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日本の指導層は、戦争の終わり方をどのようにするか考えていました。日露戦争のときは、相手の出鼻をくじいて、勝負がある程度ついたら、優勢な段階で講和条約を結ぶというかたちの、一本勝ち、ないしは優勢勝ちでした。
このときはアメリカが審判約になったわけです。ところが日米戦争の終戦時には、戦争をどう終わらせればいいかわからない、という問題があったように思えます。講和する強い第三国がいない。実際には、沖縄戦というかたちで、本土決戦の一部が始まってしまいました。
そして広島、長崎に原爆が落とされ、ソ連が参戦してきて、やっと戦争が終わりました。原爆あっての鈴木貫太郎内閣という面もあります。エドウィン・ライシャワー元駐日大使のアメリカ人も、原爆投下は正しかったと言います。
国民感情としては、ふざけるなと思いますが、そう言わせてしまう状況が客観的にはあったのではないでしょうか。今更言っても仕方のないことですが、原爆は富士山に落としてもよかったのです。威力がわかればいいのだから。
都市に落として、何もあんなに一般人を殺す必要はない。実際アメリカ国内では、事前にそういう議論がされていたわけです。日本の島でも山でも無人の場所に落とすべきだ、という。ところが、終戦後の対日政策を話し合うポツダム会談にトルーマン大統領が行って、スターリンに威圧されて帰ってきてから流れが変わるのです。
目にもの見せてやるという、ソ連ヘの牽制の発想で、あの様な非人道的なことをしてしまうのです。広島だけでなく、長崎にまで落としたのですから、全く酷いものです。アメリカは1945年7月に原爆の実験に成功します。
これをどう使うかということで政府部内では、ものすごい議論があったと言います。最終的には、可能な限り大きなショックを与えなくてはならない、という結論になるのです。予告なしに最大限の打撃を見せ付けなければならない、と。
ポツダム宣言そのものは、無条件降伏とはかけ離れた非常に緩い要求です。これは本土決戦への恐れがあったからです。本土決戦になったら、アメリカも相当の犠牲者を覚悟しなければならない。ところが原爆の完成でアメリカの態度は一変します。
.. 2025年03月26日 05:17 No.3215001
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