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「愛するふるさと津島(第一原発から30km)を返せ」 | 生活の糧となる山、川が汚染され全集落が強制避難 | 3/11仙台高裁第8回・原告意見陳述 (その1) (4回の連載) └──── 福島原発事故津島被害者原告団 団長・今野秀則
2024年3月11日、仙台高裁第8回津島裁判期日が開催されました。 この日は、福島第一原発事故から13年の当日でもあり、前日から東日 本大震災の報道一色でありました。 ふる里へ帰りたいが帰れない。家族がいまだにバラバラになったま ま、避難者はまだ2万人以上。ふる里へ戻れず避難した地域へやむなく 家を建てて住めば、住民登録はふる里のままでも避難者と認められない。
「復興」「除染したから安全」というが、それならなぜ放射能が検出 されるのだ。放射能は無毒化にはできないことは誰でも知っている。 それでも「安全」と嘘をつく、津島原発訴訟団は阿武隈山間の集落の 皆さん、お互いが助け合い絆の深い地域で、第一原発から30kmも離れ たところですが、風の流れと共に放射性物質がまともに降り落ち、生活 の糧となる山、川が汚染され全集落が強制避難となりました。 今だに回復できなく、「愛するふるさと津島を返せ」と訴えています。 今回の意見陳述では団長の今野さんが訴えました。
7つの見出しを紹介します。
1.津島地区及び事故後の状況 (その1)に掲載 2.避難等経緯 3.ふるさと復興・再生への思い (その2)に掲載 4.時間経過に伴う被害の深刻化、拡大 5.国・東電の責任追及 (その3)に掲載 6.改めて、ふるさとへの思い 7.事故責任の問い無くして真摯な復興・再生はない (その4)に掲載
1.津島地区及び事故後の状況
◎ 私たちのふるさと津島地区は、戦後開拓に入った多くの人びとも含 め約450世帯・1400人の住民が暮らす中山間地域です。 互いに顔見知りの住民は、自然あふれる環境の中で助け合い、多様・ 多彩な年中行事に楽しみ、喜びを見出し、生き甲斐を感じて平穏に暮ら していました。 しかし、2011年3月、東日本大震災、それに伴う東電第一原発事故に よる高濃度の放射能汚染により避難を余儀なくされました。
.. 2024年04月20日 07:34 No.3002001
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