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「能登震災は最後の警告!」 | 金沢の6/30「さよなら原発」集会とパレードに参加 └──── つくし・たけひこ(東京・北区)
6月30日に金沢に行き、「さよなら原発」集会とパレードに参加して きました。 小雨まじりの天候でしたが、全国各地の原発反対運動の人びとも駆け つけ、1100人で金沢の中心部をリズムのよいコールで練り歩きました。
翌日は志賀原発と、能登半島西部の数か所を車でめぐるフィールド ワーク。 最初に寄った志賀町では、役場の基礎部分や駐車場などのブロックが 液状化でめくれたままでした。 志賀原発には入れませんでしたが、北陸電力は「原発は運転停止 だったので安全」と発表したそうで、地元の人は「運転中なら事故が起 こりえた」と言うに等しいと批判。 しかも、福島第一原発4号機の核燃料プールの例もあり、停止中なら 安全では断じてありません。
さらに震源地に近い黒島漁港では、地盤が3〜4mも隆起し、元の海 は見渡す限り海底の岩がむき出しの“荒野”に。 コンクリートの波止めは貝殻がこびりついた基礎まで露呈して頭上は るかにそびえ、漁船は一艘もなく被害が小さかった他の漁港に疎開中だ が、戻る見込みは立たないとのことでした。
海岸から山間に回ると、主な自動車道は重機が入って山崩れの土砂を 取り除いていましたが、つぶれた家屋はそのままで、一部損壊の家には 青いビニールがかかっていました。 志賀原発からの避難所として造られた防災センターには20数人の住民 が避難していましたが、下水施設が液状化で使用不能になり、生活に難 渋しているとのことでした。 震災から6か月経ってもこの状態で、岸田首相の「復興に全力」とい う言葉は現地では宙に浮いていました。
原発再稼働の旗振りをした西村前経産相は地元で支持者に「能登の救 援に時間がかかったのは、(珠洲に)原発を造らなかったからだ。 造っていれば道路も整備していた」と言った(!)との報道も。 珠洲に原発が造られていたら過酷事故の再現になった可能性もあるの に、そんな認識も想像力もないとは。 金沢集会では、近隣の柏崎からも敦賀や美浜、大飯の原発に反対する 人びとからも、原発を阻止した珠洲の人びとの苦闘に感謝の言葉が述べ られ、集会とパレードでのコールは「能登震災は最後の警告!」でした。
.. 2024年07月18日 07:59 No.3059001
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