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1804年、ナポレオンが皇帝になります。ヨーロッパの歴史に登場した偉大な皇帝を挙げるなら、まずローマ帝国のカエサル。そして、ルネサンスを先取りしたフェデリーコ2世。次にナポレオンの3人です。
厳密にいえば、カエサルは皇帝にはなっていませんが、カエサルの名前そのものが皇帝の称号になっています。ナポレオンが皇帝になった年にフランス民法典が公布されます。画期的だったのは、近代的な所有権を初めて定めたことです。
資本主義経済は個人の所有権が認められて初めて機能します。アダム・スミスが市場経済を提唱したのは18世紀のことでしたが、その法的な枠組みを完成させたのはナポレオンです。ヨーロッパ大陸に大国が出現したら、必ず潰す方向に動くのが連合王国です。
1805年、オーストリア、ロシア、プロイセンと大同盟を結び、戦争を始めます。トラファルガーの海戦で、連合王国の提督ネルソンがフランス海軍を打ち破ります。ナポレオンは、陸戦で盛り返します。
ロシアのアレクサンドル1世とオーストリアのフランツ1世と相まみえたアウステルリッツの戦い (三帝会戦) では大勝します。1806年、ナポレオンはプロイセンを蹂躙し、ベルリンに入城すると、大陸封鎖令を出しました。
連合王国とヨーロッパ諸国の交易を禁止したのです。連合王国にとって大陸とのつながりは、インドの存在と並ぶ生命線であることを、ナポレオンは理解していました。ヨーロッパ諸国との交易を止めてしまえば、音を上げるだろうという作戦です。
ナポレオン軍が「自由・ 平等・友愛」と「ネーションステート」を拡散します。ナポレオンはヨーロッパ中で戦争して、ほとんどの陸戦で勝利を収めます。なぜ強かったかというと「自由・ 平等・ 友愛」の理念で、兵士を鼓舞したからです。
「我々が戦うのは、領土を得るためではない。フランス革命の自由・平等・友愛の精神を諸国に広め、圧政に苦しむ人々を解放するために戦うのだ」と。この理念に酔いしれたのは、フランス兵ばかりではありませんでした。
ナポレオンに敗れたプロイセンは、領土が半分になりました。崩壊寸前になったプロイセンで、哲学者フィヒテが「ドイツ国民に告ぐ」という連続14回の講演をしました。このタイトルに注目してください。
.. 2025年03月11日 08:32 No.3207001
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