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山形県酒田市のホテルで、検事A・ダニガンは極度の渋面のまま、むっつりしていました。ダニガン検事は、ニュージーランド代表判事エリマ・ノースクロフトを長とする石原莞爾中将に対する特別出張訊問団の主任検事です。
一行は、弁護側からF・ウォーレン(土肥原、岡被告)、F・マタイス(松井、板垣被告)、M・レビン(鈴木被告)、岡本敏夫(南被告)、板埜照吉(板垣被告補助)、笹川知治(板垣被告補助)、金内良輔(大川被告補助)弁護人も加わり、総員56人で特別列車を仕立て、上野駅を出発したのです。
石原莞爾は、満州事変の際の関東軍作戦参謀であり、また昭和の陸軍きっての逸材と認められています。満州事変段階とは、事変の内幕を知る最重要証人として出廷を期待されていましたが、59歳の石原莞爾は「膀胱嘴腫及癌変性乳嘴腫」、つまり「膀胱ガン」のため、「膀胱通り膀胱出血、尿失禁尿意頻繁、頑固ナル軽熱、濃尿」を起し、出廷は不可能だったので、異例の出張訪問となったのです。
石原莞爾は、酒田市郊外の吹浦駅から約20分の山形県飽海郡高瀬村の吹浦海岸に夫人と2人で閑居していました。松林の中の小さな一軒家です(私も小さいころ、石原莞爾の実弟六郎氏が住むこの家によく遊びに行きました)。
石原莞爾は午後、私の父が引くリヤカーで松林をぬけ、さらに自動車で酒田ホテルに移り、2日間、酒田市商工会議所の特設法廷でダニガン検事の反対訊問をうけたのです。占領軍を恐れる日本人が多い中、石原莞爾は違っていました。
検事の質問に対して、石原莞爾は、満州事変は陰謀ではなく、本庄関東軍司令官の承認と意思に基づいた自衛権の発動だ、と主張してゆずらず、しかも、その返答ぶりは、明らかに検事をからかっているとしか思えなかったのです。
.. 2025年03月17日 05:09 No.3210001
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