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ロッキード事件の丸紅ルートの捜査と公判を見て、まず疑問が湧くのが請託の有無です。 受託収賄事件の場合、請託は立証のための要となり、必ず争点の一つとなります。特捜部は、請託がなされたのは、檜山が大久保と田中邸を訪問した「1972年8月23日午前7時ごろ」と決めつけています。
特捜部の構図において、檜山は大久保を田中角栄に紹介したあと、「ロッキード社が全日空に航空機の売り込みをかけているがスムーズにいかない」と現状を説明。その後、もし全日空がロッキード社のトライスターの導入を決定した場合、ロッキード社が五億円を支払うので、全日空がロッキード社のトライスターを導入するようしかるべき閣僚に働きかけるなど、協力してほしいと依頼したといいます。
これに対して、田中角栄は「よっしゃ、よっしゃ」と応え、承諾したとしています。檜山は1995年2月、最高裁が上告を棄却、懲役2年6月の有罪が確定しましたが、その5年後、病死しています。檜山が生前、家族に胸の内を明らかにしていないかと思い、記者が自宅を訪ねています。JR五反田駅から歩いて十分前後のところです。
檜山邸は高台の静かな高級住宅街の一角にあります。総理公邸は目と鼻の先です。家の周囲を竹柵で囲まれた建物がそれで、事件当時と変わっていないといいます。静かな住宅街だけに、当時マスコミ関係者らが押しかけ、近所の人たちも交え、異常な興奮状態になったことは容易に想像できます。
門からインターホンを押すと、奥さんらしい女性が出たが、取材の向きを伝えようとすると「忙しいから」の一言で、取りつくしまがない。何度か足を運んだが、結果は同じだった。今でも強いマスコミ不信に陥っているのだろうとの印象だったといいます。
そこで請託について、弁護人だった宮原守男氏に意見を聞いてみたそうです。宮原氏は即座に「請託については外形的事実としてある。 全日空は確かにL1011という機種を買いたいという気持ちがあった。ロッキードとしても売りたいという気持ちがあった。檜山はコーチャンに頼まれたという心証はあった。しかし、よろしく頼むとは言っていない。」
.. 2023年05月24日 08:13 No.2759001
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