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■--大東亜戦争の遠因として
++ 仲條拓躬 (社長)…1078回          


第一次世界大戦以降の世界体制は明らかに日本が不利なものになってしまいました。後に首相となる近衛文麿が、全権西園寺公望の随員としてベルサイユ講和会議に出席するときに書いた「英米本意の平和主義を排す」という有名な論文があります。

国際連盟を含めたベルサイユ体制が定着すれば、日本国は大陸利権の維持・拡張といった生きる活路を失う、と大変危機感を募らせた訳です。日本は政治的敗戦国になったのだということを、この論文は示しています。

日本が必死で参画しようとすれば帝国主義国家を中心とする外交の世界が変わる。というか、欧米列強の都合でルールが勝手に変えられてしまうわけなのですが、ウィルソン体制で、これ以上の帝国主義的拡張は止めましょう、となりました。

だが、平和主義を唱えながら、イギリスやフランスといった列強は自分たちが保持していた植民地は全部保全しています。オーストラリアは白人主義をとっているので、利権はまったく傷ついていません。

ところが日本は、頭の中身は帝国主義のままだし、経済システム、産業革命が完遂されてない段階で、列強の囲い込みが済んだ世界に置き去りにされて身動きが取れない状態だったのです。さらに言えば、ベルサイユ講和会議で日本が提案した人種平等宣言がほとんど受け入れられる余地がなかったのです。

人種問題というのは、あの時代の日本にとって国際秩序の重要問題なのです。このときの無念さは『昭和天皇独白録』の冒頭にも、大東亜戦争の遠因として、「日本の主張した人種平等案は列国の容認する処とならず、黄白の差別感は依然残存し」と書かれています。

それがアメリカでは排日移民法などに繋がっていくのです。ただ、明治の初めに、1921年のワシントン会議の頃にはとにかく日本は世界三大海軍国の1つに昇格しました。明治維新前の黒船襲来からすれば、夢のような地位向上なのです。

強いものが同じ肌の色を持つ弱いアジアの人々を守るという心境に近づいたので、国際連盟に積極的に加入して、新しい国際秩序を支持しようという気になるのも、常識的な判断だったと思うのです。
.. 2024年11月22日 05:18   No.3142001

++ 仲條拓躬 (社長)…1079回       
ところが近衛文麿のように日露戦争の前後に、生まれた世代にとっては、最初から日本は列強のひとつなのです。ですから何でアメリカ、イギリスの後ろについて3番目の位置で我慢せねばならないのかという不満が出てくるのです。

「英米本位の平和主義を排す」という論文にも、そうした思いが色濃く表れています。ワシントン会議の結果、海軍の主力艦保有比率はイギリス5、アメリカ5、日本3と決められました。しかし、この枠組みに入れて貰えただけでも大変なことです。

今当時を考えても、この比率は妥当なところでしょう。第一、日本にはそれ以上海軍力を増強する資金がなかったのですから。石原莞爾が構想した最終戦争論を読んで鑑みると軍備を蓄えておく事が賢明だったように思えてならないのです。

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.. 2024年11月22日 05:33   No.3142002


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