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■--石原莞爾と于沖漢との会見
++ 仲條拓躬 (社長)…867回          


中華民国・満州国の政治家である于沖漢(う・ちゅうかん)は、久しぶりで、本庄軍司令官に会って、久潤をのべたが、本庄も、この人が出馬すれば、満洲の地方自治の土台は完成するだろうと期待しました。そして、ぜひ石原作戦課長に会って、今後の問題について、隔意なき意見の交換をしてほしいといいました。

率直にいうと、本庄も、石原莞爾の鉄石のような決意、一旦こうと決めると、ぐんぐんと自己の主張を押通して憚らぬ態度に対して、はじめは、彼は驚くべき天才児だと思ったのですが、ついにどうも困ったものだと手をやいたようでした。

ついで、この困ったものだという感情が、いやそうでない、大西郷が、金もいらぬ、名もいらぬ、地位もいらぬというのは、手におえぬ困りものだ、しかしこの困りものでないと、共に天下のことを語ることはできぬと言った、その困りものが石原莞爾のような男なのだと気がついたのです。

ことに、内閣崩壊のうごきを逸早く着てとって、善処するというが如きは、凡人のわざでないと感激し、それから後は、何事によらず石原莞爾に相談したのでした。于沖漢ひっぱり出しも、あらかじめ石原莞爾には内談してありました。

「先生の建国大綱のご意見は、拝見しました。あれは私から見ると、隔靴掻痒です。先生は、まだ遠慮して物をいっている。従って、あのご意見は、満洲人の角度から見た、一方的なお考えではないかと思います」最初から、石原莞爾は痛いところをつく。

「満洲国が、真に独立国家となるには、第一に民族は絶対に平等でなくてはなりません。また鉄道・塩税・郵政・関税・石油・鉱業・マッチなど、外国によって侵害されている権益は、全部回収しなくてはなりません。」

「それには、まず日本が治外法権を撤廃し、満鉄経営を合弁とし、附属地を返還し、旅順・大連も、独立の贈物として呈上し、権益返還のお手本を、欧米各国に示すべきだと思っています。ただ、貴国人が、満洲国民になった日本人に、平等な権利を与えるかどうかが問題でしょう…」于沖漢は、石原莞爾の言葉をきいて、眼をまるくした。
.. 2023年06月04日 08:41   No.2769001

++ 仲條拓躬 (社長)…868回       
自分は、幼少の頃から日本にわたって、日本軍人の家庭に育てられた。そして日露戦争当時は、多くの日本の将官や大官に接していた。奉天政府の要人になって後も、日本の軍人や政治家と交友の間柄にあったが、この一中佐のような遠大な抱負をもっている人物に、未だて出会ったことはない。自分が、遠慮しいしい物を言っているというのは真実である。

失権回復は、今や、三千万満洲国人の一様に念じているところだが、この一中佐は、それどころではない、何も彼も満洲へ返還しようという。おどろくべき意見である。彼は、勝者の地位にある、我は敗者の地位にある。敗れたるものは勝てるものに対して、抗弁の権利はない。

よし希望を申し出たところで、彼は自己に都合のいいように取りはからい、表面は、人道だ、平和だ、友好だといったところで、腹の底から、そう考えているかどうかは疑わしい。 この一中佐は、そういうことを考えさせる余地がない。淡々として、一物も欲しない。ただ求むところは、心から心に通ずる誠の道義しかない。

日本の軍人のなかにも、こんな人物がいたとは、まことに不思議なことだと思った。 彼は、建国大綱など、軍司令官に提出したが、この参謀の方が、ずっと幅のある世界観をもっていると考えると、気恥かしく感じられてきた。于沖漢は、涙ぐんでいた。

自分は、売国奴と罵られ、漢奸とさげすまれながらも、満洲のために親日を実行してきたが、いつも心を悩ますものは、日本のあくことなき権益の追求と、日本人の貪慾な優越感だった。建国工作の着手に出渋ったのも、実はそこにあった。

しかし、地位は低くても、作戦課長の要職にあるこの石原莞爾が、本当に、この考えで満洲経営に臨むなら、自分は六十年のこの生涯をここにげうって、何等悔いない。これが実現してこそ、自分の長い間の親日も実を結ぶことになる。

「石原さん、あなたはお年若だが、抱負は実に大きい。帯のような満鉄の附属地と、猫の額ほどの旅順・大連を投げ出して、満洲全体を手中に収めてしまう。あなたのおっしゃることが実現したら、三千万民衆は、 ころりとまいります。いや四億の漢民族にしてからが、手放しで感泣します。先生、今日は、小さな権益にへばりついている時じゃありません。」

.. 2023年06月04日 08:50   No.2769002
++ 仲條拓躬 (社長)…869回       
「必ず将来、といっても二、三十年のうちには、東西分け目の世界最後の決戦が起りますよ。それまでに、日本と中国とが完全に協同して、兄弟国となり、最後の戦に打勝たねば、真の平和は地上に到来しません。あなたが、満洲には警察だけおいて軍隊をおかぬというのは、結構な理想です。しかしそれはどこまでも理想です。」

「それまでは、警察も必要、軍隊も必要、.....あなたは、恐らく日本人を信用しないでしょう。同様に、私も日本人を信用しません。現在の日本人は、隣国に対して、ただ権益を主張する利欲の奴隷のようなものです。それを打破しなくてはならぬ。だが、これは学良政権を打倒した以上に困難が伴います」「では、貴国の状態は、満洲と同じですか」

日本には、軍閥といい、党閥といい、官僚閥といい、いろいろな名目の我利我利「そうですとも亡者どもがおります。 私は、軍人ですが、軍閥外の軍人です。 満洲建国は、あなたに一任して、これからこの軍閥とたたかいます」「わあ、大変なことになった」

思わず声をあげた于沖漢は、今まで、胸につかえていたものが、一時に流下したようだった。二人は、一瞬にして、百年の知己となった。こういうことは、各個の人生のうちに、しばしばおこる出来事じゃない。

大抵のものが、一度もそういうめぐり会わせにぶつからずして、土に入ることが多い。于沖漢と石原莞爾との会見は、絶えてなく稀に見る遭逢であったのです。

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.. 2023年06月04日 08:59   No.2769003
++ タク (社長)…2954回       
アポロ月面着陸とは
ロシアの元副首相でロスコスモス(ロシア国営の宇宙開発事業団)のトップだったドミトリー・ロゴジンが「アメリカのアポロ11号の月面着陸は、事実と思える証拠がない」とテレグラムで発言しました。ロゴジンはロスコスモスのCEOだった時に、社内に組織を作ってアポロ11号の月面着陸の事実性を調べさせました。

たが、着陸した宇宙飛行士の証言などがあるだけで、事実と確信できる証拠がなかったというのです。ロゴジンは当時から、アポロ月面着陸の事実性を疑う発言を繰り返してきました。ウクライナ開戦後にロスコスモスのCEOをロシア政府から解任されるまで、NASAとの共同宇宙開発から手を引くかもしれないという脅しも言い続けていました。

アメリカの関係者や政界はロゴジンを敵視していました。ロゴジンは「ロシア政府の高官ら宇宙開発関係者が私に、米露関係が悪化するのでアポロ月面着陸の真贋性を問題にしないでくれと言ってきた。私は単に、月面着陸が事実なら証拠を見せてくれと言っただけだ。誰も証拠を見せず、私を非難するだけだ。おかしいぞ」と言っているのです。

ロゴジンだけでなく、アメリカでも共和党支持者など国民の2割がアポロ月面着陸の事実性を疑っています。ソ連との激しい宇宙開発競争の中で行われた1969年の月面着陸は、アメリカ政府がソ連に勝つためにでっち上げられた嘘だったのでないかという疑いです。

ロゴジンだけでなくアメリカ側で月面着陸の事実性を疑う全ての人々が、事実性への疑いを払拭する前にマスコミ権威筋から一方的に非難され、不満を強める結果になっています。この構図は、ケネディ暗殺、911テロ事件、コロナのワクチン、都市閉鎖、マスク義務、ウクライナ戦争での善悪歪曲の疑いなど、他の多くの問題と共通しています。

そうした他の問題との共通性をみると、1969年の月面着陸もインチキだったかもしれないと思えてくるのです。アポロ月面着陸が事実だと言うと、マスコミを信じる人々は911やコロナやウクライナの公式説明も事実だと言いたがるかもしれないが、それは違う。911やコロナやウクライナは調べていくほど公式説明の間違いが強く感じられるのです。

.. 2023年06月05日 04:41   No.2769004
++ タク (社長)…2955回       
アポロ着陸は、調べていくと公式説明に事実性が感じられるとともに、国家機密によって事実性の補強が阻止されていることも見えてきます。911テロ戦争も国家機密に覆われているのですが、あれは機密が解除されるほど米当局による自作自演性が強く感じられ、公式説明の嘘が暴かれているのです。


.. 2023年06月05日 04:54   No.2769005
++ 上岡直見 (社長)…293回       
日本建築学会と原発避難
 | 屋内退避について疑問提起
 | 日本建築学会の糸長浩司氏と上岡直見の講演
 └──── 上岡直見〔環境経済研究所(技術士事務所)代表〕

◎ 日本建築学会原発長期災害対応特別研究委員会では、原発事故によ
る長期的放射能影響への対策が検討されています。
 その一環として同研究会と福島長期復興政策研究会の共催で、2023年
5月31日に原発避難に関する研究会が開催されました。
 日本建築学会の糸長浩司氏と上岡直見の講演を紹介します。
https://www.youtube.com/watch?v=81kj0ZGMMKk

◎ 研究会では、福島第一原発事故の発生当初の飯舘村での状況の振り
返りから、現在の避難計画で規定されている屋内退避について疑問が提
起され、原発や避難政策に対して批判的な意見が続出しました。
 建築学会としての見解ではありませんが、国内でも有力な学会である
建築学会から意見が発信されることは大きな影響があると思います。

.. 2023年06月06日 04:40   No.2769006
++ 仲條拓躬 (社長)…870回       
東京裁判出廷

検察官と日本人弁護団は、酒田市にのりこみ、商工会議所二階を臨時法廷とし、国境の西山にいる石原莞爾をここへ呼出しました。石原莞爾は、私の父・仲條立一たちが農場の隠棲から布団をのせたリヤカーに身をよこたえ、自動車道路まで出かけて行きました。

法廷における検察官との応待は、辛辣な処、ユーモラスな処、禅問答のような処があったが、卑屈なところ、困惑なところは些かもなかったと、弁護士たちは云っていました。検事側が、貴官が同乗した飛行機に爆弾をつみこんで行ったとすれば、攻撃の意図があったのじゃないか、と訊問するに、ああいう情勢のもとに偵察に行く場合、当然先方は防空火器をもって攻撃してくる。万一、この砲火で打落されると、偵察の使命は全うされない。

勢い応戦せねばならぬので、小型爆弾を積込んだということはある。しかし攻撃の意図はない、防禦の意図であると、応酬した所や、又、日本の関東軍は第三国からみると、大陸軍であると思惟されるが、この点はどうかと衝かれて、あの位のものは、中陸軍だ。

満洲事変の起る頃は、その中陸軍よりも更に兵力は微弱だったので、小陸軍に過ぎない。それが後になって、どうやら中陸軍になったのだ、と答弁したあたりは、一橋一縦、手に入ったものだった。ただ協和会の性格について、外国人記者とインタビューをした際、決して政治性をもつものでないと答えた。もとよりその通りであった。

これが、検察側の問題となって、相当突込まれ、後になって政治性をもつものだと、証言して了ったのは、取りかえしのつかぬことであったというものの、他の点においては、申し分のない完璧な答弁振りで、たとえ病中であっても、彼の頭脳が緻密且つ精であった一点において、弁護士たちを驚かせた。 (小森正文記事による)

病中なので、骨立ち肉落ち、顎髯がぼうぼうと生えて、全くの好々爺であったが、急所々々へゆくと、精悍な面魂となって、一歩もひかぬというところが見えた。石原莞爾は、侵略主義ではない、平和主義者である。殊に、世界人類のために、絶対の平和郷を現出しようとする熱意にもえていた宗教的将軍だが、それがどこまで認められるかは、分らぬにしても、心中の意図を十分に説きつくして、満足そうであった。

.. 2023年06月06日 08:24   No.2769007
++ 仲條拓躬 (社長)…871回       
勿論、戦争犯罪人として、巣鴨に拉致されるものと覚悟していた。だが、不思議にも、罪科を免れることを得たのは、石原莞爾の平和論者としての立場が、この答弁によって、はっきりした為であろう。
.. 2023年06月06日 08:30   No.2769008
++ 仲條拓躬 (社長)…872回       
淵上千津同志の手記

戦争が終りに近づいた年のある日のことです。東北軍管区報道部員の一中尉が小森を訪ねてきました。「石井参謀の命令ですが、石原閣下の見透しを伺って来いということです。ついては、誤解して下さらんように、閣下へご紹介願えませんか」「用件が、はっきりしているのですから、構わんでしょう」彼は、石原莞爾の家へ案内しました。

すると、石原莞爾は、いきなり、この中尉に向って、「かえって石井参謀に伝えなさい。東条軍曹なんかに戦争が出来るわけがない。わしの見透しに明らかに負けた。本土決戦なんぞといっても、軍曹には及ばんことだ」裁断を下すように云った。

石原莞爾は、東条英機を大将とは言わなかった。事務をとらせたら一かどの役に立つが、戦争させたら軍曹の実力しかもたぬ、と云うのだった。「では、方策は尽きたとおっしゃるのですか」「そうは云わん。東条では駄目じゃというだけのことで、やればやれる手もないではない。わしはこう思う。」

「敵が本土へ上陸したなら、上陸したで構わん、軍の中枢だけが、優秀な対戦車砲を用意して、山にこもるのだ。日本の山岳は角度が急なので、そう安々と戦車は上れないから、ヨタヨタしているところを対戦車砲で叩けばいい。それより外に手はあるまい」

中尉は、感心して聴いていたが、しかし、その時は、まだ原子爆弾のあらわれぬ頃で、原子爆弾が現われたら、この防禦戦術も役に立たぬのは云うまでもない。新兵器の現れなかった時分なので、当面の決戦方法を、そこへ持込もうとしたらしかった。

昭和十九年七月、マリアナ群島やサイパン島を占領されて以後、首相・陸相・内相、後に軍需相・参謀総長をも兼ねて、全国民に号令していた東条英機も、進退ここに窮して、小磯国昭) 大将に内閣を譲った。だが、東条の子分といわれた四方 (諒二) 東京憲兵隊長は、まだあとにのこった。

彼の黒い手は、第二次東条内閣を成立せしむるため、暗躍をつづけていた。丁度、その翌月、東条英機暗殺事件が発覚し、東条正面の敵石原莞爾は、参考人として、東京軍法会議に引出された。廷丁は、下駄ばき、私服姿の田舎おやじを見て、うろんくさい奴と見てとった。「何だ、貴様は」頭から怒鳴りつけた。「わしは、石原だ」

.. 2023年06月06日 09:48   No.2769009
++ 仲條拓躬 (社長)…873回       
名乗られて、びっくりした。 石原莞爾は、この姿で、鶴岡から、ノコノコと上京してきたのだった。法廷では、石原莞爾に反軍思想の罪名を与え、軍の圏外へ葬り去ろうとしたらしかった。石原莞爾が、平生軍閥の語を用いて、軍を誹謗しているという報告は、憲兵や特高から法務官の手に入っていたから。

「軍閥とは、どういう意味か、まずそれから伺いましよう」法務官の訊問に対し、石原莞爾は、「軍閥とは、軍人に賜わりたる勅諭に反し、政治に関与する軍人の義である」ピタリと、定義を下した。これでは、何とも抑えようがない。

強いて反軍思想家の名を与え、これを引っくくろうとしても、確乎不動の信念を有する石原哲学に対しては、正面から打込むすきはなかった(田村真作「石原莞爾の悲劇」による)
この事件は、もとより石原莞爾の知るところではなく、ただ参考人として出廷しただけに終った。

だが、何とかして石原莞爾を抹殺しようとする東条閥のうごきは、蛇のように執念深く、石原莞爾の身辺につきまとっていた。石原莞爾はその間にあって、東亜連盟運動を拡大して行ったのである。

昭和八年三月九日、満洲国協和会の声明の中に、東亜連盟という名称が、初めて用いられて以来、この運動は、中国人の熱心なる支持をうけ、日華和平のカギは、ここにあると信じられていた。世界最終戦争は、正しく王道と覇道との決勝戦であって、東亜連盟は、太古より東亜諸民族共同の理想であった王道を擁護する道義的団体である、というのである。

山形は石原莞爾の生地なので、この運動は特に熾烈であった。大会が開かれると病体を押して出席し、二千から三千の聴衆に向って、熱弁をふるった。あの病体のどこから、あの勢力が湧き起るだろうと不思議におもわれたが、石原莞爾としては、いつ死のうとも、この思想の種子だけは、地上にのこそうとする意図があったのであろう。

昭和二十年の春、といっても、山形地方は雪が深かった。 東亜連盟の東北地区青年大会が、新庄の近く瀬見温泉でひらかれた。青年たちは、吹雪を冒して参集し、三日の予定も滞りなくすんで、閉会となった。石原莞爾は、かえりがけに、行を共にした淵上千津女と共に、雪に覆われた連山にかこまれた瀬見の駅に立った。折柄出征兵士をおくるバンザーイの歓声が、わっと駅の一隅から起った。「勝ってくるぞと勇ましく・・・・・・」

.. 2023年06月06日 10:04   No.2769010
++ 仲條拓躬 (社長)…874回       
楽隊入りの軍歌が、にぎやかに聞えてきた。ホームに佇んだ石原莞爾の眼は、じっと、やきつくようにその光景をみつめていた。彼の口からは、息とも、独言とも、つかぬ言葉が、重々しい調子で、しずかにもれてきた。「ああ泣いている、泣いている、軍旗が泣いている」(石原莞爾平和思想研究会・淵上千津手記による)
.. 2023年06月06日 10:09   No.2769011


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