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第二次世界大戦で日本が降伏した直後の中国大陸にいた日本軍は蒋介石のおかげで日本本土へ帰れました。蒋介石は、日本に一番同情的な軍閥の1人でしたが、英米が蒋介石に近寄っていくのです。
1935年、イギリスから対中国経済使節リース・ロスが来日して、日本側に借款の話を提案します。リース・ロスは、イギリスが資金を拠出している中国の幣制改革に、日本からも資金を拠出して、その引き換えにイギリスが満州国を承認してもいいというものであったのです。
もしもアメリカが承認しなくても、イギリスが満州国を承認するということは日本にとって実に大きな意味がありました。それを結局、広田弘毅外相が蹴ってしまうのです。幣制改革にイギリスが単独でお金を出すというのは、蒋介石を完全にイギリスの側に追いやることになってしまったのです。この時、日本が蒋介石と手を結ぶチャンスだったのです。
広田の責任は重大です。戦争の遂行に、大義名分があるか否かという問題は非常に大きいと思います。日清戦争、日露戦争の場合には日本側のやむを得ない状況は歴史的に説明することができ、また天皇の詔勅にも、国際法という姿勢がはっきりしていました。
満州事変には、五族協和、王道楽土の理想を掲げた新たな国家の建設という壮大なプロジェクトとしての姿勢がありましたが、その大義名分が日中戦争になると殆ど見えなくなるのです。表向きはアジア解放ということになるのですが、実質は酷いものでだとお聞きします。シナ事変を、哲学者の三木清氏は次のような論理を立てていました。
シナ事変というのはナポレオン戦争みたいなものだと。ナポレオンがドイツ、スペインに民主主義を打ち立てたように、日本への反抗を通して中国は近代国家になるのだという説です。結果的にはそうなったから、正しかったとも言えますが、大きな罪悪感があったことは確かです。文学者の日記を見ると、真珠湾攻撃の日に日本人の気持ちがさっぱりする。
アジアの仲間のはずの中国とどうして戦争をしているのかという罪悪感が強かったから、英米との戦いが始まると、これが本当の敵だということで一気に解放感を持つことができたというのです。
.. 2024年02月19日 04:50 No.2966001
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