石原莞爾に関する伝記書は数多く存在しています。私の父は石原莞爾の側近だったので数多くの書物を書いて世に出しています。それらを読めば読むほど、購買意欲を掻き立てるためなのか、石原莞爾という人物像が面白可笑しく描かれており、何か歪められているのではないか、と感じるようになりました。 それは、石原莞爾自身の何か計算された作為的なものからの言動に起因するのではなかろうか、と思えるようにもなりました。樋口先生のご子息は、その一因を石原莞爾の持病に求めたのです。 石原莞爾将帥の疾患については、「膀胱疾患に苦しむ」とか「難治性の膀胱炎」とか「パピローム、乳頭腫、乳嘴腫」「パピロームが癌化」とかの伝記類が多く通説となっているが、石原寛治平和思想研究会の顧問である野村乙二朗著『石原莞爾軍事イデオロギストの功罪』のように、「パピロームは良性であり、死因は別の癌ではないか」という医師の話を記した見方まであります。 また、石原莞爾の日記をめくって見ても、本人が伏せたり、隠匿しているように感じるところもあり、このことが作家らの伝記にもタブー視されて取り扱われているのではないか、と疑う余地があるというのです。石原莞爾将帥の持病は、「膀胱癌」です。 樋口先生の著書によれば将帥の軍事上の言動に、その膀胱癌の病期の症状が反映しているのではなかろうか、と泌尿器科専門医としての血が騒いだ。病歴の実態を調査している時、 「石原莞爾平和思想研究会」の方々から書籍の紹介を頂戴した。 中でも、宮本忠孝著 『人間・石原莞爾片々録』、吉武敏一著『石原莞爾の病歴』 を入手した時の感動は今も忘れ難い。「膀胱癌」の手掛かりが掴めたわけである。まず、国際連盟臨時総会昭和7年(1932年)時でのスイス・ジュネーブでの受診病院の検索に取りかかった。 福岡県出身で医師の自見庄三郎代議士の秘書を通じ、外務省外交史料館・浅見閲覧室長から、「照会の史料については、当館の所蔵史料を調査しましたが、見当たりませんでした」との丁重な返事を頂戴した。当時の診察録が存在すれば貴重なものだったが残念であった。 次に、将帥を遠方より往診されて、臨終までを看取られた宮本忠孝博士、将帥の膀胱癌を泌尿器科専門医として最後に診療された東京逓信病院・土屋文雄名誉院長にお会いして、お話をお伺いしたい衝動に駆られた。
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.. 2023年06月20日 08:52 No.2783001