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JR九州ホテル長崎をチェックアウトして荷物をフロントに預かっていただき、路面電車を利用して、クルーズの乗船所に向かった。軍艦島上陸ツアーは、連日国内外から多くの方が乗船しており、この日も外国のお客さんが参加していました。船内では、ガイドがオリジナルの資料をモニターに映しながら軍艦島の説明をするのです。
長崎港を出港して約40分、いよいよ軍艦島が見えてきました。黒い鉛の塊のように見える巨大なシルエットはまさに「軍艦」です。島内に上陸後は、安全と文化財保護の観点から、指定されたエリアのみを見学することになります。
軍艦島の大きさは新宿駅とほぼ同じサイズです。小さな島に、最盛期には約5300人もの住民がひしめき合うように暮らしていたというから驚きです。最盛期(昭和34年)の人口密度は東京都の約6倍です。世界一の人口密度で、この記録は現在も破られていないそうです。炭鉱の現場は24時間稼働の不夜城です。
より多くの人が生活できるよう、1916年には日本初の鉄筋コンクリート造りの高層アパートが建設されました。農作物を育てる場所がなかったため、アパートの屋上には日本初の「屋上菜園」が設けられました。神社もお寺もあるそうです。火葬はできません。
「端島小中学校」の跡。鉄筋コンクリート7階建てで、1階から4階までが小学校、5階と7階が中学校、6階には講堂、図書室、音楽室、7階には理科室などの特別教室があったそうです。世界一の人口密度だった軍艦島は、子どもの数が多く、島には子どもたちのためのプールもありました。
水源のない島のため、真水ではなく海水を使ったプールだったそうです。日本の近代化を支えた産業遺産として2015年、世界文化遺産に登録された軍艦島。閉山から40年以上経った今、実際にその現場に上陸してベテランガイドさんの説明に耳を傾けると、廃墟の中にも当時の様子を想像することができます。
レンガ造りの建物は、鉱山の中枢である総合事務所の跡。内部には炭鉱マンのための大きな共同浴場もあったそうです。坑道の内部はもちろん真っ暗で、気温30度、湿度95%。まるで岩盤浴のような環境の中で、ガス爆発や落盤など死と隣り合わせの危険な作業に従事していた炭鉱マンたち。「一度入ると二度と出てこられないかもしれない…。」
.. 2023年09月03日 09:33 No.2843001
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