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■--田中角栄の方言の信憑性
++ タク (社長)…2936回          

ロッキード事件の丸紅ルートの捜査と公判を見て、まず疑問が湧くのが請託の有無です。 受託収賄事件の場合、請託は立証のための要となり、必ず争点の一つとなります。特捜部は、請託がなされたのは、檜山が大久保と田中邸を訪問した「1972年8月23日午前7時ごろ」と決めつけています。

特捜部の構図において、檜山は大久保を田中角栄に紹介したあと、「ロッキード社が全日空に航空機の売り込みをかけているがスムーズにいかない」と現状を説明。その後、もし全日空がロッキード社のトライスターの導入を決定した場合、ロッキード社が五億円を支払うので、全日空がロッキード社のトライスターを導入するようしかるべき閣僚に働きかけるなど、協力してほしいと依頼したといいます。

これに対して、田中角栄は「よっしゃ、よっしゃ」と応え、承諾したとしています。檜山は1995年2月、最高裁が上告を棄却、懲役2年6月の有罪が確定しましたが、その5年後、病死しています。檜山が生前、家族に胸の内を明らかにしていないかと思い、記者が自宅を訪ねています。JR五反田駅から歩いて十分前後のところです。

檜山邸は高台の静かな高級住宅街の一角にあります。総理公邸は目と鼻の先です。家の周囲を竹柵で囲まれた建物がそれで、事件当時と変わっていないといいます。静かな住宅街だけに、当時マスコミ関係者らが押しかけ、近所の人たちも交え、異常な興奮状態になったことは容易に想像できます。

門からインターホンを押すと、奥さんらしい女性が出たが、取材の向きを伝えようとすると「忙しいから」の一言で、取りつくしまがない。何度か足を運んだが、結果は同じだった。今でも強いマスコミ不信に陥っているのだろうとの印象だったといいます。

そこで請託について、弁護人だった宮原守男氏に意見を聞いてみたそうです。宮原氏は即座に「請託については外形的事実としてある。 全日空は確かにL1011という機種を買いたいという気持ちがあった。ロッキードとしても売りたいという気持ちがあった。檜山はコーチャンに頼まれたという心証はあった。しかし、よろしく頼むとは言っていない。」
.. 2023年05月24日 08:13   No.2759001

++ タク (社長)…2937回       
「それは檜山から話を聞いて確信が持てた。田中についていうと、特捜部は(よっしゃ、 よっしゃ)と言ったとしているが、絶対に言っていない。国立国語研究所(東京・練馬)で調べたところ、新潟地方では「よっしゃ、よっしゃ」という言葉は使わない。田中はこんな言葉は使わない」と請託の事実を否定したのです。

当時、国立国語研究所と文化庁の国語課で、新潟県地方で「よっしゃ、よっしゃ」という言葉を使うかどうかを確認した方がいます。答えは二カ所とも 「新潟では使わない。高知県や岡山県など西日本で使う方言」。新潟弁の専門家で新潟大学教育人間科学部名誉教授の大橋勝男氏に確認をしたところ、やはり「使わない」とのことでした。

ただ、大橋氏によると、新潟地方では「よしたや、よしたや」という方言を使うが、これは人を讃える褒め言葉で、了解や了承という意味ではないといいます。この方言のことを調べているとき、「よっしゃ、よっしゃ」は、主任検事だった吉永氏が使っていたといいます。「吉永さん」とは、のちに検事総長になる吉永祐介氏のことで、当時は特捜部の副部長として捜査の陣頭指揮をとっていた方です。

吉永氏は岡山県生まれで、岡山大学出身。とすると、吉永氏が勢いで「よっしゃ、よっしゃ」を付け加えたのだろうか。弁護側が公判で指摘したが、解明されていないのです。次に小野正典氏に同じ質問をぶつけています。

小野氏にいたっては「調書は検事の作文。 航空業界は中曽根康弘さんの縄張りだった。たとえ総理といえども、他の政治家の縄張りを侵害すれば、政治生命を失いかねない。田中氏が中曽根さんの縄張りを食うことは考えられない。それに、そもそも民間の会社が総理に頼んで、民間の航空会社に働きかけてもらうなんてことを考えつくだろうか」と頭から請託を否定したのです。

いったいどうして検察側と弁護側で、こんなにも開きがあるのだろうか。田中角栄は逮捕されて以降、公判を通しても、檜山からの請託を否定しつづけていました。請託は密室の行為で、それを裏付ける物的証拠などあるはずがないのです。請託の存在を裏付けたのは檜山調書だけだったのです。

.. 2023年05月24日 08:28   No.2759002
++ 仲條拓躬 (社長)…863回       
日本に贈る遺言
新日本の行くべき路は日蓮、弘安5年10月13日、武蔵の国千束の郷、池上右衛門大夫宗長の家において、入滅したのは61歳の時でした。昭和の日蓮といわれた石原莞爾が、大往生をとげたのも、同じく61の時でした。信仰に徹すると、心霊の相通ずるところがあるのかもしれません。

日蓮上人は、毎日の間、病床において、立正安国論を講じました。死の手にとらわれる利那まで、一宗弘布の念をすてなかったのですが、 石原莞爾も、敗戦日本に贈る遺書をしたため、瞑目する五日前まで、筆をすてなかったのです。「新日本の進路」は、こうして今、吾々の手にのこされています。

板垣征四郎も、断頭台に上る直前、その感想を花山信勝にのべています。それによると、「戦争の起る前、世界最終戦ということを一部で唱え、私たちもこれを支持して来た。まあ、支持したと申しますか、そういう風に信じていたわけですが、今から二十年以内に世界最終戦がある、日本は、その時に備えなくてはならない。」

「世界最終戦後に平和がくる、それに日本は備えねばならない。私共は、それに全力をつくした。しかるに、意に反して、日華事変が起きた。これは大変と思って、一日も早くおさめなければならんと考えて、私は当時陸軍省におった時だから、全力をつくしたが、できなかった。」

「それが今度の第二次世界大戦となり、日本は最終戦の戦友を失うということになった。もし、予言者の云った世界の最終戦というものが起れば、その際、戦争を放棄した日本としては迷惑千万ではあるが、日本の理想とする真の平和を、それによって得るものであるならば、しばらく忍ばねばならんと思う。」

「そして、真の平和の来る日を待たねばならん。世界平和の来た時は、どうなるかというに、世界国家的な機構ができて、日本もそれに協力し、各国は自国に適当した文化をとりいれて、有形無形の文化国家を形造らねばならんことになろう。その際、日本としては、最高の精神文化と科学を高い水準にまで上らせて行かなければならん」と、あります。

.. 2023年05月25日 05:47   No.2759003
++ 仲條拓躬 (社長)…864回       
板垣は、石原莞爾から思想的感化をうけていました。従って、その言うことも同一であるのは言うまでもない。彼もまた、死後もなお、この大同思想をすてようとしなかったのです。全くの石原莞爾イズムでした。なつかしき唐国人よ今も尚東亜の外に東亜あるべき同志によせる歌も、のこっている。(「平和の発見」による)石原莞爾は云っています。

「東亜連盟運動は、その実践においても、極めてデモクラチックであり、よくその統制主義の主張を生かした。組織を見ても、誰もが推服する指導者のないかぎり、多くの支部は、指導者的支部長をおかない、すべて合議制であった。真に心からなる理解の上に立っている実情を物語っている」一人の専制を許さないような組織になっているのです。

ところが、この統制主義は、ともすると全体主義と誤解されがちです。「石原のやっている東亜連盟の思想は、超国家主義である。専制と保守とが、その中味である」こういう批評をうけますが、断じてそうではなく、彼は、特に最後の書に於て解説を加えています。

「近代社会は、専制・自由・統制の三つの段階をへて発展してきた。即ち専制主義の時代からフランス革命、明治維新などをへて、自由主義の時代となり、人類は、そこに飛躍的発展をとげた。しかしその自由には、限度がある。増加する人々にたいし、土地や資源が、これに伴わぬ場合、多くの人に真の自由を与えるため、若干のさばきを与える必要を生じた」(新日本の進路)

その捌きが統制だというのです。別の言葉でいえば、お互いの我ままをせぬということを、根本精神とするのです。今や、世界共通の状勢は、専制から自由に向い、又その自由から統制へすすみつつあることは、否定すべくもないのです。

石原莞爾平和思想研究会 (ishiwara-kanji.com)

.. 2023年05月25日 05:53   No.2759004
++ タク (社長)…2938回       
ほめ殺し疑惑

東京佐川急便事件が国民の関心を集めたのは、単に巨額な背任事件だったからだけではありません。捜査の過程で、政治と東京佐川急便という一企業と、そして暴力団、右翼団体との関係がいみじくも明らかにされたからです。それを象徴したのが、右翼団体「日本皇民党」による「ほめ殺し疑惑」です。

ただ、この疑惑は当時マスコミが大きく伝え、永田町に激震が走ったわりには、今もなお多くの疑問を残しています。誰が日本皇民党に「ほめ殺し」を依頼したのか、そして活動資金は誰が提供したのか。検察側の冒頭陳述や法廷での証拠調べで明らかにされた関係者の検事調書などから、検察側が描き出した疑惑の構図があります。

1987年10月に行われた中曽根康弘の首相後継を争う自民党総裁選は、年明けから、総務会長の安倍晋太郎と蔵相の宮沢喜一、それに幹事長の竹下登を交えた激しい三つどもえの様相を呈していました。

そんな状況のなかで、日本皇民党が一月から国会周辺を中心に「清廉潔白な竹下さんを総理、総裁に」「金儲けがうまい竹下さんを総理に」などと連呼する街宣活動を展開しました。竹下をほめることで、逆にイメージダウンを狙った「ほめ殺し攻撃」は約九ヶ月間続いた。

日本皇民党関係者は、特捜部の調べに「竹下が田中角栄のもとを飛び出し、経世会をつくったのが引き金で田中が倒れたのに、謝罪もなく、道義に反すると思った」と説明しているが、その思惑どおり「ほめ殺し」によって竹下が受けたダメージは大きかった。

それを証明するように一月から八月ごろにかけ、前自民党副総裁の金丸信や政調会長の森喜朗、竹下派会長の小渕恵三、自民党国対委員長の梶山静六、浜田幸一、浦田勝、魚住汎英らの国会議員らが、本人あるいは代理人を立てて、日本皇民党総裁の稲本虎翁に「ほめ殺し攻撃」の中止を申し入れています。

だが、ことごとく断られてしまったばかりか、「金銭で解決できないか」と現金を提示した政治家に、稲本は「金で動いているわけではない」として一歩も譲らなかったのです。そこで、金丸は「皇民党事件を解決できなければ、中曽根首相は竹下氏を指名しないかもしれない」(渡邉廣康の調書)と渡邉に相談を持ちかけました。

.. 2023年05月26日 10:46   No.2759005
++ タク (社長)…2939回       
渡邉は稲川会の前会長、石井進に「ほめ〇し」を止めてくれるよう依頼した。石井はその後、稲本と交渉したが、ここで稲本は竹下が田中に病気見舞いと立候補の挨拶をするという条件を提示。結局、竹下は10月6日の朝、東京・目白の田中邸を訪問した。

田中側に門前払いをされましたが、約束を果たしたということで「ほめ殺し」は中止されました。竹下はその後、第十二代自民党総裁と第七十四代内閣総理大臣に就任しています。このほめ殺し疑惑について、竹下は、1992年11月2〇日に行われた衆院予算委員会での証人喚問で、(暴力団への解決依頼については)心当たりはなかったと答弁しています。

「罪万〇に値するが、職を辞するのは、皇民党問題と総裁選、内閣首班指名が連動することを立証することになり、職を辞するわけには参らない」と辞職要求をはねつけたが、「(田中邸訪問が) 街頭宣伝中止に関わるという印象があったが、条件を果たすというわけにいかないので、心の葛藤があった」と述べ、田中邸訪問とほめ殺し中止との関連を事実上認めているのです。

また、稲本の死去後、日本皇民党総裁となった大島竜〇は、疑惑が発覚した当時、朝日新聞のインタビューにこう答えています。「1987年10月2日、知人の仲介で、故稲本(虎〇)総裁が東京プリンスホテルで石井前会長に会った。前会長は稲本総裁に『竹下を目白(田中角栄邸)に行かせ、病気見舞い、立候補の挨拶、それまでのおわびをさせるから運動をやめてくれ』と申し入れた。稲本総裁は会談後、その日のうちに、部下を引きつれて東京を離れた」

「竹下元首相は十月四日に目白 (田中邸)に行こうとしたが、報道陣がたくさんいたので、びっくりして途中で帰った。うち(日本皇民党)は石井前会長に約束が違う。上京して、いちからやる」と言った。 前会長は「もうちょっと待ってくれ」と言い、二日後、竹下元首相は約束通り目白に行った」

「国民の手本になるべき者が、親 (田中元首相)が病気で倒れ) 窮地に陥ったときに、議員をみな引き連れて出て行った。火事場泥棒だ。反省を促す必要があるということだ」(いずれも1992年7月28日付朝日新聞)

.. 2023年05月26日 11:08   No.2759006
++ 坂東喜久恵 (大学院生)…107回       
電気料金値上げって、なぜ
 | 電力逼迫とは関係ない 原発が止まっているからでもない
 └──── 坂東喜久恵(たんぽぽ舎)

〇電気料金値上げの背景と問題点

 6月から、7つの電力会社が電気料金の値上げを認可された。電力会
社の希望と認可された値上げ率はかなり異なっていた(下げられた)。
これには、「電力会社と政府の癒着」という見方もある。かなり正しい
と言える。

 ウクライナ情勢の影響で燃料費が上昇したと主張されているが、専門
家の見解では、電力会社の燃料調達は長期的に見れば大きな変動はなく、
安定しているとのことだ。
 現在、社会全般の物価が上昇していることを考慮すれば、許容できる
としても全体の物価上昇の範囲内だ。

〇電力会社の値上げ率の違いと原因

 では、なぜ東電が15.3%で北陸電力が39.7%と値上げ幅が広いのか?
(規制料金部門平均)
 すべての電力会社が原発を再稼働するために多額の費用をかけて工事
を行っている。規模の小さい電力会社ほど負担は大きくなる。
 この差からも、北陸電力には原発で過度の負担がかかっていることが
分かる。
 東電は、柏崎刈羽原発に関連する費用を含めた値上げだが、消費地の
規模が大きいため比較的有利な立場にある。

〇原発再稼働と電気料金の関係は

 電力会社が電力逼迫を理由に原発必要論を前面に押し出すのは、政府
主導の宣伝だといえる。
 「原発が稼働すれば電気料金は安くなる」という主張は、各種のデー
タを見ると間違いだとわかる。

 電力会社は、「原発推進と原発をずっと続けさせる法改正(束ね法
案)」によって、今後は、危険で収益が見込めなくなったとしても、
原発を止めることができない状況に追い込まれることになる。
 現在は老朽原発を動かせば動かすほど電力会社の利益は増大する。

 いずれにしろ費用は国民の負担だ。一部の利権者は喜ぶかもしれない
が、この地震の多い日本で、まともな経営者なら危険な状況に置かれて
いることは理解するはずだが。
 『GX法』は『グリーン・トランスフォーメイション法』ではなく、
「ゲンパツズットスイシン法(原発ずっと推進法)」だと指摘される所以だ。

〇電力逼迫の実態と対策

.. 2023年05月27日 07:17   No.2759007
++ 坂東喜久恵 (大学院生)…108回       
 電力は本当に逼迫しているのでしょうか?
 夏に電力が一時的に逼迫することは、実は以前から起きていた。その
ため、夏季がやってくる前に、電力会社は電力不足を防ぐための万全の
対策と対応を行ってきた。
 発電所のメンテナンスで発電できない期間を、夏のピーク時期前後に
ずらしたり、コジェネレーション(電気と熱の併給)の顧客にはピーク
時に発電を停止しないよう要請してきた。
 また、余分な設備を持たないようにするため、ピーク時の節電も要請
してきた。

 昨年の6月に逼迫状態が起こったのは、予想外の早い時期に暑くなっ
たためだ。
 特に東電は、2011年の原発事故以来、ずっと原発ゼロで乗り切ってき
たのだから、高効率なコンバインドサイクル発電所(ガスタービンと蒸
気タービンを組み合わせた発電方式)などの火力発電所を十分に保有し
ている。これから必要なのは、「気候の変動の予測を計画に組み込むこ
と」なのかもしれない。

.. 2023年05月27日 07:24   No.2759008
++ 仲條拓躬 (社長)…865回       
満洲立直し運動
リットン報告案を審議中の国際連盟は、昭和8年2月24日、日支問題最終の総会を開きました。票決の結果、友邦タイ国代表が棄権したのと、当事者である日本が反対投票をした以外には、41箇国が賛成投票をしました。

ここにおいて、日本と他の連盟諸国とは、極東平和を確保する方針について、全く意見を異にする事実が判明したので、松岡代表は連盟脱退を宣言し、随員の石原莞爾も会場を立ち退きました。随員の、石原大佐(満洲事変終了後、大佐に昇進)が入っていたのだが、ジュネーブにおける彼の行動は、全く影の人として、世界注目の焦点となったわけではない。

帰朝後、歩兵第四連隊長に補せられたが、夢の間も、忘れることの出来なかったのは満洲でした。王道楽土の道義的国家を建設しようとして、世の努力をささげて、やっと完成させたが、さて、その後は、どうなっているのか、生長ぶりが気になるのでした。

昭和11年の秋、出張を命ぜられ、おどる胸を抑えて、満洲に赴いた時は、愕然としました。そして憤然しました。 石原莞爾の抱いていた王道楽土の夢の痕は、あと方もなく消え去って、全満洲の政治は、関東軍参謀長東条英機の手に、引きずりまわされていたのです。

軍司令官植田謙吉は、独身の将軍で温厚篤直な人格者だったことが、東条には却って好都合であったと見え、軍の機密費は、将校婦人会長東条勝子の手にさえわたって、まるで湯水のように費消されていたのです。

満人は、王道楽土の呼声に応じて、満洲の立直しにふるい立ったのですが、実際において生活を悦楽しているのは、日本の軍人・軍属・官吏、それに日本から渡った多くの利権屋だけでした。日満両国の童児が、路傍に喧嘩しているのを見ると、日人の子どもは、「おれは、日本人だぞ」と、高飛車に出ます。

満人の子どもは、自分の方に理窟はあっても、それをきくと、唇をかんで黙ってしまいます。そういう優越感をもって、満洲にのぞむことは、石原莞爾の最も警戒したところだったのですが、唾棄すべき日本人根性の悪の一面は、少しばかり、タガがゆるむと、自省の念をうしなって、すぐに弱いものいじめの態度に出るのでした。

.. 2023年05月27日 08:21   No.2759009
++ 仲條拓躬 (社長)…866回       
建国運動に携った当時の片倉大尉参謀 (上原勇作元帥の愛婿)は、中佐に昇任し、この急潮の関東軍にあって、満洲国の内面指導に苦労していました。軍人が政治に関係することを、明治天皇は禁じられたが、ひとたび関係すると、何とはなし病みつきになって、軍人的政治家となります。石原莞爾は、これが「軍閥」というものの本体だと云っています。

「満洲国は独立国である。関東軍が、この国の政治に手を出すのは、独立を侵害するものだ。関東軍第四課は、即時廃止し、内面指導などというものはやめて、満人の政治的意志を尊重しなくてはいかぬ。」この主張を意見書にまとめて、軍司令官に提出しました。(関東軍司令官満洲国内面指導撤回)。東条軍閥は、勿論、これを踏みにじったのです。

だが、満人たちは、石原莞爾の姿を見ると、どよめき立った。「この人こそ、吾々の味方だ。この人さえ、もう一度、立直しに来てくれたら、満洲はよみがえる」どん底に沈んでいた人々が、非常なよろこびをもって迎えました。

石原莞爾は、同胞には嫌われましたが、こうして異国民には慕われて、多くの力弱き人々の群が、石原莞爾の身辺にいたのです。石原莞爾も、満洲国の立直しが、当面の急務だという事を、しみじみ感じたのでした。

石原莞爾平和思想研究会 (ishiwara-kanji.com)

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.. 2023年05月27日 08:29   No.2759010


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