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日英同盟協約調印後、二週間経った2月13日、ランスダウンは上院において、軍事的に分かれた勢力の中でイギリスのみが単独で生きていくことはできないと指摘した上で、次のように述べています。
「世界平和の維持に寄与するものが、すなわち協約である。そしてその協約は、もし不幸にして平和が不可能となっても、少なくとも紛争を局地化してくれるであろう。」イギリスにとっての日英協約の重要性は、彼のこのスピーチに集約されています。
孤立からの離脱を窺わせる発言はあるものの、彼が強調したかったことは「世界平和」のことです。彼が言う「世界平和」は、イギリスの「帝国の利益」防衛という目的のために必要不可欠であったということです。
つまり、平和によって初めてイギリスの自由な通商活動が保障され保持されるのです。そのためにイギリスは、ロシアとの世界規模での交渉を必要としました。その際イギリスは、東アジアにおいては清国における自国の権益が侵害されない限り、ロシアの満州政策には反対しなかったのです。
そして「反ロシア」で敵対するのではなく、むしろ何らかの相互理解を求めること、これがランスダウンの対ロシア政策の基本でした。これはすなわち、1899年4月のスコット=ムラヴィヨフ協定ですでに示されているとおり、ソールズベリが19世紀末から続けてきた政策であり、この意味でイギリスの伝統的外交政策だったのです。
繰り返えしますが、日本との同盟協約交渉も、イギリスにとってはロシアとの相互理解を求めた伝統的外交政策の延長線上にありました。したがってこの協約も、一連の対ロシア政策の目的に合致した、あるいはそれを補完する目的を持っていたのです。
ソールズベリ内閣は、日本との交渉に先がけて、ロシアと交渉をおこなっていました。結果的にはロシアとの交渉が失敗したことをうけて、ソールズベリ内閣は日本との本格的な交渉に入ったのは事実です。
しかし、このことは、イギリスが東アジアにおいてロシアと敵対することを意味しているのではないのです。したがって、日本との同盟交渉も「反ロシア」ではなく、「反ロシアではない協定」の模索の結果だったのです。
石原莞爾平和思想研究会 (ishiwara-kanji.com)
.. 2023年10月22日 06:52 No.2884001
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