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父たち同志が若かったころ、広島の灰の中から甦り、コミュニティを重視する社会として成功した日本は賞賛されました。日本が工業大国として台頭していく様子を見ながら、それでも、当初、日本の企業組織の特徴を懐疑的に捉えていた。日本の労働者たちが社歌を歌っているのを知って驚いたりもしました。
しかし、トヨタがGMを追い抜いて世界一の自動車会社になり、GMを最終的に破産に追い込むと、そのような日本的特徴の多くが実は強さの源泉であることに世界各国は気がつきはじめました。
何よりも、従業員とサプライヤーが、共通の目標を達成するために一緒に努力する、信頼できるパートナーだという感覚は、高い品質、少ない在庫、そして短いモデルサイクルの達成を可能にしました。これらの要因によって、日本企業は製造業の多くの分野でグローバルなリーダーになることができたのです。
日本のビジネスは、社員食堂に象徴されるような「仕事のコミュニティ」であり、終身雇用の想定がそれを強化しました。同じ精神で、日本人は、「場のコミュニティ」に集い、人々は互いに信頼し合っていました。日本の人口一人当たりの弁護士の数は、アメリカの20分の1でした。
欧米の企業は日本のやり方を表面的に真似ようとしたし、そうすべきだと主張する英語の本が数多く出版されましたが、言論界・学界の支配的な考えはまったく違っていました。個人主義が経済的思考と政治哲学の中心テーマとなっていきました。
経済主体は利己的で効用や利潤を最大化する個人であり、企業は人為的な仕組みであり、法的には擬制であり、その唯一の目的は株主価値の最大化でした。政治的右派は、市場がもたらすものを当然の権利と捉え、左派は連帯よりも人権を強調し、コミュニティはどちらにとってもほとんど意味を持たないのです。
次の世代が今の世代よりも良い未来を享受できるようにするための犠牲を払うことは、今の大人世代の個人的権利と快楽を優先して忘れ去られています。1980年代、レーガンとサッチャーの時代に、そのような考え方が西側のビジネスと政治を支配するようになりました。自動車や電子機器と同じように、アイデアも今では国境を越えていきます。
.. 2025年04月08日 06:44 No.3224001
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