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日本は戦争に負けて台湾を放棄するとき、きちんと「財産目録」をつくりました。こういうものをすべてそちらへ引き渡しますという書類です。それを、大陸からやってきた役人たちは自分のものにしてしまいました。日本統治の終わった台湾では、もともと住んでいた人たちを「本省人」、本土からやってきた人たちを「外省人」と呼びました。
外省人に対し、本省人の不満が爆発したのが1947年2月です。国民党政府の腐敗に怒った市民が立ち上がります。国民党は対応に苦慮し、中国本土から援軍を呼んで弾圧しました。大虐殺が始まります。2週間で2万8000人の住民が殺害されたとも言われています。特に日本統治時代に高い教育を受けた人たちが多く犠牲になりました。
「犬が去って豚が来た」という当時の本省人の気持ちを形容した言葉があります。台湾の人にしてみれば、犬(日本人)はキャンキャンとうるさかったけれど番犬にはなった。でも、豚(外省人)は食べるだけで何もしないという意味です。
日本の統治には反発したけれど、後から来た国民党のほうがはるかに酷かったため、結果的に台湾の人たちが親日になったのです。一方、中国大陸では蒋介石率いる国民党と、毛沢東率いる共産党が対立。国共内戦が始まります。
結局、共産党が勝利し、負けた中華民国の政府や国民党の関係者は台湾へと逃げ込むのです。中国本土は、国共内戦に勝利した中国共産党の独裁体制になりました。共産党が中国を統一しようとしていたら、蒋介石率いる国民党の残党が台湾へ逃げ込んでしまった。
共産党にしてみれば、「その台湾を統一してはじめて中国統一という事業が完成する」と考えています。その後も、台湾に攻め込むチャンスを窺う状態が続いてきました。ここで問題になるのが、中国を代表するのは中華民国か中華人民共和国かということです。
中国は国連の設立メンバーであり、安全保障理事会の常任理事国5カ国の1つです。設立当初の「中国」は、中華民国(国民党政府)でした。1949年に国共内戦で国民党が敗れて台湾に逃れた後も変わらなかったのですが、1971年、国連総会で中華人民共和国を中国と認定します。怒った台湾は国連を脱退しました。
.. 2024年02月12日 08:21 No.2963001
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