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■--張作霖の爆殺
++ 伝 (幼稚園生)…1回          

東方会議で関東軍司令官武藤信義は「満州問題は外交で解決しない。残る方策は軍事力のみである」と主張し、政府に容れられて、関東軍に準備の内命がでた。河本大作大佐はこういう状況の中で関東軍の高級参謀になった。教科書か何かで見たときは、ずいぶんひどいことをすると思ったが、このごろのように自爆テロが多いと、そうひどいとも感じなくなった。まあひどいにはちがいないが、ひどいかひどくないかは、周囲の状況による。相手の警戒の中を張作霖の乗っている列車だけ爆破して、被害を本人以外にごくわづかしか及ばないようにしたのは、むしろみごとな手際のように思う。河本大作は終戦後も日本に帰らず、共産軍と戦ったが、敗れても自決せずにとらえられた。五年間拘留されて病没したが、張作霖を殺してくれたことは、中国共産党にとっては恩人であり、あつかいは丁重だったらしい。
.. 2006年07月05日 21:29   No.3001

++ 伝六 (幼稚園生)…3回       
張作霖爆殺事件について、昭和天皇は田中義一首相と話をされ、十分に事実を調査し、悪いことは悪いとし、万一外国に流れているデマが本当であったら、事の真相をきわめ、軍の綱紀を引き締め事実を率直に外国に宣明し、あやまる事はあやまり、気をつける所は気をつける、この方が国家の信を国際間に得る所以である旨をのべられたと伝えられている。田中総理も陛下の思し召しに共鳴し、いやしくもかかる暴挙をあえてした我が陸軍将校には厳格な処置をとり、軍法会議に付さねばなりませんと言上した。ところが事実を調査してみると、事実はすこぶる複雑で、その処分を陛下とお話した方向にもっていくことはむつかしかった。それで、約一年の間、陛下にほんとうのご報告を申し上げなかった。一方議会のほうでは張作霖死亡の真相を話せよとせまる。結局、日本の陸軍がやったのではない、しかし我が駐在軍の権域内におこった事変であるから、駐在武官は行政処分に付するという事で帝国議会に臨む事になり、白川陸相からその旨を上奏した。そこで陛下から田中首相に対し、先の上奏とくいちがいがあり了解に苦しむという意味のお言葉があった。これが事実なら、たしかに白川陸相の上奏の前に、田中首相から事情を陛下にもうしあげるべきなのだが、同首相はそれができなかった。首相ともなれば、こんな小さなことを忠告してくれる人間はいないのかもしれない。凡人の感想である。田中内閣は総辞職し、事件関係者は、行政処分となった。河本大作大佐は昭和五年七月予備役となった。
.. 2006年07月08日 22:28   No.3002
++ タク (小学校低学年)…5回       
日本政府は、武藤信義大将を関東軍司令官兼駐満特命全権大使に任命して、満州国全権・鄭孝胥国務総理との間に日満議定書の署名調印を行ない、実質的に満州国を独立国家として承認したのですよね。

満州国は鄭国務総理の名で帝政実施を声明、満州帝国の成立を日本以外の71カ国政府に通告しました。
日本に続いて最初に満州国を承認したのは、中南米のエルサルバドルで、次にローマ教皇庁が承認して、1937年から1938年にかけて枢軸国のイタリア、スペイン、ドイツが承認し、ポーランドも満州国を承認しました。

以後、ハンガリー、スロバキア、ルーマニア、ブルガリア、フィンランド、クロアチア、デンマークといった北欧・東欧諸国が承認して、ドミニカ、エストニア、リトアニアは正式承認しなかったが、国書を交換しました。
その後、大東亜戦争期にはタイ、ビルマ、フィリピン、自由インド仮政府も満州国を承認した。
しかし、国際連盟から満州国建国の正当性が否定されたため、承認国は18カ国にとどまったのですね。


.. 2006年07月09日 15:24   No.3003
++ タク (小学校低学年)…6回       
1937年7月7日の盧溝橋事件での軍事的衝突については、史実がはっきりしていません。満州事変が石原莞爾の計画によって引起こされたことは、歴史上の事実となっていて異論はありませんが、しかし盧溝橋の第一発の銃声がどちら側からさきに撃たれたのかについては、真相不明というところです。戦前は勿論中国軍からの不法射撃とされていました。もっとも日本側でも張作霖爆殺事件や満州事変の真相を知っていた一部上層部の間では「どちらが先に手を出したかといえば、どうもこちらの方が怪しいと思う」(近衛文麿『平和への努力』)、「柳条溝の手並みを知っているわれわれには(軍部が)『またやりあがった』」(石射猪太朗『外交官の一生』)などと認識されていたようです。

戦後東京裁判に提出された秦徳純「七・七事変記実」では、第一発の問題にはとくに触れず、事変の責任はもっぱら日本側にあることが強調されています。その判決では柳条湖事件の場合には日本軍により計画され、実行されたものと認定しているのに対し、盧溝橋事件については当夜の事件発生の経過を述べているが、その責任が日本側にあったとの明確な判定を下していないのですね。

.. 2006年07月09日 15:34   No.3004


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