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民衆は傑出した英雄に拍手を送るが、無条件にのさばらせることもしないです。彼を抜け、あるいは一矢を酬いる小英雄を見つけ出して、それにも声援を惜しまない。むしろ人気は、そうした小英雄のほうに集まるのです。
竹中重治は半兵衛伝説を生むに足る条件をそなえていました。氏素性と縁のない小城のあるじであり、すぐれた軍師として豊臣秀吉の大業を助け、しかも三十六歳という惜しむべき若さで死んでいます。戦陣にあっては神のごとき明察ぶりで敵将の心理を読んだが、平常は婦人のような柔和な物腰だったといいます。
わずか十数人で稲葉山城を陥す、この重治を、もし竜興が重用していたら、また、竹中半兵衛重治がもし三十六歳という若さで陣歿しなかったらとそうした「もしも」という仮定の上にあれこれと想像を働かせたくなるだけの魅力が、重治にはあるのです。それが竹中半兵衛伝説を産み出したのです。重治は竜興に仕えたが、冷遇されていました。
年が若いうえに、顔立ちがととのいすぎていて、一見いかにも女々しく見えたのだろう。風采が戦国むきのタイプではなかったのです。ふだん竜興が馬鹿にしているので、家臣たちも竹中半兵衛重治を軽んじていました。稲葉山城へ出仕したとき、下を通る竹中半兵衛重治を目がけて、櫓の上から小便をひっかけた者がありました。
重治は自若として汚れをおし拭って自分の城へ帰ったが、北方城主の安藤守就を訪ねて、いきなり兵を少々貸してくださいと頼んだのです。守就の娘は重治に嫁いでいます。おとなしい婿の唐突な言葉に守就が驚いて問いただすと、「いささか恨みに思うことがあるので、稲葉山城を陥そうと思います」という。 守就は肝をつぶして、懇々とその無謀を諭した。
竹中半兵衛重治は「そうですか」といって、来たときと同じように静かに帰っていったが、それから2,3日たつと、城内に人質としてはいっている弟の病気見舞いだと称して、七、八人の家臣に大きな長持を運びこませ、自身も十人ばかり引き連れて登城をしました。
.. 2024年03月05日 08:51 No.2975003
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