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衝撃だった能登半島地震 この13年間ずっと俺は福島を何とかしようと考えてきた ≪ふくしま作業員日誌≫〔50歳 男性〕
年末年始は、年明けの休みが長くて久しぶりに家族とゆっくりできた。 いつもは年末の休みの方が長いから、結局、東京などの現場を手伝うこと になったりして休みが短かった。 元日の午後4時10分に起きた能登半島地震は衝撃的だった。津波警報 を受け、NHKの女性アナウンサーが「今すぐ避難!今すぐ避難!東日本 大震災を思い出してください!」と、鬼気迫る強い白調で訴えるのを聞 いて、幼い子どもたちも怖いことが起きていると分かったみたいだった。 ようやくコロナも明け、本来なら元日のタ方は、初詣から帰って家族 で楽しくだんらんしているころ。
石川県輪島市の写真を見たら、建物が基礎から丸ごと倒れ、基礎につい ているはずのくいも外れていた。 地震でこんなふうに倒れるんだと驚いた。 原発事故後、他の原発も対策が取られたと思うけれど、震度7を記録 した志賀町の志賀原発の運転が止まっていてよかった。
原発事故が起きた13年前を思い出した。次々と原子炉建屋が水素爆発 する様子をテレビで見て、日本が消滅してしまうのではないかと思った。 消防や自衛隊員も駆けつけ、冷却作業をする様子を見ながら、自分も 何か貢献したいと思った。そんなとき、会社で作業員の募集があり手を 挙げた。
能登での仮設住宅設置の仕事も入ってきている。ただ、現地でどこに 宿を確保して通うかなど、冷静に自分自身の安全を守れないと他の人は 守れない。同僚に能登に行きたいかと聞くと、手当や条件を聞くやつも いて、意識が違うのを感じた。
原発事故直後に福島に駆けつけた人たちは助け合って、原発を何とか しようと必死だった。あの一体感は忘れられない。 自分一人なら、すぐにでも能登に応援に行きたい。 でも福島での仕事もあるし、会社のこともある。 ふと振り返ると、この13年間ずっと俺は福島を何とかしようと考えて きたんだなと思った。 (聞き手・片山夏子) (1月19日「東京新聞」朝刊21面より)
.. 2024年01月21日 08:55 No.2943003
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