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近衛文麿は、1941年春の段階で、トップ会談を初めて提案した時に、なぜ日本の外で大統領と会わねばならないのか、なぜトップ会談なら正式な外交チャンネルでは提案不可能な条件を出せるのか、をグルー大使に説明していました。
グルー大使はその近衛文麿の立場をワシントンに説明していました。(近衛の説明によれば) 外交ルートを通じて中国問題や他の問題に関して、ワシントンが求めているような具体的な条件を提示しようとすれば、外務大臣の松岡洋右の知るところとなり、それは、すぐさま狂信者とドイツ・イタリアの大使館に筒抜けになり、近衛首相は暗殺されてしまう。
そうなれば、すべての努力が水泡に帰するであろうという。続けて、近衛はこう懸念していました。松岡外相は、日本をドイツ・イタリアとの枢軸同盟に導いた人物で、ドイツやイタリアと一体となって、日米関係を調整することをあらゆる手段を使って妨害するであろう、と。
さらに、駐日大使館と国務省との通信に使われている暗号によって、敵対的な情報リークが行われるリスクも存在しました。駐日大使館では、暗号の一つはまだ解読されず安全であると考えていましたが、近衛文麿はグルー大使に、暗号は日本の暗号専門家によって解読されているはずだと漏らしていました。
六月にドイツがロシアに侵攻して松岡が辞任を余儀なくされた後で、近衛文麿はグルー大使にこう語ったのです。「松岡は辞めたが彼の支持者はまだ外務省に残っており、彼らは近衛文麿が大統領に提案しようとしている建設的な条件を外部に漏らすだろう」。グルー大使はこの動きをワシントンに伝えました。一方で、近衛文麿はこう主張していました。
「もし、自分が陸海軍の高官を同行させルーズベルトと膝突き合わせることができたならば、国粋主義者といえどもこの和平交渉の流れをひっくり返すことはできないだろう。というのも、先の条件を提示し、それらがアメリカ側に原則的に受け入れられ、ワシントンと連合国が協力して実行計画ができれば、日本は安堵し、この提案を受け入れる空気になるからだ」
.. 2023年07月06日 16:52 No.2798001
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