イランも化けの皮を剥がそうとしていますが、世界の多くのイスラム教徒も、ホロコーストの話は嘘だと言う事を言う方もいます。中東の政治家たちの私的な会話でホロコーストは全てが本当ではないと語りますが、欧米の反撃を恐れ、公式には決して語れないのです。

だが、イラン側は「ホロコーストの事実の偽造こそが、シオニストのパワーの源なのだ」と語り、同時に「イスラエルは400発の核弾頭を所持しているのに、イランにはウラン濃縮も許さないのは不公平だ。イランに圧力をかけるのは、イスラエルに核兵器を破棄させてからにすべきだ」とも語ってしまったのです。

中東の多くの国は、国境も権力も、欧米によって確立されたものです。エジプトのムバラク大統領にヨルダンのハシミテ王家は、米国の支援でしょう。サウジアラビアやクウェートの王家も、米国の協力で国家建設をしました。

このような構造が中東の人々の間では反欧米という状態になっているのです。米国がイランを攻撃してすべてを破壊してしまいました。中東での反米感情は高まり、エジプトやヨルダンでの親米政権転覆の懸念が強まっているのです。イスラエルの軍事侵攻は中東全体を巻き込み、日本の自衛隊が危機に陥る事も視野に入れておく必要があるでしょう。

.. 2025年04月17日 07:39   No.3229006
++ 高橋典久 (中学生)…35回       
「ガザ戦闘1年半」(3)
 | 2006年ガザ平和のチャンス 誰が潰した?
 | 2006年パレスチナ立法評議会選挙から≪2023.10.7≫まで
 └──── 高橋典久(宮城県村田町)

※「ガザ戦闘1年半」(2)は、4/11【TMM:No5180】にて紹介

1.2006年ガザ平和のチャンス 誰が潰した?

 戦争は、ある日、突然、起こるものではありません。太平洋戦争を振
り返れば分かります。当事者・日本と米国との「やり取り」・交渉の過
程があり、戦争に至ります。
 戦争までのプロセス・「直近の歴史」をていねいにたどれば、その主
な要因が見えてきます。100年も200年も歴史を遡ることはありません。
 しかしながら、日本のテレビ・メディアは「テロと報復」、「報復の
連鎖」あるいは「宗教対立」など“短絡的な図式”を繰り返し伝えるだ
けで、この「1年半」、プロセス・「直近の歴史」を詳細に伝えること
はありませんでした。報道してはいけない?! 

2.「不都合な真実」
  2006年パレスチナ立法評議会選挙から≪2023.10.7≫まで

◎ 2006年、パレスチナ立法評議会選挙が行われます。日本で言えば総
選挙に相当します。
 この選挙はEUの監視団なども来て、近来希に見る民主的な選挙で
あったとお墨付きを与えられましたが、その選挙でハマースが勝利を収
めます。
 ハマースは最初、自分たちだけで組閣しましたが、ハマースをテロ組
織と見なすイスラエルやアメリカはハマースの政府を認めませんでし
た。それを受けてハマースは、ファタハのメンバーも入れて統一政府を
作ります。

 ハマース憲章にはパレスチナ全土の解放が掲げられていますが、この
時、アメリカのブッシュ政権に対して、「この統一政府を承認してくれ
るなら、オスロ合意に則って、ガザと西岸に主権をもったパレスチナの
独立国家を創り、イスラエルと長期にわたって休戦条約を結ぶ準備があ
る」とまで申し出ています。

.. 2025年04月22日 07:22   No.3229007
++ 高橋典久 (中学生)…36回       
 それに対するアメリカの返事はどういうものだったか。
 アメリカやEU諸国は、ファタハのメンバーに軍事訓練を施し、アメ
リカは、当時のガザ地区のファタハの治安部門の責任者だったムハンマ
ド・ダハラーンという人物に兵站(武器や食料)を提供し、ハマースに対
してクーデターを画策させます。ガザは内戦状態になります。
 ところが、アメリカやイスラエルの思惑に反してこの内戦に勝利した
のはハマースでした。

 もともとハマースは民主的な選挙で政権与党になっています。そのハ
マースへの政権委譲を認めずにクーデターを画策しようとしたところ、
機先を制して、ハマースがそれに勝利したのです。
 アメリカが仕掛けたガザでの内戦により、パレスチナは分裂します。
 以後、ガザのハマース政権と、西岸のファタハ政権という二重政権に
なりました。
 そして、アメリカやイスラエルがテロ組織と見なすハマースを政権与
党に選んだパレスチナ人に対する集団懲罰として、2007年、ガザに対す
る完全封鎖が始まります。
 集団懲罰は、国際法違反です。
        (岡真理著「ガザとは何か」大和書房、74から76頁)

◎ そういう中で、ハマースとファタハは2007年、2011年、2014年と連
立内閣を成立させました。イスラエルとの交渉を国際社会に認められて
いるのはファタハだけれども、選挙的正当性はハマースにしかない。
 だから、その両者が連立するというのは、とてもよくわかる発想です。
 しかし、連立が成立しても、ハマースが連立内閣のメンバーに入って
いる限り、イスラエル、欧米は政権として認めません。連立の度にイス
ラエルはガザ地区を爆撃しました。

 2008年12月から2009年1月にかけての大規模な空爆と陸上侵攻で、お
よそ1500人が殺害されました。2012年は8日間の攻撃があり、2014年は
非常に大きな攻撃で、およそ2200人が殺されています。
 2014年は6月2日に連立の合意がされ、その1カ月後の7月8日にガ
ザ攻撃が行われたので、連立政権に対する軍事的応答であることが明確
です。連立政権は「政治交渉しましょう」というアピールです。

.. 2025年04月22日 07:30   No.3229008
++ 高橋典久 (中学生)…37回       
 これがパレスチナの政治的スタンスであるとメッセージを発している
のに対して、イスラエルの回答はガザへの空爆だということです。連立
は西岸とガザ両方に関わるのに、ガザだけを空爆するのです。
 2007年から連立政権を何度つくろうと、イスラエルによる大規模な攻
撃が繰り返されて潰されてきました。こういうことが、2023年の≪
10.7≫を生む原因になっていると思います。
         (早尾貴紀著「イスラエルについて知っておきたい
              こと30のこと」平凡社、162から164頁)

◎ ガザでは2007年から国際法違反の完全封鎖が続き、経済基盤が破壊
されたガザに、16年以上にわたって閉じ込められ、6割以上の者たちが
満足に食事も摂れない状況に置かれ、8割の世帯が国連をはじめとする
支援団体の配給で辛うじて食いつないでいるという状況です。
 ガザの人道危機は、10月7日のハマース主導の奇襲攻撃によって突然
生まれたわけではないのです。
 2012年、国連は、ガザの封鎖がこのまま続けば、2020年にはガザは人
間が生きることのできない状態になると警告していました。世界は、そ
れをずっと関心の埒外に捨ておいてきました。
(岡真理著「ガザとは何か」大和書房、157から158頁)
      (2025.4.21[村田町のかわら版]第609号より)

.. 2025年04月22日 07:39   No.3229009
++ 清水 寛 (大学生)…72回       
神戸新聞、読者が減少とのこと。
 「真実と違った斎藤兵庫県知事批判の偏向報道が原因のよう」。
                    清水 寛(神奈川県在住)

.. 2025年04月24日 07:41   No.3229010


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