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美しい出羽三山と永平寺 来週から山形県へ出かけますが、山形県の出羽三山と言えば、月山を中心に北側の麓近くが羽黒山で、南西の中腹が湯殿山で、全体としては月山ということになります。この出羽三山の信仰は、東北一帯と越後、佐渡、信濃に特に色濃く広がっていて、新潟の一市民が羽黒山に1千万円のお布施をしているのには驚きました。
こうした地方には古くからは羽黒講や三山講といった講が組織されて、山伏たちは講員である檀家を巡りながら牛や三面大黒の絵姿の御礼、湯殿山の「おあか」と称する湯の花を配布して初穂を集めていたのです。
村方でも山伏が廻ってくるのを待ち受けて、家相を見せたり、嫁や婿の相性を占わせたりしたものだといいます。山伏たちは檀家に三山巡拝を勧め、三山巡りの者を自宅に宿泊させて、荷物を担いで登山の案内もしていたのです。
三山巡拝は二千メートル近い月山の頂上まで行くのだから、参拝者は春から秋、それも夏に訪れることが多く、湯殿山の縁年にあたる丑年に急増しました。三山をまわるには七ヶ所の入口があるが、芭蕉と曾良が羽黒山の麓の手向町に着いたのは、最大の門前町です。
ここの住人のほとんどは宿坊を営んでいる山伏で、手向町には三百軒以上の宿坊が建ち並び、後世になると「商家や職人の家も入りまじって五百軒」と書かれるようになっています。参詣者が来ると宿坊から人が飛び出してきて、どこの国の者かと尋ねて担当の宿坊を教え、また山伏がいないとわかれば、自分の宿坊に泊まれと熱心に勧めるそうです。
かなり強引に宿引きされたと書いている旅人もいます。松尾芭蕉もおそらくこうした宿坊の者たちに取り囲まれて、どこの国の者かと聞かれたことでしょう。『おくのほそ道』の中で松尾芭蕉が一人で歩いたのは、出羽と越後の国境鼠ヶ関と北中間、それに、永平寺と福井間の二ヶ所だけなのです。
先週は永平寺に行ってきました。福井県永平寺町の天竜寺参道にあります。季節や弟子との別れのつらさをうたったと言われている「物書て 扇引きさく 余波哉」と刻まれています。味わい深い一句です。天龍寺の境内には、松尾芭蕉が訪れた際に「物書きて扇引き裂く余波哉(なごりかな)」という句を残しました。その句は句碑として存在しています。
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.. 2024年10月13日 08:51 No.3121002
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