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■--声 明
++ 原発いらない金曜行動 (幼稚園生)…1回          

【 声 明 】
 | 市民の切実な願い「脱原発」を政策課題として
 | 衆議院選挙で議論を!
 | 原発の廃絶=脱原発は私たちにとって切実な、
 | 「待ったなし」の課題
 └──── 2024年10月18日「原発いらない金曜行動」参加者一同

フクシマは終わっていない

 未曾有の核惨事、福島原発事故から13年半以上が経過しました。
 2011年3月11日、東北地方太平洋沖を震源とする巨大地震とそれに伴
う津波により、東京電力福島第一原子力発電所では全電源喪失により過
酷事故が起き、大量の放射性物質が大気中に放出されました。
 この放射能汚染を避けるため避難した人々は、最も多い時には16万
4,865人に上り、今も数万の人々が故郷に帰れずにいます。
 原子力緊急事態宣言は未だ解除されておらず、福島第一原発立地周辺
の区域には強い放射能汚染が残り、東京23区の半分に当たる土地が帰宅
困難区域となっています。
 事故を起こした原発の廃炉は全く先が見えず、放射能汚染水の海洋投
棄が30年以上続けられる予定です。
 さらに事故後、福島県内では400人近くの小児甲状腺がん患者が見つ
かっています。

「核のゴミ」を将来世代に押し付けてはならない

 原発は処理困難な「核のゴミ」を生み出します。原発を動かすと出る
使用済み核燃料は、高熱を出すため燃料プールに水冷保管して発熱の減
少を待たなければならず、しかも人体に有害な強い放射線を出し、元の
ウラン鉱石と同じ放射線量になるまでには10万年以上の時間を要します。
 そして地震列島日本には核のゴミの安全な捨て場はどこにも
ありません。

「脱原発」は市民の切実な願い

 原発を使い続けることは、「核のゴミ」という将来世代へのツケを増
やすと同時に、過酷事故による破滅の危険をかかえ続けることに他なり
ません。
 このような、危険かつ有害極まりない原発の使用をやめること、すな
わち脱原発は多くの市民の切実な願いです。
 私たちは、東電福島第一原発事故直後に、居ても立ってもいられず首
相官邸前に集まった市民たちによる脱原発運動の大きなうねりを受け継
ぎ、官邸前で「原発いらない」の声を上げ続けています。

私たちの危惧
.. 2024年10月22日 07:24   No.3127001

++ 原発いらない金曜行動 (幼稚園生)…2回       
 東電福島第一原発事故から13年余り経った今、私たちの大きな危惧
は、脱原発が政策課題として語られる機会が非常に少なくなっているこ
とです。
 私たちは、まるで福島第一原発事故などなかったかのように、老朽原
発再稼働、新増設、核燃サイクル推進へと舵を切るGX路線を許すこと
はできません。
 今年元日に起きた能登半島地震は、原発過酷事故を引き起こす大地震
が日本中どこでも起こり得ることを、改めて私たちの目の前に見せつけ
ました。
 志賀原発は運転を停止していたからこそ大事故を免れたのです。
 そして、原発事故が起きれば避難などできないことも明らかになりま
した。

 原発の廃絶=脱原発は私たちにとって切実な、「待ったなし」の政策
課題なのです。
 衆議院議員選挙に立候補しているすべての候補者へ。
 市民の切実な願いである「脱原発」に、正面から取り組むよう
訴えます。

.. 2024年10月22日 07:35   No.3127002
++ 振津かつみ (小学校低学年)…5回       
米国先住民のウラン採掘・精錬の被害実態 (下)(了)
 | 〜来日したディネの女性たち〜
 | 脱原発と核被害者=ヒバクシャの人権と補償を確立する
 | 運動をさらに進めよう
 └──── 振津かつみ(チェルノブイリ・ヒバクシャ救援関西)

 元ウラン坑夫の多くは肺がん、肺線維症などの呼吸器疾患、腎障害な
ど、ウランの粉塵やラドンガスへの曝露による病気で苦しみ、
亡くなった人々も多いのです。
 エイディスさんも家族を養うために、540mの地下鉱山で6年間
(1976〜82年)働きました。
 そして2006年になって悪性リンパ腫、さらに2023年には乳がんにもな
りました。
 坑夫のみならず、家族も汚染した住環境で被曝しました。

 レッド・ウォータ・ポンド・ロードは、このような被害を受けた先住民の
村のひとつであり、先住民への「核の民族差別、不正義、植民地主義」
とも呼ばれる、ウラン開発被害の「象徴的」なコミュニティです。
 エイディスさんは、「ナバホの歴史や言い伝えでは、『ウラン』など
というものは聞いたこともなかった。ウラン採掘が家の真ん前で
始まっても、職場ができたと思っただけだった」と話しました。

 ウラン鉱山の操業中も危険性は全く知らされず、家畜はもちろんのこ
と、子どもたちもウラン残土の上で遊んでいました。
 フェンスがやっとできたのは2012年になってからです。危険性を知ら
ずに汚染した鉱山の廃棄物を使って家を建てた人もいました。

 2002年頃、環境保護NGOの調査プロジェクトにコミュニティとして
参加することになり、このような市民の環境調査がきっかけとなって、
2005年に連邦政府の環境保護省(USEPA)による環境調査が始まり
ました。
 また、2003年ごろから、住民とNGOが協議して準備し、2007年に
ニューメキシコ大学の研究グループが村に来て住民健診を行いました。
 ウランは重金属で腎毒性があるので腎障害の調査も行いました。
 この村では、全国や州全体の調査と比較して、尿中ウラン濃度がより
高い結果が出ています(22人のみのデータ)。
 健診では、高血圧、自己免疫疾患などのリスクが高くなっていること
がわかりました。

.. 2024年11月08日 05:22   No.3127003
++ 振津かつみ (小学校低学年)…6回       
 毎年7月16日には、「鉱滓ダム決壊事故を思い起こす日」の行事を開
催し、もう20回になるとのこと。
 当初は被害を認めなかったナバホ・ネーションのリーダーたちも、
今では出席するようになったそうです。
 テリーさんは、「日本に来て、自分たちは孤立していない、自分たち
の闘いは国際的な闘いだと感じた。
 日本でも共に闘う人々がいることを知り、また頑張ろうと思いまし
た」と話していました。

 日本から、人形峠のウラン残土が「燃料」としてアメリカに「輸出」
されたことにも触れ、「持って行った先は、ユート・マウンテン・ユート
という先住民の居留区にあるホワイト・メサ精錬所だったということも、
日本の皆さんはぜひ知っておいてほしい」と二人は話していました。

 ウラン開発の一つのエンド・ポイントの原発・核燃料サイクルが推進さ
れ、福島原発重大事故を経験している日本で、私たちも連帯し、脱原発
と核被害者=ヒバクシャの人権と補償を確立する運動をさらに
進めましょう。

※(詳細な報告は「救援関西」のニュースレター「ジュラーヴリ138
 号」)をご覧下さい。
こちら

 (ノーニュークスアジアフォーラム通信 No.190より了承を得て転載)


.. 2024年11月08日 05:29   No.3127004


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