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さよなら!志賀原発集会1,100人 珠洲原発が計画されたが、住民運動で凍結 能登半島地震は原発やめようの最後の警告 鎌田 慧
◯大地震のあと、能登半島にはまだ行っていない。6カ月たってもまだ 倒壊した住宅が片付いていない惨状を、テレビなどでみて、地震の影響 の深刻さと救援と復興が遅れている状況にたじろぐ。 原発はたいがい、海上からしか全容をながめることができない場所に ある。つまりは建設のとき、すでに危険な存在だったからだ。 が、福島第一原発での大事故が起きるまで、逃げ惑う住民の姿を想像 できなかった。
◯地震から半年経った6月30日、金沢市香林坊ちかく、四高記念公園で 「さよなら!志賀原発全国集会」がひらかれた。志賀原発を廃炉に!訴 訟原告団などが主催、「さようなら原発1000万人アクション」が共催。 地元の住民や労組の人びとのほか、福島原発事故の裁判闘争を担って いる武藤類子さんや、宮城県・女川原発、新潟県・柏崎刈羽原発、茨城 県・東海第二原発、島根原発などの原発各地から、1100人ほどが集まった。
志賀原発の2基は幸運にも、敷地内断層の審査があって、運転休止が 13年間もつづいていた。さらに、マグニチュード7.6を記録した能登断 層帯にちかい、珠洲市の寺家(じけ)地区には中部電力、高屋地区には関 西電力と、「珠洲原発」が計画されたが、地道な住民運動が阻止して いた。 取材先でのどこの原発地域にも転がっていた、カネにまつわる話。 ここの取材でもなんども聞いた。珠洲原発計画の欲望を「凍結」にさ せたのは、新潟県の巻原発阻止闘争とともに誇るべき勝利だった。
◯「原発立地と言う『国策』が、じつはエネルギー問題でもなく、過疎 地の地域振興でもなく、単なる巨大な利権の塊だったのである」(『珠洲 原発・阻止へのあゆみ』)と書いた、北野進さんが、その日の集会の主 催者のひとりだった。
◯大会スローガンは、「能登半島地震は最後の警告だ!」。原発は交通 不便な過疎地、たとえば「もんじゅ」のように道のない半島の奥地。 あるいは本州末端、下北半島の最先端だった。 それが儲けのために、過疎地の人間の命などを無視して建設した、 原発の恐ろしい本質を証明している。
.. 2024年08月03日 08:26 No.3069007
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