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■--2023長崎の旅日記3日目
++ 仲條拓躬 (社長)…923回          


JR九州ホテル長崎をチェックアウトして荷物をフロントに預かっていただき、路面電車を利用して、クルーズの乗船所に向かった。軍艦島上陸ツアーは、連日国内外から多くの方が乗船しており、この日も外国のお客さんが参加していました。船内では、ガイドがオリジナルの資料をモニターに映しながら軍艦島の説明をするのです。

長崎港を出港して約40分、いよいよ軍艦島が見えてきました。黒い鉛の塊のように見える巨大なシルエットはまさに「軍艦」です。島内に上陸後は、安全と文化財保護の観点から、指定されたエリアのみを見学することになります。

軍艦島の大きさは新宿駅とほぼ同じサイズです。小さな島に、最盛期には約5300人もの住民がひしめき合うように暮らしていたというから驚きです。最盛期(昭和34年)の人口密度は東京都の約6倍です。世界一の人口密度で、この記録は現在も破られていないそうです。炭鉱の現場は24時間稼働の不夜城です。

より多くの人が生活できるよう、1916年には日本初の鉄筋コンクリート造りの高層アパートが建設されました。農作物を育てる場所がなかったため、アパートの屋上には日本初の「屋上菜園」が設けられました。神社もお寺もあるそうです。火葬はできません。

「端島小中学校」の跡。鉄筋コンクリート7階建てで、1階から4階までが小学校、5階と7階が中学校、6階には講堂、図書室、音楽室、7階には理科室などの特別教室があったそうです。世界一の人口密度だった軍艦島は、子どもの数が多く、島には子どもたちのためのプールもありました。

水源のない島のため、真水ではなく海水を使ったプールだったそうです。日本の近代化を支えた産業遺産として2015年、世界文化遺産に登録された軍艦島。閉山から40年以上経った今、実際にその現場に上陸してベテランガイドさんの説明に耳を傾けると、廃墟の中にも当時の様子を想像することができます。

レンガ造りの建物は、鉱山の中枢である総合事務所の跡。内部には炭鉱マンのための大きな共同浴場もあったそうです。坑道の内部はもちろん真っ暗で、気温30度、湿度95%。まるで岩盤浴のような環境の中で、ガス爆発や落盤など死と隣り合わせの危険な作業に従事していた炭鉱マンたち。「一度入ると二度と出てこられないかもしれない…。」
.. 2023年09月03日 09:33   No.2843001

++ 仲條拓躬 (社長)…924回       
そんな思いを抱えながら降りるこの階段は、「いのちの階段」と呼ばれていたのだそうです。ただし、給料は非常に高かったようで、この島で働いていた方の話によると、給料は孫請の作業員でも県庁の一般職の2倍ほどです。また、全国的にテレビ普及率が25%だった頃、軍艦島のテレビ普及率は100%です。

他にも最新の電化製品などが多くの家庭で普及しており、しかもアパートの家賃は全て無料(会社負担)。軍艦島の人々は非常に豊かな生活をしていたようです。なんと100年以上も前に建てられた7階建てのアパートで、歴史を語るうえで重要な核となるものです。

中庭に吹き抜けの廊下と階段があり、採光や風通しに優れたモダンなデザイン。地下には売店もあったのだそうです。むき出しになった内部には、机などが当時のまま残されています。軍艦島(端島)は世界文化遺産「明治日本の産業革命遺産」の構成資産のひとつですが、世界遺産的な価値は島の礎であるこの護岸にあります。

明治時代、石灰と赤土を混ぜた「天川」と呼ばれる接着剤を使った石積みの護岸は、長い間波に揉まれながらも島を守り続け、特有の景観を形作っています。精選された石炭はこのベルトコンベアーによって貯炭場に蓄えられ、石炭運搬船へと積み込まれたそうです。「緑なき島」といわれた軍艦島ですが、今ではこんなに緑が溢れています。

廃墟かの地面から力強く生える草が印象的でした。船に乗り込み、往路とは反対側を眺め長崎港に戻ります。暑い中のクルーズとなりましたが、九州地方がすべてが雨なのに長崎だけが晴れて無事に上陸できたことはありがたい事でした。

長崎港からは路面バスを利用して平和公園に向かいました。近所の長崎生まれの友人が長崎に行ったら必ず居酒屋で食事をするべきだと教えてもらったのでお昼にやっている居酒屋に入りましたが、おいしくなかったかな。お店は狙いをつけていくべきです。

食事を済ませた後、平和公園に向かいました。平和公園に着いたとき、落雷が鳴り、小雨が降ってきました。なんか、涙なのかと思わせるようなタイミングでした。平和祈念像で黙祷しました。今はとても美しく整備された長崎の街が原爆の被害に遭ったなんて想像できません。立っているだけで汗が噴き出すくらい暑かったですが、小雨で冷やされました。

.. 2023年09月03日 09:39   No.2843002
++ 仲條拓躬 (社長)…925回       
原版が投下された直後は焼き尽くす熱さはどれほどだったか。このあたりには原爆投下当時、長崎刑務支所があったそうです。建物は一瞬で消え去り、約130人の受刑者らが亡くなったのでした。曲がった鉄骨がいかに高温だったか物語っています。爆心地公園は、70年は草木も生えないと言われたことに抵抗するように草木が生い茂っていました。

原爆資料館ではガイドさんをお願いして説明を聞きました。浦上天主堂の柱被曝当時の地層やお茶碗などの生活用具が砕け散った様子が見られます。今は涼を与えてくれる美しい川も当時は死体で埋め尽くされたそうです。平和公園の石碑に書いてあった油の浮いていても喉が渇いて水を飲んでしまったというのはこのことかと感じました。

この町内の方は防空壕にいた少女一人を残して全員亡くなられたそうです。資料館は、新しくて綺麗なミュージアムです。地下を利用した螺旋通路が美しい。投下時間で止まった時計。投下当時の街が再現されています。廃墟を見つめる浦上天主堂のマリア様の眼差しには言葉がありません。ファットマンのレプリカ。こんなに小さな爆弾一つで…。

本当に恐ろしい兵器です。爆心地側の部分が熱線により焼けた橋げたなど原子爆弾によって破壊された建物の一部が移設されています。原子爆弾の悲惨さ、凄惨さがダイレクトに伝わってきます。やはり本物の存在感は圧倒的です。広島の広島平和記念資料館にも設置されていました。パネル展示のみならず、動画による映像展示も充実していました。

特に、戦後の先進国による核兵器開発競争が加速化し、核兵器実験の様子、核兵器弾頭数が加速度的に増殖している様子。日本の2発の原子爆弾の悲惨さは、まったく核開発競争の抑止につながらなかったという歴史的事実があります。ニュースで核について今も見聞きしますが、その核の実態はこの惨状。子どもたちには心に留めておいてほしいです。

平和公園の後は路線バスでJR九州ホテル長崎に向かいました。長崎空港へ行くリムジンバスの時間はまだなので隣接しているデパートで涼みました。長崎空港は1975年に開港した世界初の本格的な海上空港です。昔からターミナルであり、ところどころ改修はしているものの、クラシックな空港であります。

.. 2023年09月03日 09:44   No.2843003
++ 仲條拓躬 (社長)…926回       
手荷物検査入り口に異国情緒漂うあたりは何とも長崎らしいです。そして、青とか赤が飛んでいるのに手荷物検査場はソラシドエアーのためか緑色であります。空港はそこまで広くもなく、お土産屋さんもギュッとコンパクトなので疲れません。

JAL手荷物検査近くを歩いていると近藤という名札のついているJALの方に声をかけられました。「荷物をお預けになりますか」私が「機内に持ち込みますので必要ないです」というと「荷物を検査させてください」といわれ、重さを計っていた。7sだった。「問題ないでしょう」というと家族のものも計らせて欲しいと言い出した。

「家族のキャリーバックも機内持ち込み用にしてわざわざ小さいものを購入したばかりで、ANAだが国内どこにいくのも機内持ち込み駄目だといわれたことはないし、国際線のシンガポール航空もルフトハンザも中華航空もこのバックを機内持ち込みで旅をしてきた」と話したのだが、冷酷な悪魔みたいな表情で「航空券を見せてください」「家族の荷物もはかります」と言ってきかない。

家族の鞄を計ったところ10s以下でした。それでも機内に持ち込めないという。「なぜだ」というと「手荷物があるからです」という。「そんなこと言われたことがないJALだけの規則なのか」と言っても無言で他の人を呼んで預けられてしまった。最終便で帰り、次の日は早朝から仕事やバイト学校なので大変なので機内持ち込みにしていたのになぜ、理由もなくこのようなひどい事するのか。

お土産を購入してカバンに入れるスペースを開けていた。また、夜飲む薬も入っていた。JTBを通したためにJALになってしまった。この飛行機は乗るものじゃないと思った。協会関係の団体旅行も二度と使わないと思う。しかも、JALの飛行機は40分遅れて羽田に到着した。終電がギリギリのところ荷物がなかなか出てこない。

家族には疲れているのに悪いが重い荷物を持たせて電車の乗り換えは走らせた。キャリーバックのタイヤが破損した。楽しい旅行だったのに最後に長崎空港で罪人のような扱いをされ本当に嫌な思いをした。子供たちに嫌な思いをさせてとても申し訳なかった。

.. 2023年09月03日 09:53   No.2843004
++ タク (社長)…3058回       
政治家と企業の癒着
佐川急便事件では、渡邉と政治家との関係について、元佐川急便役員は、詳細に証言しています。小針調書とは若干の齟齬はあるものの、大筋はこうでした。元役員によると、渡邉が政治家とのパイプを持ったのは小針の仲介で、小針が最初に紹介したのは元外相の安倍晋太郎でした。

安倍の死去後は、三塚博と親しくなり、三塚のパーティー券を購入するなど付き合いを深めていきました。また三塚個人だけではなく、三塚に頼まれて安倍派議員のパーティー券も購入したといいます。

この元役員は「最初、小針さんが資金繰りに、困っていたので東京佐川で面倒を見たのがきっかけ。 三塚さんは、安倍さんが亡くなった後、派閥を引き継ごうとして派閥議員のパーティー券を買ってくれと頼んできた。一回につき一千万円から二千万円ぐらい買ったと思う。総額で十億円ぐらいは使ったのでは。この結果、三塚派ができた」と証言しました。

また、この元役員によると、渡邉と元首相・竹下登の縁ができたのは、安倍派に属していた元衆院議員の故中尾宏の紹介。竹下と縁戚関係にあった小針が保証した形で付き合いが始まり、中尾の仲介で、竹下からもパーティー券を購入したという。この中尾はその後、落選し、雑誌を発行していましたが、その資金も渡邉が援助したといいます。

また、元参院議員、アントニオ猪木との関係についても、こう説明しました。「猪木の主宰した新日本プロレスは最初、テレビ朝日が応援していたが、手を引いたため、佐川会長を通して東京佐川に再建依頼が来た。興行についても、一回三千万円分の切符を買ってやって、それをあちこちに配った。沖縄のアントン牧場では十数億、そのほか、離婚のときの慰謝料や参院選挙の費用・・・・・など、公私の区別なく、全部の面倒を見た。すべて経理上は貸付金として処理をした」

渡邉と政治家との付き合いについて、特別背任罪に問われた平和堂グループの代表の松沢泰生は朝日新聞の取材に次のように答えています。松沢は渡邉の社外秘書とも呼ばれ、渡邉の政界工作資金を捻出する財布ともいわれていた人物です。

「渡辺前社長のところに金をもらいに来ていた政治家は130人ぐらいいる。大口の政治家には一人数十億円、献金総額は数百億円にのぼるのではないか」

.. 2023年09月04日 04:45   No.2843005
++ タク (社長)…3059回       
「渡辺前社長が渡した額は、最低一回五千万円から一億円。(政界汚職に発展した) リクルートのことがあるから、直接本人に渡した。秘書にも渡さない、政治家は東京佐川の会社まで受け取りに来ていた。 渡辺前社長は、行動記録を含め政界関係の資料は全部捨てたはずだ」

「有力議員のために他派閥の議員を集めて囲む会のようなものを主催していた。20人ぐらい決まったメンバーがいた。お土産で出席者に金を渡していた。場所は料亭だ。同席したことはないが、渡辺前社長が行く日は知っていた」

「私の目の前で、電話一本で大臣を決めたことがある。自民党のボスに頼んだ。渡辺前社長はこれまでに何人か大臣を決めている」(いずれも1992年2月15日付朝刊)

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.. 2023年09月04日 04:57   No.2843006
++ タク (社長)…3060回       
検事に誘導された結果
田中角栄のロッキード事件ですが、ロッキード社から丸紅を経由して田中角栄に現金五億円が渡った時期の問題ですが、全日空がロッキード社のトライスター導入を決めた翌日の1972年10月29日午後10時過ぎ、大久保は電話でコーチャンに日本円で1億2千万円用意するように伝えています。

これは全日空社長、若狭得治への9千万円、自民党幹事長、橋本登美三郎への7百万円、内閣官房長官、二階堂進への7百万円、運輸相、佐々木秀世への4百万円、自民党航空対策特別委員長、福永一臣への4百万円、前運輸政務次官、佐藤孝行への4百万円、運輸政務次官、加藤六月への4百万円で、早々に支払われたとされています。

さらにロッキード社は、全日空がトライスター導入を決定する前後、同社の秘密代理人だった児玉誉士夫に計10億3千5百万円を支払っています。ところが、 田中角栄に約束の現金が支払われたのは、検察側によると全日空がロッキード社のトライスター導入を決めてから10カ月も過ぎてからです。

この点について、 弁護人だった小野正典にふたたび意見を聞いた方によれば、小野は言下に「検察の言うように、もし丸紅の社長が総理と直々に面会して依頼をしたとするなら、機種の選定が決まった段階で、すぐにお礼の電話ぐらい入れるでしょう。ところが、それもしていない。五億円支払いの件だって、もし本当に請託と約束をしているのなら、相手は一国の総理ですよ。すぐに支払うでしょう」と疑問を上げています。

検察側は冒頭陳述などで、約束が履行されるまでの経緯を次のように説明しています。全日空がトライスター購入を決めて8カ月後の1973年6月、榎本は檜山らが田中角栄に約束した5億円について丸紅側から連絡がなかったため、伊藤に電話をして「いったい例のロッキードのものは、どうなっているのか」と催促。

伊藤はすぐに檜山と大久保に報告し、伊藤に指示された大久保がすぐにコーチャンに電話をして、「ロッキード社が5億円を出さない場合、ロッキード社はその製品を日本においてこれ以上決して売ることができないと知ってもらいたいと、檜山が言っている」と支払いを強く要求した。

.. 2023年09月05日 07:44   No.2843007
++ タク (社長)…3061回       
コーチャンは支払いに難色を示したが、7月初め、大久保に田中角栄に5億円を支払うと電話をかけ、これでロッキード社から丸紅を通じて田中に5億円が支払われることになった。請託の場合と同じように、この約束の履行についても検察のストーリーを支えているのは、榎本から催促の電話があったとする伊藤の調書だけなのです。

伊藤の1976年8月5日付調書。伊藤はこう供述しています。「この五億円の件に関して、次に榎本秘書と私が連絡を取ったのは、昭和48年(1973年) 5、6月だったと記憶しています。会社にいた私に榎本秘書から電話がありました。 榎本秘書は『いったい例のロッキードのものは、どうなっているのでしょうか、いつごろになるのでしょうかね』と私に聞きました。確かに47年(1972年)10月30日にトライスターに決定後、半年以上過ぎておりましたから、例の5億円を催促しているのだなと私は感じました」

ところが、この伊藤も公判では、調書は検事の誘導だったと証言しているのです。第94回公判 (1980年2月20日) での検察側と伊藤とのやりとりを見る。

検事「あなたの供述調書では、あなたの言われた、その金の受け渡しがなぜ遅くなったのかについては、どうもはっきりした記憶がでませんということをまず述べたうえで、次に私の記憶に残っているのはということで、榎本さんの電話の催促のことを供述しているんですが、そういう経過じゃございませんか」

伊藤「なぜ遅れたか 『記憶に残っていない』という表現になっていますが、そんなことは私はぜんぜんわからなかったわけでございますので、わかりませんと申し上げました」

検事「榎本さんの電話の内容は、どういう内容だったのですか」

伊藤「なんか、お電話をいただいたようなことがありますなということから、それはやっぱり催促のお電話じゃなかったのか、というふうに、だんだん固まっていったような感じがします。その辺からもう、その後の調書にあるのと同じ調子で、催促電話だと決めつけられてしまいました」
つまり、検事に誘導された結果の調書だということではないでしょうか。

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.. 2023年09月05日 07:51   No.2843008
++ 東京新聞 (社長)…2918回       
辺野古工事費底なし 埋め立て14%、総工費の半分近く使い切る
 | 軟弱地盤巡り沖縄県敗訴確定
 | 「税金の無駄遣いにならぬよう、今が引き時…」伊波洋一参院議員
 | 「建設費が当初の3倍というのは公共事業として破綻、
 | 完成のめどすらたっていない」…前泊博盛沖縄国際大学教授
 | 米軍幹部…「ドローンの時代には不要な基地」
 └──── 9月5日「東京新聞」1面の記事より

以下、本文より抜粋

 米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古への移設計画を
巡り、軟弱地盤の対策に伴う訴訟で最高裁は4日、県の上告を退ける決
定をした。
 県の敗訴確定で、難航が予想される地盤改良は動き出す可能性が出て
きたが、工事には2022年度末時点で4000億円以上が投入されている。
 防衛省が当初見積もった総工費3500億円を上回りながら、埋め立ての
進捗率は14%に過ぎない。辺野古予算は底無しの様相を帯びてきた。
  (中沢誠)  (中略)
 防衛省は4年前、軟弱地盤対策のため総工費を9300億円に引き上げた。
 (中略)
 軟弱地盤の工事が始まってもいない時点で、すでに総工費の半分近く
を使い切ったことになる。(中略)
 今年6月の参院外交防衛委員会。沖縄選出の伊波洋一参院議員は、
こう迫った。「これ以上の税金の無遣いにならないよう、今が引き時で
はないか」

「(辺野古新基地は)何のために造っているのか。ドローンの時代には使
えない不要な基地だ」 今年3月、新基地建設の視察に訪れた米軍幹部
が、周囲に漏らしたという。(中略)
 前泊博盛・沖縄国際大教授(安全保障論)は「建設費が当初計画の3倍
というのは公共事業として破綻している。3倍になった建設費もさらに
膨らむ可能性がある…事業全体の総点検が必要」 抜粋終了
 詳しくはこちらを
https://www.tokyo-np.co.jp/article/274772

.. 2023年09月06日 04:59   No.2843009
++ 東京新聞 (社長)…2919回       
≪本日の編集担当より一言≫
 2018年に、辺野古「新基地建設反対」行動の応援に行った。とにかく
きれいな海を埋め立て軍事基地を作るという不条理に腹が立った。行動
は、座り込みと機動隊によるごぼう抜きの繰り返しだが、地元の方の
「不屈さ」「粘り強さ」「明るさ」に頭が下がった。
 原発再稼働や、六ヶ所の再処理工場建設、汚染水の海洋投棄の強行、
軍事費の倍増といい、この国の政権のやり方は「民意」を無視して「一
度決めたことは何があろうと考え直さない」方針に凝り固まっている。
 このやり方をストップさせる力が私たちに問われていると思う。

.. 2023年09月06日 05:06   No.2843010


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