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石原将軍は自ら戦犯となって、満州事変における日本の立場を鮮明にしたいと願っていましたが、連合軍は石原将軍を戦犯に指名しませんでした。しかしこの酒田法廷において堂々自分の所見を開陳できたので、石原将軍は満足であったでしょう。酒田法廷閉廷後、インタビューした外国新聞記者は、口を揃えて石原将軍の識見の卓抜なことを称揚しています。
AP特派員 (極東裁判担当)の酒田法廷印象記の中に、「長い記者生活中、小さい法廷ならいざ知らず、国際軍事裁判の如き大きな法廷がわざわざ三百マイルも出張して審理するなど全く異例の経験だ。普通は地方の裁判所に委託するのだが、国際裁判が如何に石原莞爾に興味と関心をもっていたかがうかがわれる」 とあります。
またUP記者の報道記事には、「石原莞爾中将は、戦争中、東条の不倶戴天の敵として知られており、東亜連盟の精神的指導者として知られている。東亜連盟は極端なる国家主義二十六団体とともに一月四日、マッカーサー司令部によって解散された。
石原は赤軍戦術の日本の最高の権威者として数えられているが、東条が政権を握ると同時に、満州の最高軍事地位より追い払われ、続いて支那および太平洋戦争のやり方について、東条を忌憚なく批判したため予備役にされた。日本はどうしてこのような優れた石原将軍の意見を採用しなかったのか」と書いています。
その他、石原将軍の語った断片などを報じています。「トルーマン大統領およびルーズベルト前大統領は、世界最大の戦争犯罪人である」「もし米国が、将来米・ソ戦争において、日本を足だまりに利用するならば、日本人はかかるポツダム宣言大違反に対し、血をもって抗議するだろう」
「もし私が総司令官だったならば、今度の戦争に敗れはしなかったと彼は断言した」「彼は1930年(昭和5年) 陸軍大学の講義で、すでに原子爆弾による最終戦争を予見したことを引用して、国際連合の将来について悲観的観測を述べています。彼は最終戦はおそらく米・ソの間に二十年以内に起こり、人類に大惨害を与えるだろうと予言した。」
.. 2024年08月18日 07:10 No.3080001
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