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アメリカがいかに日本との開戦を待ち望んでいたかを物語る重要な資料が、米国ワシントンの国立公文書館で発見され、1999年7月15日付「産経新聞」がその事を報じています。「JB336」という名前のついた全97枚に及ぶアメリカの中国支援計画書です。
段階的に内容は公開されてきたため、概要についてはかねてから知らされており、一部の学者から重要性が指摘されてきました。発見された部分はルーズベルト大統領の署名付きという点が決定的でした。
これは米軍が、中国軍に見せかけて、日本本土、東京、横浜、京都、大阪、神戸を爆撃する計画書です。アメリカが日本を酷く挑発して行くという事も含め、1940年の秋には、当然の事として予想できた事でした。
ですから、1941年に入る頃には、そうした計画が次々とホワイトハウスを中心に動き出していた訳で、この他にもそのような計画はたくさんありました。この「JB335」の場合、中国軍を偽装するが、機体もパイロットもすべて米軍が提供していたのです。
日本を開戦に追い込むための手段として考えていたのです。多くの状況証拠から見て、米軍がやったと知れば、日本は米国に攻撃してくるだろう、という狙いもはっきりわかります。それに当時の英米間の参謀会議の話し合いの流れを見れば、はっきり認められます。
当時のアメリカの軍部と情報工作当局のイギリス側との濃密な共同行動には、実質的な参戦行為が沢山ありました。主なのは、1940年末からのアメリカ軍の対独攻撃による、一連の秘密参戦計画の資料です。
周知の通り、アメリカはドイツに対しても挑発したい意思がありました。1940年から41年にかけて何度も、イギリスの商船や潜水艦を追ってドイツの駆逐艦がアメリカ東海岸に迫ってくるという場面がありました。
その時はいつも、アメリカは中立方針を捨てて英軍と共同作戦をとり、これを迎え撃っていますが、ヒトラーはアメリカの強い参戦意欲を知っていますから、あえて外交抗議もしなかったのです。
ですから、この点の最大の謎は、真珠湾の翌日、ヒトラーがなぜ、あれほど素早く対米宣戦に踏み切ったかということです。アメリカは、いずれ1941年中に大西洋でドイツと戦うことになっていたはずです。
.. 2025年01月12日 08:19 No.3168001
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