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この国で冤罪事件がたびたび起こる原因を改められるのか 無実の袴田事件。警察と検察がデッチ上げた事件だった 永田町の裏を読む〈連載502〉 ジャーナリスト 高野 孟
「袴田事件」の裁判やり直しを認めた東京高裁の決定に対して、検察 当局は20日、特別抗告を断念した。今後開かれる再審で無罪となること はほぼ確定的である。 周知のようにこの事件は、1966年に静岡県清水市(現・静岡市清水 区)で起きた強盗殺人事件の犯人とされた袴田巌さんが自白に基づき起 訴されたが、第1回公判から無実を主張、80年の死刑判決後も何度も再 審を求め、その間、何と45年以上も拘禁され続けた一件。 その間に「袴田が犯した(かもしれない)強盗殺人事件」ではなく、 とっくに「警察・検察が犯した(に違いない)無実の袴田に対する冤罪 事件」に変容し、まさにそのようなものとして決着したのである。
なぜこんな非道なことがこの国でたびたび起きるのか。 郷原信郎弁護士の近著「“歪んだ法”に壊される日本」(KADOK AWA、2023年3月刊)の表現を借りれば「容疑を全面的に認めない と、勾留が続き、保釈も認められず、長期間にわたって身柄拘束が続 くという『人質司法』」がまかり通っているからである。
人質司法は一種の拷問で、それから逃れるには検察官の言い分通り に「自白」するしかない。こうして冤罪が生じるのである。 しかも検察は、ひとたび立件したら後に引き返すことはない。有罪判 決を得なければ立件したこと自体が間違いだったと認めることになり、 その責任が問われるからだ。 さらにも裁判所も「検察の主張どおりの有罪判決を流れ作業的に生産 する場と化している現実」(郷原)があるので、簡単に検察の共犯にな り果てる。
日本の官庁も、社会的な存在である限り、主権者である国民との関係 において「ガバナンスの強化」「情報開示義務」「説明責任」の3つを 求められるが、検察は自らの行っていることは常に「正義である」とし てそれらを無視してきた、と郷原は言う。
.. 2023年04月14日 05:29 No.2734001
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