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今の若者の文章には句読点がありませんが、昔の日本の文章にも句読点はなかったのです。「候」という字が句読点のかわりでした。その伝統で新聞は昭和始めの年までは句読点がなかった事が、見ると分かります。句読点は日本人が読みやすくするために付けたのです。
明治になって英語にも付けようとしました。暫く、アイ、ペン、ハブってやっていたようです。明治時代に書いた手紙を見ると、今日は中秋の名月だ、月見に来ないかなんていうのがあります。郵便がいかに早く着いたかという証拠です。朝出して午後着くなんて。
郵便が普及したのは昔から飛脚の制度があったからです。明治になってからは人力車の運転手に手紙を持たせて、返事を貰ってこさせていました。ちなみに女性の手紙の中で、急いでいるときには「追伸」だけ読めばよい。手紙を読んで疲レター(笑)
小泉元首相がこだわっていた郵政民営化の中には郵政事業があります。一番身近な存在は地域の郵便局でしょう。日本全国どこの町や村にも、郵便ポストはあります。郵便貯金の「ぱるる」にデザインされた蝶々と気球には意味があるそうです。
気球は日本全国どこに行っても郵便貯金が利用できるというネットワークの広さ、蝶々は郵便貯金が庶民にとって親しみやすいようにという願いがこもっているそうです。世界の郵便精度の歴史は古くAD2千年頃の古代エジプト、手紙を運んだ壁画が残されています。
だが、郵政事業を実施したのは古代ペルシャ帝国が最初です。我が国での郵便制度が今日のように整備化されたのは明治4年、郵便事業創始の功労者・前島密の功績が大きいのです。郵便という言葉はこのとき作られ、日本最初の郵便切手も発行されました。
「〒」字形が、郵政省(現総務省)の前身である逓信省の徽章として定められたのは明治20年です。しかし最初発表されたときは、「〒」ではなく、逓信省の「T」でした。その後、「〒」に変更されています。ちなみにポストは赤ではなく、白木や黒塗りでした。
最後に私の好きなお手紙をご紹介いたします。病人を介護する家人や看護人への感謝心は、病床にある病人の精神の成長にたいへん役立つと、自分の経験からそう思います。愛は、これを提供する側にも、また受ける側にも、病に耐える力を発揮するのです。このことは、新約聖書のコリント人への第1の手紙13章4〜7節に記されています。
.. 2024年10月16日 14:55 No.3123001
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