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昭和天皇が倒れられたとき、ベッドの上で「沖縄には行かなければならなかった」と何度も言ったといいます。新聞にそう報じられました。実際、直前に沖縄に行かれる予定だったのが倒れて叶わなかったので、「残念だ、沖縄には行かなければならなかった」と病床で話されたというのです。
天皇は第二次世界大戦の最後の激戦であったいわゆる沖縄決戦、そして本土決戦までの時間を稼ぐため沖縄軍に頑張って最後まで戦ってもらおうというので、兵隊さんばかりでなく市民、学生さん、女学生さんまで動員して抵抗したことが心にずっと大きくひっかかっていて、「沖縄には行かねばならなかった」と言ったのだなと思っていた。
これは別に間違ってはないのです、そのこと自体。だけれどもそれだけではないのだということがわかったわけです。そうだ、天皇は国防のための本土駐留に関して沖縄を25年から50年、あるいはそれ以上にわたる長期の貸与というフィクション、つくりものの契約として、沖縄に軍隊を駐留してもらいたいと自らアメリカにメッセージを与えました。
そのことのお詫びのために沖縄へ行かねば、と言っていたのではないか。昭和天皇は、大東亜戦争においてもそうなのですが、子供のときから軍人として非常に鍛えられた方ですので、戦術的・戦略的な目は特に秀でております。
ですから、これから中国共産党も出てくる、北朝鮮も共産国になる、ソ連もどんどんアジアへ進出しているといったときに、アジアをその進出から守るためには、グアム、沖縄、台湾の弧を描いた線で守るほうがいいと戦略的にわかっていたのだと思います。
余計な話ですが、大東亜戦争もそうでした。大東亜戦争は戦闘機の制空権の範囲で基地をつくる。さらにその基地から制空権の中に、新たな基地をつくる。制空権の外側では戦争をしない。要するに制空権内で基地から基地へとカエル跳び作戦をするのです。そのアメリカの戦術が大成功しました。つぎの戦争もまた然り、なのです。
それで制空権下の戦略を考えた場合、北海道にどんなでかい基地をもっても、肝心のところへ届きません。それを天皇はわかっていた、だから早い話が沖縄を貸し与えたと。マッカーサーもGHQも、天皇の炯眼といいますか、すぐれた戦略眼を認めまして、では沖縄がいいということになったわけです。
.. 2024年01月20日 09:10 No.2944001
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